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フクロウの街 16

2016-08-17 07:03:00 | ヒューマン
夏生まれの靖子は8月が苦手だった。
普通生まれ月に愛着があるはずだが、夏になるとすべてが終わってしまう、そんな気持ちが覆いかぶさり、一人知らない土地に逃げひっそりと生きる、それが一番落ち着いていられると今でも思い込んでいた。
昨年その思いから長期休暇を取り、あてのない旅に出てみた。
半世紀以上前の小説に出てくる温泉地だが、今は新幹線でトンネルを抜ける身近な観光地になっている。
靖子が訪れたのは9月に入ったばかりの頃で、夏休みの喧騒が過ぎ、初秋の爽やかな風が高原のコスモスをゆらしていた。
チエックイン前に着いてしまったので、小説に出てくる景色の場所までゆっくり下っていった。
樹齢数百年だろうと思われる杉の木がそびえ立っている神社に入った。
木陰は涼しく、石畳に腰掛けていると時を忘れてしまう。
いままでの間違いだらけの生き方、取り戻せない過去、将来の希望など近頃は考える事なく過ごしていた。
自虐的な気分で立ち上がり、神社の裏手に進んで行くと、突き当たりの先に山あいに囲まれた街並みが見下ろせた。
遠く小さな玩具の様な家が綺麗に見え、そこに人が住んでいるのは却って非現実的に思えた。
少し下って共同湯の方に行こうとしたところ、急に黒い雲が迫ってきたので、慌ててホテルに向かった。
部屋にも入れたのだが、ホテルのカフェがいい感じだったのでコーヒーを頼んでくつろいだ。 
客は他に男が一人本を見ているだけだった。
芳香豊かなコーヒーを飲んだ後部屋に荷物を置き、有名な小説家が逗留して名作を生み出した部屋を見にいった。
こじんまりした当時のまま保存されている。
一人小説の世界に想いを馳せていると、人の気配がして、振り向くと男が近づいてきた。
「やはりこういう部屋なんですね」
独り言の様に話しかけてくる。
靖子は黙っていたが、男は気にせず見回していた。
「ここのコーヒーはいいですね?」






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