今日は月に2回の自治会公民館の掃除当番だった。
上・下組から2人1組、でも段々別々に、一人で
月1回ずつするという事が多くなった。
今日は久し振りに二人でした。実は幼馴染み。
彼女は一人娘さんで家を継いでいる。私は実家の
隣に家を建てて、実家も継いでいる。
性格も全く違う二人だが、お互い、家の事も全てを
知り尽くしている。掃除の後、久しぶりなので
お茶のみをして、来し方を振り返ったり、色々
話をして帰った。こんな友達がいるのは有り難い。
***
昔の話で、私が北海道に転勤で行った時の話をした。
「寂しくて良く泣いたわぁ。」と私が言ったら、
「こっちでは、婆ちゃん(私の祖母)がしょっち
ゅう家に来て、とても寂しがっていたよ。」との事。
昔から、祖母も彼女も彼女のお母さんも、お花が
大好きで、お互い花畑を見に行ったり来たりして
いた。でもその話は初めて聞いたような・・・・
・・。大好きだった優しい祖母を思い出した!!
小さい時よく病気をして寝込んでいた私。枕元に
は縫物などしながら、祖母がいつも私を見守って
くれていた。小学校卒業するまで、祖母の布団に
入り込み抱かれて寝ていた。冬は暖かだった。
母が何度も入院したし、酪農兼農業で忙しかったの
で、私のお医者行きは、祖母が殆ど付き添いだった。
PTAも祖母が来てくれたりした。お寺参りとか、祖
母のお出かけに、金魚の糞みたいにくっついて行った。
小学校の時は、3日おき位で切り花を持たしてくれた。
姉も妹もいるのに、私祖母を独り占め?ではなく、
誰にでも分け隔てなく、近所の子にも優しかった。
お花は近所のお家にも、配って歩いていた。祖母
との思い出はキリがない位、次々湧いてくる。祖
母から学んだことも多かった。婆ちゃん今でも
大好き!有難う!
有難うございます。
この祖母は生後20日で実の母が亡くなり、継母で育ったのですが、とても優しい
人だったと話していました。そのお陰で優しい性格になったのでしょうね。
逢いたくて、夢に出て欲しいといつも願っています。
40才のお母さまですか、娘は42才で上の子を産んだのですよ。
今なら珍しくないのにねぇ。
こちらこそ有難うございます。
ばあばあは、おばあちゃんの思い出は全くありません。多分もうあちら、極楽浄土への人だったかも?
おばあちゃんって人は全くいなかったなー。
だって母が、おばあちゃんみたいでしたー
40歳の母でしたよ。ばあばあが、物心がついて、いろんなことを吸収する頃は、もう母は50歳越え・・・・
いいお話有難うねー
何時も(人''▽`)ありがとう☆またね~