生存確認用に記事を投稿。
特におもしろいことは起こっていません。
さて、表題の増穂の芒(ますほのすすき)とは?
岡本綺堂の「小坂部姫」という物語の中で出てくる話です。
と言っても、もともとは吉田兼好の徒然草に出てくる話です。
綺堂の小説から引用すると、
「あるところに大勢の人があつまっているときに、増穂の芒の議論が出た。 渡辺の聖がこの事をよく知っているとある人が語ると、その席に居合わせた登蓮法師が俄かに座を起って、すぐに簑笠を貸してくれ、これから渡辺の聖のところへその教えをうけに行きたいと言った。あいにく雨は降る、それほど急ぐにも及ぶまい。まず雨のやむのを待つがよかろうと、そばから注意する者があるのを、登蓮はあざけり笑って、人の命は雨の晴れ間を待つものではない、その間に聖が死ぬか、自分が死ぬか判ったものではあるまいと言って、降りしきる雨の中を忙しそうに出て行ったというのである。
今思えば、大学院で実験を行っていたときには、この心情であったと思う。
しかし、サラリーマンになると相手の都合・自分が所属する会社の都合・そして仕事に対する情熱の持ちようで、登蓮法師のような行動はとれなかった。
さてさて、この増穂の芒という話から思い出したのが、司馬遼太郎の「峠」という小説の主人公の河井継之助。
なんとなく、河井継之助の行動力に相通じるものを感じてしまう。
登蓮法師にしても河井継之助にしても知性や思想を突き詰めていくタイプであろう
それに反して、私はといえば、こんな行動力を愚鈍な私に起こさせる要因としては、色恋沙汰くらいしかないのではと思う。
色恋には、知性も思想もあまり関係なさそうだから。