山形県のほぼ中央に位置する天童市は、東は奥羽山脈、西は月山に囲まれた盆地で、夏には日照時間月山が多く、冬は比較的積雪が少なく、落葉果樹に最も適した場所だそうです。
そんな土地で、40年近く前から、化学肥料に頼らず農薬の使用を控えた果樹栽培に取り組まれておられる方がおられたそうで、もうその方は他界されたそうだが、脈々と受け継がれる歴史の中で、化学肥料を一切使わず、完熟堆肥と有機質発酵肥料(ボカシ肥料)を主体に栽培をされているグループがあるという。
有機農業は最近でこそ、メジャーになりつつあるが、40年前の有機農業は一般的にどう受け留められていたのか・・・環境に負荷をかけない、土に戻す、循環型ではないと持続できない・・・と考えていた人がどれほどおられたのか(でもそれ以上前は、無農薬・無化学肥料があたりまえだったわけだが・・・)大変、不思議な想いがする。
何をするにしても、丸く円になって繋がること、いろいろな無駄や無理を省くこと、自然を第一義におくこと等々は大切なことはわかってはいるが、実践できないでいる私からすると、高度成長期を迎え、浮かれる世論をよそに、時代や世間を俯瞰した中で、本来あるべき姿を説き、自ら実行してみせる、その一点の曇りもない“こころ”の中に有機農業の本質をみる思いがした。
そんな土地で、40年近く前から、化学肥料に頼らず農薬の使用を控えた果樹栽培に取り組まれておられる方がおられたそうで、もうその方は他界されたそうだが、脈々と受け継がれる歴史の中で、化学肥料を一切使わず、完熟堆肥と有機質発酵肥料(ボカシ肥料)を主体に栽培をされているグループがあるという。
有機農業は最近でこそ、メジャーになりつつあるが、40年前の有機農業は一般的にどう受け留められていたのか・・・環境に負荷をかけない、土に戻す、循環型ではないと持続できない・・・と考えていた人がどれほどおられたのか(でもそれ以上前は、無農薬・無化学肥料があたりまえだったわけだが・・・)大変、不思議な想いがする。
何をするにしても、丸く円になって繋がること、いろいろな無駄や無理を省くこと、自然を第一義におくこと等々は大切なことはわかってはいるが、実践できないでいる私からすると、高度成長期を迎え、浮かれる世論をよそに、時代や世間を俯瞰した中で、本来あるべき姿を説き、自ら実行してみせる、その一点の曇りもない“こころ”の中に有機農業の本質をみる思いがした。