毎週小説

一週間ペースで小説を進めて行きたいと思います

武蔵野物語 64

2010-02-24 19:06:32 | 武蔵野物語
「お父さんより、女の子がずっと早いわ」
父親と姉、弟らしいランナーが走っていたが、その11,2才位の女の子が、二人を置き去りにする様な勢いで遠くなっていく姿を、ゆりこは楽しげに追っていた。
「今度、2月に行なわれる東京マラソンの練習を、いまから始めているんじゃないかな」
「抽選で、倍率も高いんでしょう、出場するだけでも大変ね」
「仕事の後、着替えをして、預かってくれる店もあるんだって」
ゆりこと語らっていると、まるで空白などなかったみたいで、日比谷公園に向かって自然と足が動いた。
日比谷と反対の霞が関側にある古いレストランは、緑に囲まれ、趣のある結構有名な店で、二人はここでランチ兼休憩を取る事にした。
「やはり、都会のオアシスね」
「カレーやビーフシチューは好評だよ」
「私、カレーにしようかな」
ゆりこは満足そうに微笑んでいる。
誠二は久し振りにま近で表情を窺ったが、以前と全く変化はない。
「なにをそんなに見ているの?」
「いや、かわってないなと思って」
「どこもかわらないわ、変な人ね、誠二さんこそ、誰かいい人でもできたんでしょう」
「そんなの、いやしないよ」
「そうなの、顔が赤くなってきたわよ」
誠二は逆に見透かされている気がした。
「実は、前に話したかもしれないけれど、僕が世話になっている画廊の社長がいてね、そこに勤めている女子社員が、黒木 卓の娘だったんだよ」
「まあ、偶然って有るものね」
「それでこの間、食事に誘って、お父さんを紹介して欲しいと頼んでおいたんだ」
「そのこ、可愛いのね」
「まだ大学を卒業したばかりだよ、そうしたら、帰ってきてますって連絡があったんだ」
「総務の友達に聞いたら、一ヶ月は東京に居るそうよ」
「そうか、じゃあ、はやい内に会った方がいいな」
「私は同じ会社なので、直接は手伝えないけど」

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武蔵野物語 63

2010-02-16 12:12:50 | 武蔵野物語
部屋は簡素なものだった。建物は新しくて綺麗なのだが、家具があまりなく、越してきたばかりのようだった。
「まだお金がなくて、この通りなんです」
でも、W社のカップで入れてくれたコーヒーは、そこいらのカフェとは比べものにならないくらい美味しかった。
「こんなコーヒー、しばらく飲んだことがないな」
「そうですか、適当にブレンドしてみたのですけど」
「ところで、あなたのお父さんに一度会わせてくれないかな」
「どういう用事なんですか」
「実は、将来自分で店を出したくてね、場所の良い所を紹介して貰いたいんだ」
「井坂さんは、うちの社長の仕事を手伝うのでは?」
「社長には黙っていてね、まだ気持ちが固まっていないし、いまから時間を掛けて計画を練っていきたいんだ」
誠二は出まかせ気味に喋ってはいたが、満更嘘でもなかった。
小島社長は、本当に親代わりに思っていてくれる大事な人だが、それだけに利害関係を築きたくない、あくまで親戚に近い存在にしておきたかった。
自分の好きな絵画やインテリアを置き、佳子の入れたコーヒーを飲める店、そんな空想がよぎり、現実逃避の安らぎの中に、一瞬だが身を置いた。
彼女はまだ居て欲しそうだったが、父親が戻ってきたら連絡をくれる約束をして帰路に着いた。
 
それから3週間が過ぎて、佳子から父が帰ってきているのでいつにしますか、と電話が入った。
誠二は黒木に会いに行く前に、ゆりこと打ち合わせを兼ね、久々に都心に向かった。
最初の出会いから思い出してみても、殆ど二人が住んでいる近くばかりで、都心にゆっくり行ったことはなかった。
まだ梅雨の明けていない時期だったが、その日は曇りで歩くのに程よい気温だったので、東京駅から和田倉門に出て、内堀通りから竹橋方面を眺めた。
皇居一周5キロを、時折小さな子供も交えながら、大勢の人々が走っている。
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武蔵野物語 62

