The Beatles 赤盤・青盤 リマスター
やはり、買ってしまうのである。
原盤が出たのはもう40年も前だ。
自分は中学生1年か2年くらいで、以来ずっと聴き続けているわけだから
もうすっかり耳の奥底にこびりつき
音楽というよりは、空気みたいな、当たり前にあるものになっている。
矛盾するようではあるが、ある意味麻薬みたいなものでもあり
自分が無条件に受け入れられる絶対的なもの、というか
ビートルズさえ聴いていれば安心できるという
実に退廃的な、無批判な思考停止状態に陥ってしまうのである。
これは危険だ。
人間、進歩をなくしたら終わり。
刺激を避けて通るようになったら終わりだと思いながら、
手を出してしまう。
まさに、オヤジ殺すにゃ刃物はいらぬ、だ。
赤盤・青盤の原盤が出た頃、
当時の中学生の小遣いは微々たるものだったから
2枚組の2セットなど買えるわけもなく
同じクラスの子(の親)が買ったものを借りて
カセットテープに録音して聴いていた。
その後、単体のレコードを買えるようになってからは
友人同士でカブらないように選びながら
みんなで回してテープに録りまくった。
歌詞を覚えるために、テープを聴きながら
ノートにカタカナで書き取っていた
(英語は苦手だったので)記憶がある。
貧乏くさい話ではあるが、レコードは貴重品だったし、キズが付くから
買うとすぐテープに落として、普段はテープで聴いていた。
「音楽を聴く」ということも今よりはずっと
気合いが入っていたように思う。
それがCDになって、もっと気楽に扱えるようになり
今ではネットでいつでもすぐに聴けてしまうのである。
すべてをそのせい、と言うつもりはないが
最近では音楽は聴くものではなく
聞き流すことのほうが多くなっているような気がする。
「モノより思い出」というのは言い得て妙だが
モノにも思い出、という心情を否定することはできない。
清水の舞台から飛び降りつもりで買ったレコードと
ネットでついでに落とした曲と、どっちが心に残るのか。
毎日洪水のようにネットから流れ出る音の、どれだけが40年後も残っているのか。
もちろん、ビートルズが今もオヤジの頭脳を思考停止にするのは
それだけが理由ではないのだが、
ネット配信が音楽(や文学の)性質を変えているのは事実であろう。
APPLE社というコンピューターメーカーが、才気あふれる
クリエイティブな企業であることは、認めよう。
(ま、自分でも使ってるしね)
しかし、自社が流通させている「商品」のクリエイティビティに対して
十分な敬意というか気遣いを持っているかは、甚だ疑問に思う。
そもそもiPodがこれほどヒットし、iTuneがスタンダードになったのも
音楽も画像も文書もデジタルデータにしてしまえば同じという思考があるのだろう。
(大雑把な言い方で恐縮だが)
それは「デジタル」一般の話だからAPPLE社のせいではないが
味噌も○ソも一緒に放り込んでしまうただのメモリーを
音楽プレーヤーと同一の次元にしてしまったことが、個人的には気に入らない。
しかも「シャッフル」など、作り手の意図を無視して
すべてを偶然にまかせるという、言語道断なことを平気でやってしまうのである。
今となっては身内びいきでしかないが
あくまでも「音楽」の作品性にこだわり、音楽プレーヤーとしての
音質にこだわり続けたSONYの姿勢が「クリエイティブ」ではないかと思うのだ。
と、ブチブチ言っても既に決着はついているし、時間は逆戻りはしない。
要は、時代がそれを求めていた(いる)ということでしかない。
WEB2.0の頃から、クリエイティブの世界で素人と玄人の壁は崩壊したと言われている。
「オリジナル」の意味もあいまいになり、草薙素子ではないが、
オリジナル不在のままでコピーが蔓延するということも、現実になった。
それはそれで、得るものは大きいし、「エンドユーザー」には喜ばしいことではある。
ただ「すぐ手に入るものは、すぐダメになる」と言われ続けて育った自分には
手放しで喜べるものではないなあ、という気持ちは捨てられない。
赤盤、青盤を聴きながらボーっとしていたら
iTuneでビートルズの配信が始まった。
S.ジョブス氏は『The Long and Winding Roadだった』と言ったそうだ。
彼にとっては、The Beatlesは、大きな商売のネタには違いなかろう。
『TAXMAN』にはご注意を、と言って差し上げたい。
追記:ちょっと前の話ではあるが
またローソンの戦略にはめられてしまったの図。
「レイとアスカのダブルクリームドーナツ」は
カスタードとホワイトクリームの、本当のダブル。
マリのシフォンケーキを10日間放置しておいたら
カビが生えて食いそびれてしまったのが心残り、だな。
