夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

フェンダー・ムスタング

2015年02月21日 | 音楽


その昔銀座のライブスポット「タクト」にはベテランに混じって若いバンドも出ていた。
ベテランたちとは一線を画すように、いや買えないからこそチープな楽器を持って歌っていた。

フェンダーで言えばジャズ・ベースやプレシジョン・ベース、ギブソンならリッパー・ベースなどが出てきた頃いづれも高価だった。

フェンダー社は、初級者向けシリーズのミュージック・マスターやムスタングなどの機種を用意していた。
ジャズベが20万円以上したあのころ、10万円前後で入手できた。

そのムスタング・ベースを抱えた若いベースマンの弾いた音が、紛れもない「Fender」の音がしていたので驚いたことがある。
ショートスケールで、スプリットタイプのピックアップが1個付いただけの小ぶりのムスタングから、プレシジョンと変わらぬクリアで低音成分に優れた音が出たことに「ホーッ!」と感心したものだ。

ショートスケールのギター類は、ボディが軽くて取り回しが良く弾きやすい。
ロングスケールのベースで練習しておいてショートスケールに持ち替えると、あたかも上手くなったような錯覚に陥る。
これを「よし」として練習法に勧める人もいるくらいだ。

フェンダーのエレキギター製品が世界中でヒットした理由の一つにネックがボルトで簡単に交換できる設計であったことがある。
製造上のメリットもさることながら折れたり反ったりするネックを簡単に「交換できる」メリットは大きい。

「Mustang」は、レオ・フェンダーが車好きだったことからネーミングされたそうな。

ギターの方も小ぶりでピックアップのセレクターやトレモロユニットなどチープな印象だが、それなりの魅力があるらしい。
特別な美人ではないけど気になるキュートなお嬢さんと言った風情かしら。

女性向けに良いギターということで楽器店で試奏させてもらった。

ムスタングの「Fender USA」製品は、高くなっていて20万円以上、特別なものなら50万円近いモデルまであるようだ。
国内で流通している「Fender Japan」にしても10万円近くする。
そしてFender系列の普及ブランド「Squire」はインドネシアで作られているようだ。

ウクレレしかり、楽器の価格が高騰しすぎている。
学生がお小遣いで求めるにはもう少し手頃な価格でないと買えない。

国内での製造を諦めてアジアの生産拠点で安く作る、見た目は同じようだが、仕上がりが落ちる。
日本の製造技術で作ればかなりいいものができるはずなのに、この悪循環は断ち切れない。

ウクレレが800円、KAMAKAのソプラノが1万円で買えた時代が懐かしい。




Fender Mustang 1965

永遠のロックギタリストChar -B面- 3/11

永遠のロックギタリストChar -B面- 4/11

Guitar Rescue Fender Mustang Bass

BUMP OF CHICKEN『魔法の料理 ~君から君へ~』

露天風呂のリス

2015年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム


40度の湯はぬるい。
しかし露天風呂に浸かるニホンザルにはちょうどいいのかもしれない。

一足先に咲いた桜を眺めながら温泉に浸かるのは日本ならではの贅沢だ。
頭上の樹木を眺めると何かが動いている。

「大きな野鳥かな」と思いながらよく見ると鳥とは異なる小動物だ。
なんと、30センチほどの「リス」が長い尻尾を振りながら樹枝を素早く渡り歩いている。

源泉が流れ落ちる頭上には庭石に湯だまりが待機していて湯煙が舞い上がる。
その湯煙を楽しむかのように数匹のリスが戯れている。

嗚呼、日本に生まれて良かった。

野鳥とリスを眺めながら温泉に浸かる幸せよ。
彼らも厳冬のひと時、天然の湯の恵みを享受している。

ハワイもいいが、祖先の住んだ豆州も子孫への「帰れコール」をしているようだ。

壁の向こうに車の喧騒が聞こえる日常があったとしても、天を見上げるわずかな空間は至宝のごとく輝く。

野生のリスたちは人の手が入った庭園と温泉を見つけて住み着いていた。

関東近郊では宅地造成という錬金術に惑わされた人間たちによって野生の動物たちが追いやられている。
彼らが生きてゆくためのせめてもの配慮が必要だ。

なぜなら彼らの生きている様子を見ることは我々人間の楽しみ、幸せなのだから。

Hapa Live in Keauhou, Hawai'i 2011

HAPA - Kahea U'ilani

Hapa - Pahinui Aloha (HiSessions.com Acoustic Live!)

Hapa - Tuahine (HiSessions.com Acoustic Live!)

Hapa - Tapa`o No Te Here (HiSessions.com Acoustic Live!)

アメリカン・ヴォイセス

2015年02月19日 | 音楽


ベースという楽器は、魔力を持っている。
悪女に魅せられて離れられなくなる、そんな陶酔感を与えてくれるようだ。

女性のベーシストは珍しくはないが、歌う、それも本格的にジャズを歌うとなると只者ではない。
アメリカン・ヴォイスと評価され、ジャズベースを弾きながらとなると驚く。
しかも24歳の若さで。

さてケイト・デイヴィス嬢、ヴァイオリンから始めたようだが、指板上の楽器の共通項を認めるとしてウッドベースを軽々と弾きこなす様は圧巻だ。
伸びやかな声は生来のものとしても、達者な歌い回しはどこで習得したのか気になるところだ。

アメリカという国の恐ろしいところは、こうした逸材が次々と用意され続ける広大な土壌を有していることだ。

先日我が国の戦闘機「零戦」を題材にしたTVドラマを見ていて、資源の乏しい国が豊かな大国を相手に「戦争」という経済活動を挑む虚しさを感じた。
技術力と精神力だけでは、思想や物量にはかなわない。

