ともちゃんの湯巡りと日帰り撮影隊の記録

公休日に出かけた先の温泉や風景をアップしてます。

お雛様

2009-03-03 20:47:00 | 日記
主人が事故に逢ったのは娘が1歳のとき。二人の乳飲み子を抱え、ただただ主人の介護に没頭し、お雛様どころではなかった。

娘が結婚し、初めて妊娠したとき
「お母さん、女の子が生まれたらお雛様を買って頂戴ね*(びっくり2)*」と言われたが産まれてきた孫は二人とも男の子でお雛様を買うチャンスに恵まれないでいる。

小さいとき「お雛様が欲しい*(びっくり2)*」とか「家にはどうしてお雛様がないの*(はてな)*」などと言ったことなどなかった娘、本当はその言葉が喉の奥に引っかかっていたのだと思う。

寝たきりの主人、介護する私の姿にその言葉をぐっと飲み込まぜるを得なかった状況があった。

小学生のとき、家庭訪問に来られた担任の先生が
「この間、親の仕事のことについて作文を書かせたんですが、00さん、私のところに来て「先生、内職も仕事ですか*(はてな)*」って聞きに来たんです、今日、お尋ねしてその質問の意味が判りました」

寝たっきりの父親を持ち、育った娘、その娘の考え方に明らかな変化をもたらしたのは日本育英会が開いていた「交通遺児のつどい」への参加だった。

何処でどう聞き及んだのかは知らないが高校に進学するとき、交通遺児育英から奨学金の案内が届いた。その育英会の年間行事の中に毎年、夏に開かれる「つどい」があった。全国の交通遺児たちが一同に集い、語らう会。

娘は高校2年と3年と2回、参加した。
交通事故で親を亡くした子供達はもちろんのこと父親が蜂に刺されて亡くなった子や父親に母親を殺された子など様々な境遇の子供達。

2回目の集いに参加して、娘は始めて社会における自分の立場を理解したようだ。集いでは自分史を語らう時間もある。もちろん強制ではない。もし娘が自分史を語ったのであればどんなことを語ったのだろう*(はてな)*

高校を卒業しても育英会で仲良くなった子たちとの交流は続き、娘の結婚式に東京から来てくれた仲間もいた。

*(テレビ)*から流れるお雛様のメロディーにいろんな想いがこみ上げてきて*(涙)*を流しながらの夕食つくりだった*(汗)*

もし、もし3人目が出来て女の子だったらお雛様を買わなくては*(笑顔)*

コメント
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