やはり、買ってしまうのである。
原盤が出たのはもう40年も前だ。
自分は中学生1年か2年くらいで、以来ずっと聴き続けているわけだから
もうすっかり耳の奥底にこびりつき
音楽というよりは、空気みたいな、当たり前にあるものになっている。
矛盾するようではあるが、ある意味麻薬みたいなものでもあり
自分が無条件に受け入れられる絶対的なもの、というか
ビートルズさえ聴いていれば安心できるという
実に退廃的な、無批判な思考停止状態に陥ってしまうのである。
これは危険だ。
人間、進歩をなくしたら終わり。
刺激を避けて通るようになったら終わりだと思いながら、
手を出してしまう。
まさに、オヤジ殺すにゃ刃物はいらぬ、だ。
赤盤・青盤の原盤が出た頃、
当時の中学生の小遣いは微々たるものだったから
2枚組の2セットなど買えるわけもなく
同じクラスの子(の親)が買ったものを借りて
カセットテープに録音して聴いていた。
その後、単体のレコードを買えるようになってからは
友人同士でカブらないように選びながら
みんなで回してテープに録りまくった。
歌詞を覚えるために、テープを聴きながら
ノートにカタカナで書き取っていた
(英語は苦手だったので)記憶がある。
貧乏くさい話ではあるが、レコードは貴重品だったし、キズが付くから
買うとすぐテープに落として、普段はテープで聴いていた。
「音楽を聴く」ということも今よりはずっと
気合いが入っていたように思う。
それがCDになって、もっと気楽に扱えるようになり
今ではネットでいつでもすぐに聴けてしまうのである。
すべてをそのせい、と言うつもりはないが
最近では音楽は聴くものではなく
聞き流すことのほうが多くなっているような気がする。
「モノより思い出」というのは言い得て妙だが
モノにも思い出、という心情を否定することはできない。
清水の舞台から飛び降りつもりで買ったレコードと
ネットでついでに落とした曲と、どっちが心に残るのか。
毎日洪水のようにネットから流れ出る音の、どれだけが40年後も残っているのか。
もちろん、ビートルズが今もオヤジの頭脳を思考停止にするのは
それだけが理由ではないのだが、
ネット配信が音楽(や文学の)性質を変えているのは事実であろう。
APPLE社というコンピューターメーカーが、才気あふれる
クリエイティブな企業であることは、認めよう。
(ま、自分でも使ってるしね)
しかし、自社が流通させている「商品」のクリエイティビティに対して
十分な敬意というか気遣いを持っているかは、甚だ疑問に思う。
そもそもiPodがこれほどヒットし、iTuneがスタンダードになったのも
音楽も画像も文書もデジタルデータにしてしまえば同じという思考があるのだろう。
(大雑把な言い方で恐縮だが)
それは「デジタル」一般の話だからAPPLE社のせいではないが
味噌も○ソも一緒に放り込んでしまうただのメモリーを
音楽プレーヤーと同一の次元にしてしまったことが、個人的には気に入らない。
しかも「シャッフル」など、作り手の意図を無視して
すべてを偶然にまかせるという、言語道断なことを平気でやってしまうのである。
今となっては身内びいきでしかないが
あくまでも「音楽」の作品性にこだわり、音楽プレーヤーとしての
音質にこだわり続けたSONYの姿勢が「クリエイティブ」ではないかと思うのだ。
と、ブチブチ言っても既に決着はついているし、時間は逆戻りはしない。
要は、時代がそれを求めていた(いる)ということでしかない。
WEB2.0の頃から、クリエイティブの世界で素人と玄人の壁は崩壊したと言われている。
「オリジナル」の意味もあいまいになり、草薙素子ではないが、
オリジナル不在のままでコピーが蔓延するということも、現実になった。
それはそれで、得るものは大きいし、「エンドユーザー」には喜ばしいことではある。
ただ「すぐ手に入るものは、すぐダメになる」と言われ続けて育った自分には
手放しで喜べるものではないなあ、という気持ちは捨てられない。
赤盤、青盤を聴きながらボーっとしていたら
iTuneでビートルズの配信が始まった。
S.ジョブス氏は『The Long and Winding Roadだった』と言ったそうだ。
彼にとっては、The Beatlesは、大きな商売のネタには違いなかろう。
『TAXMAN』にはご注意を、と言って差し上げたい。
追記:ちょっと前の話ではあるが
またローソンの戦略にはめられてしまったの図。
「レイとアスカのダブルクリームドーナツ」は
カスタードとホワイトクリームの、本当のダブル。
マリのシフォンケーキを10日間放置しておいたら
カビが生えて食いそびれてしまったのが心残り、だな。