え~っさ、え~っさ、えさほいさっさ♪
お猿の駕籠屋だほいさっさ♪
日暮れの山道、細い道、
小田原提灯ぶらさげて…。
先日、小田原城へ行ってきました。
江戸を例外とすれば、小田原はまさに
関東を代表する城。
一度は訪れたかった城の一つです。
さぁ、さっそく関東の名城にレッツゴー!
まずは北西のJR線の側からではなく、
ぐるっと南東側に
回り込んで大手筋から入城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/1a/c7392d9b81b01d6b5af8320cdfb4e5ae_s.jpg)
二の丸隅櫓(昭和9年復興)と水堀。
小田原城は伊勢新九郎(早雲)を祖とする
関東の覇者、後北条氏の城として城下町を
惣構えと呼ばれる濠で囲んだ巨城.
かの武田信玄や上杉謙信でさえ攻め落とせ
なかったんだとか。
そんな戦国時代を代表する巨城も豊臣秀吉
の小田原征伐(1590年)で開城しました。
現在残るのは、徳川家康の腹心である
大久保氏の時代に規模を縮小しつつ近世城郭
として整備された姿の名残り。
現在、整備事業が進み、大手筋の門などが
復元され、その魅力は増しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/c1/4dfc60b6c4c1e190ca978458ea9ef9da_s.jpg)
馬屋曲輪に入る馬出門(平成21年復元)。
馬出門をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/b6/2292b113989f9be5765a92a68395d108_s.jpg)
画像に写ってませんが左折の枡形内側に
冠木門があります。
さらに正面に銅門の枡形、右手奥に天守
という見どころ。
続いて銅門(あかがねもん)の左折の枡形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/74/2fd9f8eb1f763a4a6daaf221268963b4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/44/902df8933d74892caf813b4c24dcae83_s.jpg)
手前は埋み門形式、奥左手に渡櫓門
(平成9年復元)
さぁ、いよいよ本丸へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/7f/77a2d6dc7d59707cd0e908fa7452bd5b_s.jpg)
朱色の橋の欄干と常盤木門の枡形の組み
合わせもいい感じ。
もとはこの橋の下に内堀が巡っていた
そうです。
二の丸から本丸に向かう常盤木門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/dd/8ee660136873bf1572c25b4abd48132f_s.jpg)
本丸の正門に相応しい大型の渡櫓門
(昭和46年復興)
常盤木門から本丸に入り、いよいよ
天守とご対面~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/5e/8044d1b219c3c7eac7bd9bc2298a63bf_s.jpg)
昭和35年に鉄筋コンクリートで復興された
三重四階の天守は、江戸時代の雛型を基に
しつつも最上階に廻縁が付けられるなど、
忠実な再現ではないようです。
それでも、その廻縁からの相模湾の眺めは
なかなか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/b0/6f8102e7f5509511a772c6d2045b8f95_s.jpg)
ちなみに、復元は古写真や図面、発掘調査
など学術的に検証したうえで再建すること、
復興とは資料を参考にしつつも一部変更して
再建すること。
天守内部を見学した後は、天守の周りを
ぐるっと一周。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/64/9c0b9cf5a51fa0c59b55b60901a089f2_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/ed/9e541d862d7064ff30590cc68d955ee6_s.jpg)
天守は付櫓が付くなど、角度によって見え方
が違う。
一粒で二度美味しい…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/5c/8b8d22867aa76c286bf1699dda3a9272_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/3e/e98af370762022a146fe52c49f7c3eec_s.jpg)
裏手は高い土手状になっており、関東大震災
で崩れた石垣が痛々しく残る。
都心に近いこともあり、城下町はすっかり
面影がなくなっていますが、城下町を復元
する計画もあるとか。
整備が進めばまた来たいな。
ところで、秀吉に降伏した後北条氏の子孫は、
わずか1万石の小藩ながら、現在の大阪狭山市
にある狭山池付近に陣屋を構え幕末まで続いた
そうです。
隣の堺市に住む私もちょっと親近感が湧きます。
~今回の甘いもん~
※姉妹ブログ「和菓子の国の人だから」へGo!
