百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

新しい農業

2017-12-21 22:14:25 | Weblog
お金のかからないものに
・太陽の光 ・時間 ・雨水 ・風
がある。
そんなお金のかからないものを大切に使うのが農業であり、そんな大きな自然の恵みを充分に頂きながら持続的に永続的に進めていくのが農業である。
野菜は80〜90%、水分で出来ている。農家は水を売っているようなものであり、不思議なことに最も栄養価が高い時期(最盛期)がもっと安価になってしまう。
農業は大規模に効率的に進めることも可能だが、大規模にしたからといって低コストになる訳ではなく、効率を追求すると品質の維持にコストが逆にかかってしまう。
つまり農業の本質はお金のかからない自然とどう寄り添えるかが鍵であり、その土地その土地でその時期その時期に食べる(食べられる)モノをきちっと生活者に提供することが大切なのである。
タイトルで「新しい農業」といっているが、何も「新しい」訳ではなく、明治以前の農業を真摯に行うことが大切であり、無農薬で無化学肥料で土壌の“力”を活用することでそれなりの農業を続けることは可能であり、最近では無施肥でもそれぞれの環境に合わせた農業ができることが実証されている。科学で論証することも何割かはできるが、また基本を学ぶことは可能ではあるが、やはり感性(感じるチカラ)が大切であり、常に更なる高みを目指す姿勢が大事だと思う。

楽を求める心

2017-12-20 23:23:53 | Weblog
便利になったことで、失われていく、失っていくものも実は多い。
カーナビが普及して道を覚える能力が低下し、
PCを活用することで漢字が書けなくなった、
便利になったようで時間にますます追われている等、
便利、楽を求める心と何故生きるのかという哲学的な命題を対峙させると、
そこには人間にしかできないもの、
地球がわれわれに望んでいることがみえてくるのではないか。
地球上に存在するもので、望まれていないものはいない、すべてがなんらかの役割を担って存在するとすると、われわれは何を使命としてこの地球に存在するのか?
現代社会に生きるわれわれの論理ではなく、われわれは常に能力を向上させ、未来、将来の人類が地球にどう貢献できるか問いかけたい。

これからの農業

2017-12-19 23:44:58 | Weblog
農業に従事し、感じ考え思ったことは、「生き物は生きている」ということ。
「生き物は必死に生きている」という、ごくあたりまえだが、そこにあるのはわれわれ人間が忘れている自然の真理だった。
生きることに理由を見いだすのではなく、生きることに誠実であり、生きることに真摯に向き合い、決して生き物は楽をしようとはしていない。瞬間瞬間を必死に生きて、決して自分だけのことを考えているのではない。相手や周り、祖先の強い意思を引き継ぎ、子孫の将来に夢を託す。生き物の宿命を素直に受けとめ、運命として切り拓いていこうとしている。
そんな生き物と共に生きる農業に従事しているとなんとも日々が楽しくて仕方がない。
楽すると楽しさにはなかなか出会えない、苦労するからこそ楽しくなる、そんな農業の本質を、「これからの農業」の魅力としてもっとうまく伝えられる方法はないものか一度じっくり考えてみたい。

プロデューサー

2017-12-18 21:14:22 | Weblog
戦後、第一次産業は衰退する一方で、今や就業人口の約7割が第三次産業に従事していて、昭和初期に2人のうち1人が従事していた第一次産業は今や5.1%(平成17年)の人しか従事していない、おそらく更に低下するだろうと言われている。
小作から自作になったものの、農業所得よりも給与所得の方が断然いいということで農地を活用することをやめ街に出て行った者達が多数を占める一方で政府は今後日本の農業を担うのは大型農業しかないといっている。
本当にそうなのか?今までいろいろな施策のもと、大概政府に農家は騙されてきた。でも農家も頭を使うことや身体を使うことが共に嫌でも、なんとなく政府の言いなりになってきた。どちらかというわけではなくお互い様ということか。
確かに、戦後の機械化、単一化、商品化を図った近代農業の一面は正しいのかもしれない、しかし農業は社会性や地域性、そして環境的な側面で決して利益は生み出さないかもしれないが、自然からの大きな恵みを頂き、持続可能な社会の礎となることはほぼみんなが理解できることではないだろうか。
これを欧州のように保護しつつ守るのか、米国のように民営化を図るのか、早晩その結論を迫られる状況になるだろう。
その際、われわれは今一度日本のこの環境の良さに目をつけ、地方に生き残る農業の在り方を再提案すべきなのではないだろうか。
農業者は技術者であり芸術家でありプロデューサーであるべきなのでないかと思う。
そしてその地域地域でそれぞれの特徴を活かし「場所」「気候」「土壌」などの自然環境を大切にしたテロワールを価値とした農作物を育み生活者へ届ける役割を担う時代を迎えつつある。

雪道

2017-12-18 00:21:48 | Weblog
雪道での走行にこんなに難儀したのは数十年ぶりだった。
平地では降雪もなく安心して走っていたが、山道に入ると急に雪の量が増え、いつもより道幅も狭くなっている。
今日は日中も気温は上がらず夕方からは更に温度が低下した。
氷点下だ。
まだ上りはいいが、下りには気を使う。
日陰に入ると完璧なアイスバーン、
ブレーキは決して踏めない。
対向車がないことを祈りつつ、
ゆっくりゆっくりカーブを曲がる。
随分前、北海道に住んでいる時に、
アイスバーンの雪道の下りのカーブで何度か「アッ! 死んだ!」と思ったことがあった。
あの時の記憶が蘇る。
あまり人生、無理をするものではない。

日々、いろいろなことがあり、
いろいろな方々に支えられながら、
一歩一歩前進してきているはずなのに、
もっともっと感謝して謙虚に生きていく
必要がありそうだ。
そんなことを教えてくる今日の「雪道」だった。

人工衛星

2017-12-15 22:53:39 | Weblog
早朝から“ふたご座流星群”を観るべく早起きする。
真っ暗な東の空には三日月があり、雲ひとつない晴天、絶好のチャンス。
なんとか“ふたご座流星群”を15分の間に3ツ観測することができた。
でもその間に西の空に朝陽を浴び、ゆっくりと北の空に向かう人工衛星を2ツも観ることが出来、大満足の寒い朝。

雪の朝

2017-12-14 21:01:36 | Weblog
初雪です

昨夜は“ふたご座流星群”を寒空の下で観る予定だったのですが
生憎の時雨でまったく観られませんでした

そんな中、朝起きるとうっすらと雪景色に

今日は赤穂浪士の討ち入りの日
映画ではしんしんと降る雪のシーンで有名だが
実は当日は雪ではなく前日が雪だったという
ということは13日の朝
こんな感じで積雪があったということか
と300年以上も前の時代を想う「雪の朝」

事始め

2017-12-13 21:50:40 | Weblog
12月13日は事始め
昔はこの日に、お正月に必要な薪等、木を取りに山へ入ったという

祇園等、花街では舞妓さんや芸妓さんが1年のお礼や新年の挨拶のために、踊りのお師匠さんやお茶屋さんを訪れる
特にお世話になっているところには“鏡モチ”をお届けするという
上方の落語家さん等も“鏡モチ”を師匠に届けるという、その際に師匠から“扇子”と“手拭い”を戴き、食事をする際には「戴きます」ではなく「お祝いやす」を唱和するという。