ちょこ歴旅

歴史旅…というほどじゃない、気楽な史跡巡り備忘録
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御三家の城下町和歌山へ

2012年03月03日 23時48分07秒 | オートバイ
「あと1週間だけ我慢…」と、ロードバイク
復帰したい気持ちをグッと抑え、今週も
オートバイで歴史ツーリング。

3月になりようやく春の兆しが感じられつつ
あるものの、まだまだ寒い。
ならばほんの少しでも南へ、と考え国道26
号線をひたすら南下。
途中26号線バイパスでスピードアップし、
自宅から1時間あまり、紀ノ川を渡ると
目の前に現れる和歌山城天守。

和歌山城は豊臣秀吉の弟秀長の重臣、桑山
重晴が城代として本丸部分を中心に築城。
関ヶ原の戦い後は浅野幸長が37万6千石
で入城し、二の丸部分を整備。
浅野氏が広島に移封すると、徳川家康の
第十子、頼宣が55万5千石で入城し、
御三家の居城にふさわしく大規模な整備を
行った城。

また、適度な高さの山に築かれているため
(平山城)、城下のどこからでも天守が
眺められます。
やっぱり何度見てもいい景色です。

<城下から見た和歌山城天守>

まずは、ぐるりと一周して、いろいろな
角度から見て楽しんだ後、いよいよ城内へ。

<西の丸庭園、御橋廊下>

御橋廊下は二の丸と西の丸を藩主が渡るため
に造られ、現在のものは復元。
右端は御橋廊下の中の様子、歩いて渡れます。

<天守>

大小天守、櫓、御台所などが多聞で繋がる
連立式天守の形態。(登閣料\400)
江戸初期の天守焼失後、嘉永3年(1850年)
に再建されたものの、第二次大戦の戦火で
昭和20年(1945年)再び焼失。
現在のものは昭和33年(1958年)に
鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。

第二次大戦の戦火でなくなった天守は他にも
たくさんありますが、名古屋、水戸、そして
和歌山の御三家の城が同様に天守を失って
いるのも運命のいたずらかも…。
やっぱり貴重な文化財がなくなるのって残念。

<天守からの眺め>

紀ノ川の河口に広がる海。

天守に続く多聞櫓の中にはNHK大河ドラマ
「八代将軍 徳川吉宗」(平成7年放送)で使用
した襖絵セットが飾られています。
でもやっぱり吉宗といえば「暴れん坊将軍」、
松平健さんが白馬に跨り浜辺を駆けるあの
シーンが思い浮かぶ。

<追廻門>

数少ない現存建築、魔除けのため元は朱塗り
だったそうです。

<岡口門(重要文化財)>

背景に天守が見えていい感じ。

<岡山の時鐘堂>

和歌山城から三年坂通りを挟んで南の丘陵上に
ある鐘撞き堂。
時間だけでなく火事などの災害を知らせるため
吉宗が五代藩主時代に造営。

<城下町の武家屋敷長屋門>

和歌山城下に残る数少ない貴重な建築。
実際はもっと長いけど、前に車を停めて昼寝中
のおっさんが映らない範囲で…

さて、次は万葉の時代からの景勝地、和歌浦へ。
県道15号線(大浦街道)を南下15分で到着。

<和歌浦の風景、不老橋>

聖武天皇行幸の際、山部赤人が詠んだ歌が
万葉集におさめられているそうです。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ
葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る」
雅ですな~…嘘、意味は良く分かりません。
真ん中は観海閣から見た紀三井寺。
右の不老橋は、第10代藩主徳川治寶の命に
よって建造された石造の橋。

最後に、近くにある紀州東照宮へ。
ここは日本全国にある東照宮の紀州版。
社殿は本家日光と同様に左甚五郎の彫刻や
狩野派、土佐派の絵画で彩られ、重要文化財
に指定されています。

<紀州東照宮>

見上げるような一直線の石段、登りは疲れ、
下りはかなり怖い。
階段を数えてみたら、107段かと思ったら
一番下に微妙な一段が…。
煩悩と同じ108段なんでしょう(たぶん)。

この後、和歌山城下で和菓子を購入して帰宅、
走行距離130kmのツーリングでした。

来週こそはロードバイクに乗るぞ~!


~今回の甘いもん~
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006(和歌山)和歌山 本ノ字饅頭
コメント (2)
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