103(神奈川)小田原 ういろう
104(神奈川)小田原 梅太郎
お猿の駕籠屋だほいさっさ♪
日暮れの山道、細い道、
小田原提灯ぶらさげて…。
先日、小田原城へ行ってきました。
江戸を例外とすれば、小田原はまさに
関東を代表する城。
一度は訪れたかった城の一つです。
さぁ、さっそく関東の名城にレッツゴー!
まずは北西のJR線の側からではなく、
ぐるっと南東側に
回り込んで大手筋から入城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/1a/c7392d9b81b01d6b5af8320cdfb4e5ae_s.jpg)
二の丸隅櫓(昭和9年復興)と水堀。
小田原城は伊勢新九郎(早雲)を祖とする
関東の覇者、後北条氏の城として城下町を
惣構えと呼ばれる濠で囲んだ巨城.
かの武田信玄や上杉謙信でさえ攻め落とせ
なかったんだとか。
そんな戦国時代を代表する巨城も豊臣秀吉
の小田原征伐(1590年)で開城しました。
現在残るのは、徳川家康の腹心である
大久保氏の時代に規模を縮小しつつ近世城郭
として整備された姿の名残り。
現在、整備事業が進み、大手筋の門などが
復元され、その魅力は増しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/c1/4dfc60b6c4c1e190ca978458ea9ef9da_s.jpg)
馬屋曲輪に入る馬出門(平成21年復元)。
馬出門をくぐります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/b6/2292b113989f9be5765a92a68395d108_s.jpg)
画像に写ってませんが左折の枡形内側に
冠木門があります。
さらに正面に銅門の枡形、右手奥に天守
という見どころ。
続いて銅門(あかがねもん)の左折の枡形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/74/2fd9f8eb1f763a4a6daaf221268963b4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/44/902df8933d74892caf813b4c24dcae83_s.jpg)
手前は埋み門形式、奥左手に渡櫓門
(平成9年復元)
さぁ、いよいよ本丸へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/7f/77a2d6dc7d59707cd0e908fa7452bd5b_s.jpg)
朱色の橋の欄干と常盤木門の枡形の組み
合わせもいい感じ。
もとはこの橋の下に内堀が巡っていた
そうです。
二の丸から本丸に向かう常盤木門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/dd/8ee660136873bf1572c25b4abd48132f_s.jpg)
本丸の正門に相応しい大型の渡櫓門
(昭和46年復興)
常盤木門から本丸に入り、いよいよ
天守とご対面~。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/5e/8044d1b219c3c7eac7bd9bc2298a63bf_s.jpg)
昭和35年に鉄筋コンクリートで復興された
三重四階の天守は、江戸時代の雛型を基に
しつつも最上階に廻縁が付けられるなど、
忠実な再現ではないようです。
それでも、その廻縁からの相模湾の眺めは
なかなか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/b0/6f8102e7f5509511a772c6d2045b8f95_s.jpg)
ちなみに、復元は古写真や図面、発掘調査
など学術的に検証したうえで再建すること、
復興とは資料を参考にしつつも一部変更して
再建すること。
天守内部を見学した後は、天守の周りを
ぐるっと一周。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/64/9c0b9cf5a51fa0c59b55b60901a089f2_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/44/ed/9e541d862d7064ff30590cc68d955ee6_s.jpg)
天守は付櫓が付くなど、角度によって見え方
が違う。
一粒で二度美味しい…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/5c/8b8d22867aa76c286bf1699dda3a9272_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/3e/e98af370762022a146fe52c49f7c3eec_s.jpg)
裏手は高い土手状になっており、関東大震災
で崩れた石垣が痛々しく残る。
都心に近いこともあり、城下町はすっかり
面影がなくなっていますが、城下町を復元
する計画もあるとか。
整備が進めばまた来たいな。
ところで、秀吉に降伏した後北条氏の子孫は、
わずか1万石の小藩ながら、現在の大阪狭山市
にある狭山池付近に陣屋を構え幕末まで続いた
そうです。
隣の堺市に住む私もちょっと親近感が湧きます。
~今回の甘いもん~
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103(神奈川)小田原 ういろう
104(神奈川)小田原 梅太郎