息子高3の、9年前の今日。
高校から始めたハンドボールを命がけでやってた頃。
都内最弱の、校内でも潰す予定のあったハンドボール部。
顧問教師はハンドボールを知らず、
最弱部だから、常でも練習場を与えられず冷遇され、
しかも、学校の体育館や校舎を改築中で、最悪の環境にいて、
中学まで野球をやっていた息子がキャプテンになり、
ウダウダやる気のない子は話して退部させ、
(当初憎まれたけど、退部した子らは別のやりたいことを見つけた)
廊下を走ったりストレッチし、OBに頼んでグランドを借りて練習し、
残った子らを奮起させて、1試合勝ち、1試合勝ち、
他校ハンドボール部の顧問らに褒められアドバイスを受けながら、
1年半で最終成績都内ベスト16まで押し上げた。
あの時期、家族も最悪期にいた。
息子高2の夏にヒデオが自殺。
母は、債権者や会社役員達と毎日電話や書類の戦い。
(これに負けないために、ビールを飲んで対応してた)
ビデオ姉からは、ビデオに貸した借金の取り立て。
私に返す義務は全くないが、納得しなかった。
そして追い討ちをかける心的ダメージは、
新潟の祖母の本格的認知症発症の対策に実家通い。
実家の母親の憎まれ口が一番辛かった。
子ども2人の相続放棄や親権や戸籍の変更。
息子の転校や娘の大学退学を考え、
実家への一家移住も考え、
しかし息子の都内進学を考え、新聞奨学生を考え。。。
内縁の妻との裁判。裁判資料集めに奔走と作成。
これも非常にキツイものだった。
娘は、最愛のパパの死に絶望して家を飛び出した。
だけど、パパを愛するがゆえ、
19歳で、母と一緒に債権者や会社役員に立ち向かった。
娘がビデオ実家と断絶したのも、この時の事が原因だ。
我が家は、家財の9割をエイッと捨てて、
小さなアパートに息子と引っ越し。
生前からビデオが嫌いだった息子は、
ビデオ騒動に関わることを一切拒絶した。
それでいいと私も言った。関わってはいけない。
しかし、息子も当然大きな傷を負っていた。
その只中だ。
17歳18歳の、人生の最悪期。
息子は私の元にいて、じっと私を見ていた。
私を支え、自分のやるべきことだけに専念した。
息子は前しか見なかった。
たった1人やる気を出せば、そんなことが叶う。
息子の高校の教師らも、我が家の状態を知っていた。
全然スポーツ高でなかった元お嬢様高の先生達は唖然とし、
教師全員一致で、息子は校内の運動部総部長に選ばれた。
卒業には、東京都知事賞の表彰を受けた。
昨日の息子の電話では、
業界最大手コ●ミが、100何店舗かを閉鎖するとか。
ヤバイよ、うちも崖っぷちだ。とのこと。
社長は元々が運動部系の営業畑出身の人だそうで、
今回の非常事態宣言が出た時は激怒したとか。
各店舗支配人達も、会社と命を共にして、
もうここまできたら、悪い方に考えても無駄だから、
全力で立て直すと意気込んでいる、そうだ。
鍛え抜かれた体育会系の素晴らしさ。
もちろん俺も、その気だよ!!と息子が言う。
やれるよ、きっと策はある。
収束後に生活形態が変わろうとも、
やる気があれば道は見つかる。
君はやれると母は信じます。
あの時に比べたら、今は君個人にとっては、全然マシです。
君なら必ずやる。
にしても、
トチジだのソーリだのオミさんだの、
テレビに煮え繰り返る怒り。
日本をどーする気だ!!