JRA史上無二「春クラシック独占」を成し遂げた男の伝説。桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、影をも踏ませなかった“逃亡劇”【競馬クロニクル 第12回前編】
上半期で残るG1は宝塚記念だけとなり、3歳クラシックは4頭が同タイムでゴールする大接戦となった日本ダービーでいったん幕を閉じた。
この春の皐月賞は横山武史(ソールオリエンス)、日本ダービーはD.レーン(タスティエーラ)、桜花賞とオークスは川田将雅(リバティアイランド)がそれぞれ制したわけだが、今から48年前の1975年、春のクラシック競走4レースすべてを制してしまった騎手がいる。
当時29歳だった菅原泰夫である。
けっして派手な騎手ではなかった。取材においても多弁な人ではなく、あえて言えばスター性とは程遠いジョッキーだった。
※本文は以下にて
このカブラヤオーという馬は当時はさほど(自分は)評価していなかったが
後には”この馬こそ史上最強の逃げ馬”かも知れないなと思うようになった
菅原氏は1963年に騎手候補生になり1992年からは調教師に転出
調教師としては248勝(重賞2勝)に終わったが
騎手時代には769勝を上げ重賞36勝
この1975年の春クラシック4連勝を始め、菊花賞2勝、朝日杯3才S(当時)のG1勝利の他
見てみたらミハルカス・ヤマトキョウダイ・ルピナス・メジロアルダン・スズマッハ・ライスシャワー・タレンティドガール・リーゼングロスなど当時の一流馬にも数多く騎乗歴がある
確かに地味系の騎手だったがあのクラシック4連勝は腕の為せるところだったし、衝撃的だったなぁ
今は外人や若手がいろいろ目立っているが、昔から「時代時代に」時代を彩る騎手が現れてた事を懐かしく思い出しまする