交通事故で四肢麻痺になって障害者支援施設に放り込まれ地獄の生活を六年目突入
障害者になったわたしは何を学習し何処に向かうのでしょうか?
■一般病棟に移されたわたしはボロボロでしたが
ジョクソウは頭・背中・腰・お尻とパックリ開いていて
体重も20キロ以上減っていましたが
回復することに関しては誰が何を言おうが疑わなかったです
入院中皇太子に御子様が生まれ
彼女が歩けるようになるのが早いか
生まれ変わったわたしが歩けるようになるのが早いか
などと考えていました
■入院中も現在もそれほど変わりませんがわたしは復活することしか考えていません
多くの人に復活は無理だろうと言われ続けましたが
誰が何を言おうが
そんな大切なことを決めるのは自分の意思だと言うことは
曲げないで貫いています
実際
感覚は広がってますから
■強そうな発言をしていますが「首しかない」四肢麻痺人間は弱い
知性の低い介護士に随分虐められましたし
先の見えない不安な生活を送るのはとても怖かったです
四肢麻痺のわたしが希望しないことを強制させる看護婦たち
これは
のちのち障害者支援施設でも同じでしたが
とにかく希望しないことを為されると言うことの恐怖は
なんとも言えない状況でした
特に呼吸器つけていたりカニュウレがついていて
声の出ていない頃は
地獄で釜茹でされてる罪人のような気分でした
■膀胱瘻つけたがる泌尿器科の先生と形成外科の担当の小川先生
病院の収入を考えてのことでしょうが
担当だった小川先生は膀胱瘻に関しては泌尿器科に任せましたから
と
逃げていったのを思い出しますが
だれもわたしの身体に責任をとって回復目指す人はいませんでしたが
そんなことはしょうがありません
自分のことは自分で面倒見ましょう
病院の先生であろうが
嫌なことは嫌だとはっきり断れる人間でいましょう
■本人の承諾なしで手術は出来ないはずですからセカンドオピニオン?使うなりして
やりたくない手術はきっぱり断りましょう
yozame
障害者になったわたしは何を学習し何処に向かうのでしょうか?
■一般病棟に移されたわたしはボロボロでしたが
ジョクソウは頭・背中・腰・お尻とパックリ開いていて
体重も20キロ以上減っていましたが
回復することに関しては誰が何を言おうが疑わなかったです
入院中皇太子に御子様が生まれ
彼女が歩けるようになるのが早いか
生まれ変わったわたしが歩けるようになるのが早いか
などと考えていました
■入院中も現在もそれほど変わりませんがわたしは復活することしか考えていません
多くの人に復活は無理だろうと言われ続けましたが
誰が何を言おうが
そんな大切なことを決めるのは自分の意思だと言うことは
曲げないで貫いています
実際
感覚は広がってますから
■強そうな発言をしていますが「首しかない」四肢麻痺人間は弱い
知性の低い介護士に随分虐められましたし
先の見えない不安な生活を送るのはとても怖かったです
四肢麻痺のわたしが希望しないことを強制させる看護婦たち
これは
のちのち障害者支援施設でも同じでしたが
とにかく希望しないことを為されると言うことの恐怖は
なんとも言えない状況でした
特に呼吸器つけていたりカニュウレがついていて
声の出ていない頃は
地獄で釜茹でされてる罪人のような気分でした
■膀胱瘻つけたがる泌尿器科の先生と形成外科の担当の小川先生
病院の収入を考えてのことでしょうが
担当だった小川先生は膀胱瘻に関しては泌尿器科に任せましたから
と
逃げていったのを思い出しますが
だれもわたしの身体に責任をとって回復目指す人はいませんでしたが
そんなことはしょうがありません
自分のことは自分で面倒見ましょう
病院の先生であろうが
嫌なことは嫌だとはっきり断れる人間でいましょう
■本人の承諾なしで手術は出来ないはずですからセカンドオピニオン?使うなりして
やりたくない手術はきっぱり断りましょう
yozame

交通事故で脊髄損傷になり障害者支援施設に拘束されています
わたしは障害者になってなにか学習したでしょうか?
事故から5年以上首一つの四肢麻痺障害者生活を続けています
■事故から意識が戻り思考が出来るようになってからの自分を振り返ってみます
事故直前から救急車に乗る前の記憶はありません
左に左折車
正面に被告の車
右には被告の後続車
被告の車はわたしの先行左折車にぶつかるかのように直近右折で迫っているので
左右とも避けることはできず
被告の車が先行左折車に突っ込んでくれたらわたしは助かるという判断で
ブレーキを握っていました
◎救急車にのせられて
息がしにくいことを訴え
携帯電話で家に連絡することをうまく伝えられないでもどかしい思いをしてる間に
意識がなくなりました
◎病院についてからの記憶は睡眠薬を与えられ強制的に眠らされてたので曖昧です
病院側で面会時間に会わせて意識が戻るようにされているのか
意識が戻る都度身内の情けなさそうな視線を投げ掛けてくるのが
痛くて嫌でした
いまだに事故後一週間か1ヶ月か?
その頃の記憶が曖昧ですが
そんな頃
ネガティブな視線を投げ掛けてくる人を遠ざけるようにしはじめました
ただその頃でもお気楽なわたしの性格が残っていて
障害者になったら障害年金でるはず・・幾らくらいでるの?
と
バイク仲間のガルさんに聞いたりしてました
一年もすれば回復すると考えていたもよう
▼事故後二ヶ月ぐらいのわたしのことを詳しく知りたいものです
身内の見舞いでさえ煩く感じ始めていたわたしですが
母親があれこれ親戚や近所のおばちゃんをつれてくるのには苛立ちました
それでもわたしは見舞い客にはできたかどうかわかりませんが
作り笑顔を振り向けていたと思います
yozame
わたしは障害者になってなにか学習したでしょうか?
事故から5年以上首一つの四肢麻痺障害者生活を続けています
■事故から意識が戻り思考が出来るようになってからの自分を振り返ってみます
事故直前から救急車に乗る前の記憶はありません
左に左折車
正面に被告の車
右には被告の後続車
被告の車はわたしの先行左折車にぶつかるかのように直近右折で迫っているので
左右とも避けることはできず
被告の車が先行左折車に突っ込んでくれたらわたしは助かるという判断で
ブレーキを握っていました
◎救急車にのせられて
息がしにくいことを訴え
携帯電話で家に連絡することをうまく伝えられないでもどかしい思いをしてる間に
意識がなくなりました
◎病院についてからの記憶は睡眠薬を与えられ強制的に眠らされてたので曖昧です
病院側で面会時間に会わせて意識が戻るようにされているのか
意識が戻る都度身内の情けなさそうな視線を投げ掛けてくるのが
痛くて嫌でした
いまだに事故後一週間か1ヶ月か?
その頃の記憶が曖昧ですが
そんな頃
ネガティブな視線を投げ掛けてくる人を遠ざけるようにしはじめました
ただその頃でもお気楽なわたしの性格が残っていて
障害者になったら障害年金でるはず・・幾らくらいでるの?
と
バイク仲間のガルさんに聞いたりしてました
一年もすれば回復すると考えていたもよう
▼事故後二ヶ月ぐらいのわたしのことを詳しく知りたいものです
身内の見舞いでさえ煩く感じ始めていたわたしですが
母親があれこれ親戚や近所のおばちゃんをつれてくるのには苛立ちました
それでもわたしは見舞い客にはできたかどうかわかりませんが
作り笑顔を振り向けていたと思います
yozame
