裕次郎の玉手箱3

趣味 写真や日記、旅行とアマチュア無線 PC 好きな事が多くて全て今一状態 人との出会いを大切に北海道大好き人間です。

もう 居ませんでした...

2015年02月26日 | 日記

ふっと思いだし、最近音信不通の友人の事を思い出し一度尋ねてみようかと、先日二週間四国に車を走らせました。四国はもうかれこれ10年以上のご無沙汰の町です、四国でも特に高知県には友人が数人いた事から以前は良く行ったものです。当時は四国に架かる橋が有りませんでしたから何れかのフェリ-のやっかいになり車を運んで貰ったものです。高知までは大阪を夕方出て朝には着きましたが、現在は鳴門や瀬戸大橋を走りますと4時間もあればゆっくりたどり着きます。今回は行きは鳴門側から行き帰りは瀬戸大橋を通るコ-スで走ってみましたが、いずれも平日でしたので、スイスイ走れました。 高知市内に住む友人は大阪に出てきた時に就職した所にいた先輩です。4.5歳上でしたかね 五年程前から出せども年賀状も来なくなりました。電話しても通じません 若い頃彼が実家に大阪から仕事を辞め実家の仕事をすると行って帰ってからちょこちょこ行っていたので、家は覚えていましたので浦戸大橋を渡って尋ねてみると家の名前が変わっていました。ご近所の方達にお話を聞きますとご夫婦とも四年程前になくなったとのことでした。近くに住むという娘さんの嫁ぎ先の家探し尋ねましたが留守だったのですが、お孫さんになるお嬢ちゃんとお話し出来色々聞きまして事情が分かりました。長い間には世の中は変わっているのでしょうが、自分なの周囲でもこうして変わっていく事を目の前にして解りました。彼は酒よりコ-ヒ-が好きで私と同じだったので良く飲みながら話したものでした。高知に遊びに行った時はいつも彼の家の車を借りて走り回ったものです。今思えば何となく弱々しい感じの人でした。身内の者が無くなるのも悲しいものですが、友人が亡くなるのも とても寂しいものですね 今回は三人の友人を訪ねてみたく行った旅ですが、スタ-トから寂しい思いに成ってしまいました。古里から都会に出てきた者にとって田舎の友達とは中々繋がる機会が有りませんが、私は出来るだけ手紙や年賀状で繋がりを作る様にしています。沢山居る友達に助けられたり、世話に成ったりして今に至っています。親以上に助けて貰った友人達も多く、今の自分が居る事に感謝する毎日です。私の信条は 人との出会いを大切にしたい と言うのが常に胸しています。確かにマイナスな知り合いも居ますが、その様な人の後ろ姿を見て自分も反省する事屡々です。来月田舎の友人達と四〇年振りに再会する事になっています。楽しみも有りますし、みんな元気なのか少し心配な所もありますが、40年経っても繋がって行けると言う事は有り難い事ですね

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