駄馬にも乾杯を

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武豊とアドマイヤ・蜜月時代と絶縁時代そして・・・・という小耳話(引用)

2021-02-12 20:49:57 | 競馬

GJでこういう記事を見つけたので」、拝借して来た

この関係に関しては当時の競馬ファンを含め関係各所で大きな話題になったものだった

当時豊はスポニチ関西に毎週コラムを書いていたが、この出来事=アドマイヤに見放された=に関して、まさに青天のへきれきだったようで「驚いた」と書いていた

つまり想像もしていなかったという事なのだろうが、この事の前に、当時アドマイヤと蜜月だった松田博資元調教師と武もかなりの蜜月関係だったのだが・・・・

この記事にあるように、アドマイヤの馬(ムーン・オーラ・キッス・他)たまたまこの時期の有力なアドマイヤ馬で、オーナーと調教師が勝てると期待してた馬とレースでユタカの取りこぼしと見られる負けが立て続けに起きた事で、近藤オーナーより前に松田師が「こういう負け方が続くと納得できない」みたいな事を言ってたのを思い出すし、武とアドマイヤの関係断絶の要因になっただろうと推測した覚えがある

たしかに今でもそうだが豊は後ろから行くスタイルが目立っていたし、見る人は見てたように「追って味のある騎手では無い」ことが、レースで何度も出るようになったことと重なって(他にも理由はあるだろうが)

松田師とアドマイヤに初めてダービーをプレゼントしたアドマイヤベガやアドマイヤグルーヴなどと成し遂げた功績を棚に上げたような「絶縁」を選ばせることになったのだろう

(※追記 松田師の初G1はユタカの「ベガ」の桜花賞だった記憶があるが、かなり曖昧w)

(再訂正:松田師の初G1はあのコスモドリームのオークスだったw1988年。その後がベガで、ブゼンキャンドルの秋華賞1999年があった。)調教師としての力量は確かなものがあったのは認める。

24.2.29になって訂正追加w

松田博師は〝ダービーは未勝利だった” アドマイヤベガはたしか橋田師だったw

牝馬のG1が多く、顔に似合わず牝馬の松田だったんだな(失礼)

 

 

もちろんこういうはっきりした縁切りをする前には多分騎手ユタカとの何らかのやり取りがあったからこそ、ここまであからさまな行動が出来たとも考えられるので、どちらか一方がどうこうじゃ無かったと今では理解してるが。

前に書いた記憶があるが、ユタカを切ったはいいが、それが原因とも言わないがアドマイヤの成績も同じような低迷期に入ったのは皮肉と言えば皮肉だったな

利一氏の遺言で豊との関係は改善に向かった様だが、いかんせん、ユタカももう歳をとって全盛期のような騎手力は無い。

アドマイヤにしても後妻の旬子氏が「どこまで馬主業に力が入るか判らんし、そもそもそれほど相馬眼があるとは思えないから、ユタカによるアドマイヤ馬の「大活躍」は多分夢に終わるんじゃないか?

 


引用拝借記事=


JRA武豊「復活」の京都記念(G2)完勝は「確執と低迷」の序章……近藤利一オーナー死去、アドマイヤビルゴ登場まで長過ぎた沈黙の時間

 

 2007年の京都記念(G2)は捲土重来を期すアドマイヤムーンにとって、まさに反撃の狼煙となる会心のレースだった。

 札幌2歳S(G3)、共同通信杯(G3)、弥生賞(G2)と出世レースを次々と勝利し、皐月賞(G1)で1番人気、天皇賞・秋(G1)でも2番人気に支持された当時のアドマイヤムーン。しかし、G1タイトルはあと一歩のところで、その手をすり抜けていた。

 そんな大器が京都記念では、従来の末脚勝負ではなく早めの積極策。最後の直線で先頭集団を捉えると、前年の有馬記念(G1)2着馬ポップロックを完封した。

 この勝利には主戦の武豊騎手も「今日はスタートも悪くなかったし、すんなりと良いポジションを取れた。今年の初戦をいい形で勝つことができた」と大きな手応え。アドマイヤグルーヴ、アドマイヤベガなど1990年代後半から、2000年代に掛けて栄華を誇ったアドマイヤ軍団と武豊騎手の名コンビから、また1頭スターホースの誕生を予感させた。

 その期待に応えるように、その後アドマイヤムーンは大きく飛躍する。続くドバイデューティーフリー(G1、現ドバイターフ)で念願の初G1制覇を飾ると、宝塚記念(G1)、ジャパンC(G1)も勝利。前年G1で辛酸を舐め続けた馬が、わずか1年で年度代表馬にまで上り詰めた。

 しかし、好事魔多しとは、まさにこのことか。そんなアドマイヤムーンの大団円は、アドマイヤ軍団と武豊騎手のコンビ解散、そして低迷という「長いトンネル」の入り口だったのだ。

 きっかけは、G1初制覇となったドバイデューティーフリーの勝利だった。同じく日本から遠征したダイワメジャーに前年の天皇賞・秋の借りを返したことはもちろん、この年のブリーダーズCターフ(米G1)の勝ち馬イングリッシュチャンネルや、G1を2勝するリンガリら世界の強豪を撃破。

 この勝利でアドマイヤムーンはその年の日本最高、世界でも7位となるレーティングを与えられ、世界にもその名を轟かせた。

 そんな日本の現役最強馬に目を付けたのが、世界最強の馬主軍団ゴドルフィンだ。前年のゴドルフィンマイル(G2)の勝ち馬ユートピアを約4億円で買い取ったゴドルフィンは、その後のアドマイヤムーンに40億円と破格のオファーを提示したのだ。

 まさにオイルマネーの力を見せつけられた格好だが、そんなビッグオファー成就の大きなカギとなったのが、ドバイデューティーフリーから約1か月後に行われた香港のクイーンエリザベス2世C(G1)だった。

 

 しかし、あろうことか後方からレースを進めた武豊騎手とアドマイヤムーンは前を捉え切れず3着に敗戦。わずか2週間前、同じような敗戦を1番人気に推された皐月賞(G1、アドマイラオーラ)で味わっていた近藤利一オーナーがレース後、武豊騎手に苦言を呈したのも無理はなかったか……。

 だが、それが両者の確執に繋がり、さらには長く続く凋落の引き金となった。

 アドマイヤ軍団と決別しても引く手数多だった武豊騎手だが、2010年春の落馬事故をきっかけに大きく低迷。2012年には過去最悪となる年間56勝まで勝ち星が落ち込み、引退説まで流れ始める始末だった。

 一方、アドマイヤムーンを40億円で手放したアドマイヤ軍団も、翌2008年の天皇賞・春(アドマイヤジュピタ)を勝利してから、2018年の朝日杯フューチュリティS(アドマイヤマーズ)までG1勝利から遠ざかる結果に……。

 アドマイヤムーンでドバイデューティーフリーを勝利した際は、これが武豊騎手と一昨年他界した近藤オーナーにとって、最後のG1勝利になるなどとは夢にも思わなかったに違いない。

 あれから14年。今週の京都記念にアドマイヤ軍団の出走はないが、武豊騎手はダービー馬ワグネリアンとの初コンビで復活の勝利を目指す。

 一時は絶縁状態にあったアドマイヤ軍団と武豊騎手だが、近藤オーナーの死去と遺言、そしてアドマイヤビルゴという大物の登場をきっかけにコンビが復活。来年は武豊騎手を背に京都記念に出走する本馬の姿が見られるかもしれない。

 


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