鹿児島、知覧から散っていった特攻隊の若者たちの乗った「零戦」は計器すらまともに装備されておらず沖縄の戦場までまともに辿り着けなかったという。
張りぼての大砲を並べていた知覧から終戦間際に帰郷された生き残りの特攻兵の方から聞いた実話だ。

豊かさが全てではないが、「物質の豊かさ」に加えて「精神の豊かさ」が重要だ。
なぜ隣国の大国が世界中で嫌われるかといえば、自己の利得だけを追求して他を顧みないからだ。
アジアのある国でそれを体感したことがある。

四千年の歴史は、侵略と栄光、退廃の歴史であり、つい先頃まで被害者であったはずの彼らは今加害者になろうとしゃかりきになっている。
その自己矛盾を認めようとしない限り、彼らの悠久の歴史は変わることはないだろう。

アメリカのケイト嬢の行く末が気になる。

彼女の音楽性は、果たしてどこへ行くのだろうか。




Kate Davis - "Imagine" John Lennon Cover

Blue Christmas - "Dueling Basses" Elvis Cover ft. Kate Davis

Kate Davis Live at The Blue Note

Kate Davis- "Glad To Be Unhappy" @Kennedy Center www.KateDavisMusic.com

フラガール

2015年02月16日 | ギター・レッスン


ハワイのウクレレショップで働く若者は明るく芸達者だ。
そんな若者たちはミュージシャンを兼ねておりやがて世に出て行く。

2001年えひめ丸という練習船がハワイから帰国する際、急浮上した米国潜水艦と衝突する事故があった。
潜水艦に乗せた民間人を喜ばせるためのパフォーマンスとされる急浮上によって10数人の教官と生徒の死傷者が出て練習船は沈没した。

追悼の曲「えひめ丸」を書いて演奏したのが「ジェイク・シマブクロ」、2001年のことだった。

青年はその後2006年、映画「フラ・ガール」の音楽を担当してヒットした。

福島県いわき市の炭鉱を舞台にした復興へのドラマは昭和41年のことだったようだ。
佐賀県の母方の縁戚T叔父からその話を聞いたのもちょうどその後だった。

T叔父の東大時代の友人Nさんから「福島の炭鉱でこういう事業をやっているからこないかと誘われて行ってきた」という。
炭鉱で働く方たちの娘さんを裸同然にして踊らせることに相当な抵抗があったこと、それを説き伏せて事業化する史実が映画のストーリーになった。

炭鉱が不況の中、坑道に湧き出る温水の処理に数億円かかっていた経費を節減し有効利用するのが、事業化のきっかけだったようだ。
温水熱を利用した「常磐ハワイアンセンター」は、「人工の常夏」環境を実現し、東京から招いた専門家たちがフラと音楽を指導した。

フラを演目にするレジャー施設は全国にあると思うが、学校を設け教育訓練してまでは他に例を見ない。

そんな福島県が東北大震災、原発の事故に見舞われた。
地震や津波は天災だが、原発事故は人災以外の何物でもない。

農産や畜産、豊かな海産資源を有する地で取り返しのつかない大事故に遭遇した県民の悲しみと怒りは収まらないだろう。

そんな中でフラガールたちが立ち上がり、避難施設訪問や「スパ・リゾート・ハワイアンズ」での事業再開を果たしたニュースは光明だった。

ウクレレが派手なパフォーマンスを表現する手段として認識され、その代表格がジェイクとされている。
現象としてはそうかもしれないが、そのジェイクが四国の「えひめ丸」を追悼し、福島の「フラガール」を演奏している。

単に彼が「日系ハワイアンだから」という説明だけではすまされない申し訳なさを、日本人の感性として振り返らなければいけない。






フラガール 予告 


フラガール ~ 虹を ~


Jake & Bruce Shimabukuro Hula Girl


Hula Girl Ukulele


ハワイアンズ 虹を 松本千鶴さん


Ukulele Festival Hawaii 2011 -- Jake Shimabukuro

青春の光と影

2015年02月15日 | ギター・レッスン



コード進行の美しさに感動している者にとってワンコードで終始する楽曲は脅威だ。
ライブでどのようにメリハリをつけるのか、ハンディキャップをつけられたようでもある。

「青春の光と影」は、アンディ・ウィリアムスの奥様、クローディーヌ・ロンジェの歌が印象的だった。
美貌と透き通るような声に憧れたのだろう。

「Joni Mitchel」は1943年、欧州系の両親のもとにカナダで生まれた。

「Both Sides Now」の古いギター譜を見ると「Open G」で書かれており、コードネームは「G」「 GM7」「 Gsus4」「 C」くらいしか出てこない。
それもオープンコード上の説明であってどう弾いてもワンコードに聴こえてしまう。
それはウェス・モンゴメリーが「オクターブ奏法によってコードの制約から解放された」とする見方と相通ずるものを感じる。

ジャコ・パストリアスとのセッションを聴いても、交友があったというチャールス・ミンガスとの接点を見てもジャズに通じていく何かを感じる。
ジャコのベースの音の使い方、グルーヴが素晴らしい。
ハーモニクスの一音、一音までストレートに響いてくる。

映画「いちご白書」の感動的なシーンで歌われるバフィ・セントメリーの「サークル・ゲーム」も彼女の作品だった。
五線上を自由に行き交うようなメロディとセンティメンタルでない現実を歌う歌詞は青春を感じさせてくれた。

若いころキー「G」で歌っていたこの歌を「D」で歌う達人。
良い齢のとり方も芸のうち、か。




Joni Mitchell - Both sides now (on Mama Cass Show 1969)

Joni Mitchell & Jaco Pastorius - Coyote

Joni Mitchell - Sex Kills (Live In-Studio 1995)

Dry Cleaner from des Moines - Charles Mingus - Joni Mitchell