る戦後エネルギー源が石炭から石油へ大きく変化し、1970年代には国産木材の活用量が輸入量を下回ることになり、里山に木材が切り出されなくなったことは、私達の食生活にも間接的な影響を与えた。
当時里山には歩くことを邪魔すらぐらい松茸がはえていた、一方椎茸は食するにも“だし汁”を摂るにも重宝がられてはいたがなかなか入手は困難だったという。
その後、木材を使わなくなった里山では松茸がはえる環境が維持できなくなり荒れ果てた、一方余った国産木材を活用した人工栽培(原木栽培、菌床栽培) が可能になった椎茸は価格も量目も安定して供給出来るようになった。
暮らしが変わり、それにともなって生態系が微妙に変化したことで、いつの間にか高嶺の花になってしまった松茸、上手く活用されたことで庶民の食に定着した椎茸、それぞれ求めて得たものと、知らずに稀少なものにしてしまったもの、出来ればいろいろな視点や考え方を持って多様性のある環境な維持に努めたいものだ。
当時里山には歩くことを邪魔すらぐらい松茸がはえていた、一方椎茸は食するにも“だし汁”を摂るにも重宝がられてはいたがなかなか入手は困難だったという。
その後、木材を使わなくなった里山では松茸がはえる環境が維持できなくなり荒れ果てた、一方余った国産木材を活用した人工栽培(原木栽培、菌床栽培) が可能になった椎茸は価格も量目も安定して供給出来るようになった。
暮らしが変わり、それにともなって生態系が微妙に変化したことで、いつの間にか高嶺の花になってしまった松茸、上手く活用されたことで庶民の食に定着した椎茸、それぞれ求めて得たものと、知らずに稀少なものにしてしまったもの、出来ればいろいろな視点や考え方を持って多様性のある環境な維持に努めたいものだ。