先日三歳の息子とこんな会話がありました。
「ぼくね、(アンパンマンに出てくる)ロールパンナみたいに二つの心があるんだ。」「そーなの?」「うん、いい心と、悪い心。」(と言って胸の左右を指す)「ふーん、どんなときに悪い心が出るの?」「あのね、けんかするとき・・・・でもね、イエス様が悪魔とたたかってくれるときはいい心になるんだよ」「そうかあ、じゃあ悪い心が出てきたら、イエス様にごめんなさい、ってお祈りしようね。」
最近怒るとよく姉をけっとばしたりひっかいたりしています。かと思うととてもやさしい声をかけて仲良くすることもあります。こどもの喧嘩ってもちろんコミュニケーションの練習みたいな面もありますが、その中で、三歳なりに自分の心が二通りあることを実感しているのでしょうか。そろそろ人間の罪と神様の声との葛藤が自分のこととしてわかる時期なのかと思いました。
ローマ人への手紙3章23~24節にはこうあります。
「すべての人は罪をおかしたので神からの栄誉を受けることができず
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに価なしに義と認められるのです。」
人には罪があること、そしてイエス様が罪から救ってくださることを息子は教会学校や家庭で少しずつ教わっていますが、どんな小さな子でもその不思議な恵みを受け止める可能性があるのだ、と改めて教えられました。教会学校の先生の働きって重大ですね。