毎月第2金曜日にマザーズフェローシップという会を持っています。
幼児とお母さんの会で、後半はママ向けの学びで「子育てのストレスを喜びへ」(玉井敦子先生著)という本を使っています。その中から勉強になったこと、思ったことを書いてみます。
今月は「子どもが抱えるストレスを知る」という章でした。
「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。」
(コロサイ3:21)のみ言葉が引用されています。
育児中の親はストレスが大きいことは知られています。そして子どもは大人にストレスを与えもするが、日々大きな受ける立場でもあるということでした。
①親に自分の個性、能力、容姿などを受け入れられないストレス
「あなたはどうして私たち親の願うような子どもではないの?」という有言、無言のメッセージ。これは時には子どもの心を破壊することもあると私も思います。
②しつけのストレス
親は本当に多くのことを教えなければいけません。冷静に叱ることも必要です。
でも、なんでも「早く早く、他の子のように」という焦りから無駄に怒り、罵倒したりすることは子どもを気落ちさせることです。きちんと教えつつその子のペース、できるようになる育ちを「待つ」という姿勢が親子の関係を改善する、とほんとに感じます。
ちなみにうちの子は野菜、肉がきらいで一部の種類以外ほとんど食べない時期があり、困りました。これを食べたらデザート(好きなもの)をあげる、とつったり、食べやすいように手を変え品を変えて作っても、「いらない」と頑固。作った努力が報われず、こちらは怒りに燃え子どものお気に入りのおもちゃを外に捨てたり。
あるとき、「この子が食べるようになる時期を待つ」という気持ちを持ったら、少し気が楽になり、毎回少しでも食べることはすすめつつ、こちらも「おいしいなあ」と食べていました。数ヶ月するとあれほど拒絶していた大きな人参をパクパク食べはじめました。「待つ」って大事だなあと感じています。
③信仰におけるストレス
クリスチャンの親にとって子どもがキリストを愛する信仰をもつことは、なによりも大きな祈りであり、使命だと思います。そして神様は子どもたちも召していてくださいますし、これには親として、世の中の流れと格闘してでも真剣に取り組む必要があると思います。問題は伝えるときの親子間のギャップであると書かれています。
「多くの子どもたちは、親の信仰を押し付けられるのはごめんだ、と思っています。
なぜなら、親のクリスチャンライフは長く険しく、ようやく今おるところにたどり着いたのに、子どもには『ジャンプして、すぐにここまで来なさい』と叫んでいるのと同じだと思うからです。子どもは親に、「親の立派さや信念を押し付けないでほしい。自分は自分とキリストとの関係を自分で構築していかなければならないのだから、親の借り物でない信仰を、自分の手でつかまなければ生きていけないのだ。」と叫んでいるのではないでしょうか。」とありました。
私自身クリスチャンホーム、教会の中で育ったのでその大きな恵みと共に、信仰的期待を自分の育ち具合にあわず過度に期待されることの苦しみは実感しています。
今度は自分が親としてこのすばらしいイエス様のみもとに子どもを連れていく使命に日々取り組むときに子どもを思いやりつつ、主がしっかりと子どもの手を握ってくださることを祈っていきたいと思います。