2010-02-12 20:51:03 | 武蔵野物語
佳子の話を気長に聞いていると、黒木の過去が少しずつ分かってきた。
不動産業は50才頃から本格的に始めたもので、それ以前は殆どロシアか中国に行っていたという。
ただ、何をしていたかは全く知らなくて、一度聞いてみたときも、いろいろな事をしてきたよ、と語ったそうだ。
誠二はもっと話を聞きたいのと、一緒にいたい気持ちが半々で、この後どうしようか迷っていたが、佳子の方から誘ってきた。
「私、明日は休めるので、どこか行きません?」
「僕はいいけど、どこにしようかな」
「すぐ近くに、狭いけれど落ち着いて飲める所があるんです、そこも社長の知っている店なんですけど」
「社長が来るんじゃないの」
「今日は大丈夫ですよ、疲れたのでまっすぐ家に帰るって言ってました」
佳子に伴われて行ってみると、地下の小さなカウンターバーだが、マホガニー調の静かな雰囲気の店だった。
すっかりくつろいだ感じの佳子は、飲むペースも速くなってきた。
アルコールに強いのは、母親に似たそうだ。
2時間経っても一向に帰る素振りをみせない。
誠二はこの頃、ゆりこから遠ざかっているせいもあり、佳子に強い興味を覚えた。
「どこに住んでいるの?」
「根津です」
「根津って、あの根津神社のある所?」
「ええ、一人住まいなんですけど」
「帰りは大丈夫かな」
「地下鉄の駅から近いから」
「そう、根津神社は何回か行ったことがあるよ、左側の、鳥居のある道は風情があって好きだな」
「そんなに気に入っているのなら、送って貰おうかしら」
佳子が急に大人びて見えた。
まだ学生っぽさが残っていると昼間は感じていたが、今隣りにいる彼女は、成熟した強かさを充分身に付けた女性になっていた。
地下鉄を一度乗り換えても、20分程で根津駅に着いた。
「私コーヒーが好きで、自分で豆を挽く事もあるんです」

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武蔵野物語 61

2009-11-08 20:39:10 | 武蔵野物語
「黒木不動産・・お父さんはそこに勤めていたの?」
「いえ、自分で商売をしていて・・・実は、父は黒木で、深沢は母方の姓なんです」
「黒木って、もしかすると黒木 卓という名前ではないのですか?」
「そうです、父をご存知なんですか」
誠二は巡り合わせと共に、ようやく確信に迫って流れ出したと実感した。
「直接会ったことはないんだけど、仕事関係でちょっとね・・深沢さん、近い内に飲みに行かない、僕は今日でもいいけど」
「今日ですか」
佳子は呆れた顔をしたが、誠二はこのきっかけを逃したくなかった。
「特に予定はありませんけど、井坂さんはいつもそうやって女性を誘うのですか?」
「初めてですよ、いきなり今日なんて、でもどうしても、もっと話がしたくなって」
「特に予定はないんですけど・・」
「このすぐ近くに、知り合いの居酒屋風の店があるんですよ」
「早い時間でしたら」
「長くならないようにしますから、夕飯のつもりで、じゃあ約束しましたよ、社長には黙っていてね」
待つ場所を決めて、一旦別れた。
佳子は家の用事があることにして、早や引きして出てきた。
「仕事の方は大丈夫だったの?」
「ええ今日は暇で、普通のOLみたいに、5時過ぎに帰れるなんていいわね」
まだ夜に入る前の、黄昏の銀座で待ち合わせ、二人は華やいでいた。
早い時間に店に入ったので、最初の客だったが、1時間過ぎるとかなり混んできた。
佳子は相当飲めるらしく、目のまわりが桜色になってきている。
「さっきも話した様に、父と母は正式には結婚していないんです」
「そう・・でもこれ以上聞かない方がいいのかな」
「平気です、私、それに井坂さんはいい人だから」
「まだ会ったばかりだよ」
「私には、いい人は直感で分かるんです」
そう言って、光る瞳を誠二に向けてきたとき、金星の輝きを感じた。
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武蔵野物語 60

2009-06-28 18:29:14 | 武蔵野物語
「僕が、後を継ぐのですか?」
「そうだよ、君の事は充分理解してるつもりだ、この仕事も信用第一だからね、人柄が大事なんだ」
「でも、全く経験も知識もないんですけど」
「それはこれから覚えればいい、全部教える、どんな職業でも最後は結局気持ちだよ、当り前の事だけど」
誠二は返事に窮してしまった。いまはその気になれないが、すぐに断る訳にもいかないし、といって曖昧な態度はもう通用しそうにない。
その時、佳子がまた呼びに来た。
「社長、いつもの山崎様がお見えです」
「そうか、約束がしてあったな、誠二君、きょうはこの後会えそうもないので、よく考えておいてよ、今週こちらから連絡する、お昼は深沢君と一緒に行ってくれ、僕の名前で何でも頼める店だから」
そう言うと足早に去っていった。
誠二は逃げ出したい気分だったので、本当にほっとした。当分ここへ来るのはやめよう、アルバイトでもいいからすぐに働きに出よう。
そんな考えで一杯になっていたが、佳子の声が、息が感じられる様な近くで聞こえてはっとした。
「あのう、レストランはあちらなんですけど」
「いやどうも、お昼までつき合わせてすいません、いいんですか?」
「こちらこそ、サインで好きなものを食べられますから」
佳子は嬉しそうに瞳を輝かせた。
イタリアンレストランだったが、少し早い時間に着いたので空いていた。
「深沢さんは東京育ちなの?」
「そうです」
「ご両親は」
「いまは母と住んでいます」
「そう・・いや、プライベートな部分を聞いてしまって」
「いえ、父とはずっと会っていなかったのですけど、ここの就職を世話してくれました」
「じゃあ、お父さんと小島社長が知りあいなんだ」
「そうです、社長が銀座で画廊を始める時、父が斡旋したそうです」
「不動産業をやってたんだね」
「当時は黒木不動産だったそうです」
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武蔵野物語 59

2009-06-23 20:05:06 | 武蔵野物語
30分程話していると、若い女性が急ぎ足でやって来た。
「社長、お客さんなんですけど」
「ああ、約束があったな、誠二君すぐ済むから待っていてくれ、深沢さん、僕が戻るまで相手を頼むよ」
小島は一方的に話すと喫茶店を出ていった。
誠二は戸惑ったが、相手も緊張している。
「すいません、僕は一人でも構いませんから」
「いえ、あの私、深沢佳子と申します、4月からお世話になってます」
「井坂です、今年卒業されたのですか」
「はい、T美術大学を卒業しました」
「じゃあ、将来は画家になるんだ」
「なりたいけど、才能がなくて」
「でも好きなんでしょう」
「ええ、あの井坂さんは描いていらっしゃるのですか」
「気が向いたときにね」
「そうですか、今度ぜひ見せて下さい、私、ひとに見せられるものはまだ描けないんです」
「あなたがそう思っているだけですよ、気楽に友達にでも見て貰えばいいんじゃないですか」
「そうですね・・そのうち」
雑談をしていると、1時間足らずで小島が戻ってきた。
「やあ待たせたね、深沢さん、ご苦労さん、ゆっくり休憩して」
「有難うございます」
去っていく後姿も初々しかった。
「気立てのいいこだろう、健康そうだしね」
誠二の家庭をよく知っているだけに、考え深げだった。
「小島さんには、本当にお世話になっています」
「いや、誠二君のご両親は事故で早く亡くなってるからなあ、うちは娘二人がサラリーマンと結婚して、僕の方には見向きもしてくれないんだよ」
「そうですか、話せば分かるんじゃないかな」
「だめだよ、上の娘なんか、旦那の転勤について中国へ行っちゃって、いつ帰れるかわからないんだ」
「でも社長はとってもお元気そうですし」
「後継者を育てる時期なんだ、遅い位だよ、それでね誠二君、この仕事を将来任せてもいいから本気で手伝ってくれないか」
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武蔵野物語 58

2009-06-17 18:20:03 | 武蔵野物語
誠二は、暫く就職活動をしないことにした。
少しだが退職金も入り、元々サラリーマン生活はあまり興味がなく、今後どうやって暮らしていくか、考える時間ができ、かえって嬉しかった。
妻敦子の親は、土地をかなり持っていた資産家で、敦子が勝手に山梨の家に行ってから、誠二は一度も仕送りをしていないが、あちらもあてにしていない様だ。
誠二の両親はとっくに亡くなっているが、その時の生命保険金はまだ残している。
小さな店を一件出す位の資金はあるが、妻には話していない。
誠二は久し振りに、銀座の画廊に個展を見にいった。
自分で売れる絵を描くことはまだできないが、学生時代は、あらゆる個展や美術館巡りをしたものだ。
きょう訪れた小島画廊のオーナーとは、美ヶ原高原美術館で偶然知りあった。
誠二は車で行ったのだが、小島は松本からバスを利用してきた。
ところが急用ができ、タクシーを呼んで貰おうとしていたところを、近くで聞いていた誠二が、松本まで送りましょう、と申し出た。
誠二は松本の温泉に一泊する予定だったので、帰り道ですから、と話したところ、小島はとても喜んで、松本に着くまで絵画の話題が尽きず、降りる時、ぜひ一度遊びに来て下さい、と名刺を置いていった。
それ以来、気が向く度立ち寄っているが、いつも近くのコーヒー自慢の店に誘われる。
その日も顔を合わせた途端、いこう、の一言でコーヒーを飲みに出た。
「いや、助かったよ、きのう付き合いで飲みすぎちゃって、きょうのお客さんは君が一番目だから」
「この近くで飲んだのですか?」
「そうだよ」
「高いんでしょうね」
「いや、知り合いの店だから、それよりこの間の件、考えてくれた?」
誠二が失業しているのを聞いて、仕事を手伝ってくれないか、と誘われている。
もう人に使われる仕事はしたくなかったので、はぐらかしていたが、相手は熱心だ。
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武蔵野物語 57

2009-04-28 19:04:34 | 武蔵野物語
「相変わらず 椿 で飲んでいるのね」
「他にいくところもないしな」
「お父さん、看板まで居ることも多いんでしょう」
「うん、大体ね」
「遅い時間によく来る人っている?」
「遅くって・・酔っちゃってるからよく覚えてないけど、そういえば時々、会社の役員風の人を見かけるな」
ゆりこは黒木の人相を伝えてみた。
「そうそう、そういう人だよ、知り合いなの?」
「うん、ちょっと仕事関係のね」
やはり黒木は時々戻っている。近くに居れば追求しやすい。

年が変わり、3月の年度末まではとても忙しく、深刻な工業関係の製造業に比べると、別次元の売り上げアップになっていた。
新年度からは社員の補充も決まっているが、それまでは全員毎日残業続きで、土曜出勤も多い。
ゆりこは広報担当の責任者も兼任しており、目が回るほどで、プライベートは殆どなかった。
その多忙な3月に、父の元に戻ることにした。一人暮らしの気安さに慣れたところだったが、父の面倒をみてくれるひとはまだ表れず、血圧も高めでお酒のチェックも必要だった。自身も夜遅く、誰もいない部屋に帰るのも無用心と思っていた。
4月になったある日曜日、遅めに起きたゆりこは、ひじり坂から桜ヶ丘公園に向かい、考え事のある時も決まってここを歩くのだが、いつも座る公園のベンチに腰掛けた。
近くに赤いシャクナゲなどが早くも咲き始め、橋近くの桜が咲いている下で、家族が輪を描いている。
いつか何処かで見かけた風景と、現在の情景が交差して、懐かしさを覚えた。
ふと誠二に連絡を取りたくなったが、忙しい日々の中、田口と仕事を組んで彼の実家まで行った、そういう迷っている自分の姿を見透かされそうで、素直になれなかった。
一方、順調なゆりこの会社と対象的に、誠二の勤め先は大幅に業績が悪化してきた。先の見込みも厳しいと判断した結果、3月で退社した。
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武蔵野物語 56

2009-03-07 21:21:39 | 武蔵野物語
純和風の部屋に通された。
「お茶室みたいですね」
ゆりこは京都に行った気分になってきた。
「お茶の会も時々ここで開かれるものですから、沢田さんは習った事があるの?」
「学生時代は茶道部にも所属していたので・・少しの間ですが」
「まあそう、着物が似合いそうね、想像していたよりもずっと綺麗よ」
「恐れ入ります」
「良太がね、この頃あなたの話ばかりするので、一度はお会いしたいと思っていたのよ」
「母さん、以前沢田さんの家に泊めて貰ったりしたので、お礼の意味もあってと言っただろう」
「随分酔っ払ったそうね」
「私の父が勧めたものですから、却って迷惑を掛けて、すいませんでした」
「ゆりこさんは気にしなくていいんだよ、僕も楽しかったんだから」
「あなた、ゆりこさんに絡んだんじゃないの、お酒の勢いで」
「そ、そんな事なかったよ、ね、ゆりこさん」
ゆりこは、くすっと笑ってしまった。
「ほら、何か言ったのよ、それとも行動にでたの?」
「何にもしてないよ」
「お父さんにそっくりだからね、そういうところは」
話が盛んになってきた頃、食事が運ばれてきた。
「急だったもので馴染みの料亭から運んでもらったのよ、懐石風のお弁当って感じね。ゆりこさん、ゆっくりしてって下さいね、帰りは車で送らせますから」
「そんな、帰りは大丈夫ですから」
「会社の車がもう来てるから、遠慮しないで乗っていってよ、その方が安全だから」
ゆりこは恐縮すると同時に、来なければよかったとも思った。
自分とはかけ離れた世界の家庭に、迷い込んだ小鳥の様に、そぐわない落ち着きのなさが身にしみていた。
2時間半程居て、黒塗りのクラウンで聖ヶ丘まで送って貰った。
「こんな時間に珍しいね、今日は来ないと思っていたよ」
「お父さん飲んでないの、具合でも悪いの?」
「いや、今週飲み過ぎでね」
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武蔵野物語 55

2009-01-03 10:46:22 | 武蔵野物語
田口はゆりこと共に調査を依頼されてからは、殆ど毎日国立に出社する様になったが、水野所長は黙認していた。田口は将来の幹部候補なので、気を使っているのだ。
調査そのものは、契約をしている探偵社を使うことができるので、営業にはあまり支障はなかった。電話での指示が主になる。
金曜日の夕方、新宿で仕事が一段落して、国立に戻らなくてよくなり、ゆりこが帰ろうとすると、田口が話しかけてきた。
「あのう、ゆりこさん、きょうは帰られるだけでしょう」
「ええ、父の夕食の用意でもしようかと」
「よろしかったら、私の実家に寄っていきませんか」
「あなたの実家に?」
「四谷で近いし、母にあなたのことを話したら、ぜひ一度連れていらっしゃい、と熱心に言うので」
「でも私、急にそう誘われても・・・」
「僕もゆりこさんの家に泊めて頂いたり、仕事もまた組む事になって、縁も感じるから、気楽にちょっと寄っていきましょう」
田口は実家に電話を入れると、半ば強引にゆりこを中央線に乗せた。
家は市谷に近く、一部私道になっている路地を上ると、つげの木が植えられている
玄関に、田口の表札が見えた。
塀で中は窺えないが、それ程広くはないらしい。ゆりこはいままでにない緊張感で足取りが重くなってきた。
「ゆり子さん、歩かせてしまってすいません、家の車もいま出ているものですから」
玄関を開けながら話していると、お手伝いさんが慌てて来た。
「気づくのが遅れてすいません、あの、タクシーではなかったのですか」
「うん、拾えなかったので歩いてきたよ」
「まあ、歩いてきたの、駅から」
すぐ後ろから母親が現れた。
「あ、お母さん、こちらが沢田さんです、沢田さん、母です」
「急にお邪魔してすいません、沢田ゆりこと申します」
「初めまして、よくいらして下さいました、結構歩いたでしょう、さ、どうぞ中へ」
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