夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ギター・デザイン

2015年02月10日 | アート・文化



楽器のデザインは楽しい。
「こんな楽器があったらなあ、、」と夢を膨らませながらスケッチブックに鉛筆を走らせる。

とりわけソリッド・ボディで作るエレクトリック・ギターならかなり自由なデザインが可能だ。
そして世界各国で作られた量産型のギターにもユニークなものが多い。

それも高級品でなくプラスチックや思いがけない素材を使った土産品のようなチープなものがいい。
グレッチのバンジョー・ウクレレ、それもオール木製のペイントされたものなどは可愛い。

アメリカ製の古いものにもつい欲しくなってしまうようなデザインがある。

ダン・エレクトロ製のユニークなギターも素敵だ。

まるで「きんつば」の製造工程のようなボディにリップ・スティック型のピックアップ。
日本人ではなかなか思いつかない大胆なボディとピックガードのデザインに感嘆する。

1912年ニューヨーク生まれのネイサン・ダニエルは、オーディオ電気少年だった。
TUBEの位相反転の開発、発明を行い、エピフォン社のアンプ開発を手がけたようだ。
その後エレクトリック・ギターの開発を行うようになる。

リップスティック型のピックアップは今でも「Tailor」社のエレアコでも使われているが、元来ノイズ対策が発想だったという。
実際の化粧品用リップスティックのメーカーから仕入れて製造していたというから面白い。
いわゆるスルー(通し)ネックでなく、ボディまで通したアルミ製角棒の周辺を木材で張り合わせるネックというアイデアもユニークだ。

シアーズ・ローバックという通販のシステムに乗っかったビジネス展開もアメリカらしい。
「カタログで見て注文するワクワクさ加減」を見越したデザインはそうして生まれたのだろうか。

「Fender」社のカラー・ヴァリエーションはカタログの1ページを埋めるほどであったし、今もなお愛され続けている。

その昔日本製の「Teisco」がカラフルなエレキギターを輸出モデルとして米国へ送り出した。
ライ・クーダーが好んで使って再発されるなど、あの頃の日本メーカーの開発の勢いは素晴らしかった。
昔から「Fender」等「Copy」ものビジネスはあったが、やはりオリジナリティを発揮したものの方が楽しい。

そして美しいデザインのモデルは、数十年を経てまた世に出てくる。
世代を超えて、あの頃の音楽とともにギターも蘇る。

「Oldies but Goodies 」



Review Demo - Danelectro '67 Heaven

10 Guitars That Changed Music Forever: #1 Harmony Danelectro/Stratotone

Danelectro Guitars NAMM 2015


New Digitech Trio at NAMM 2015

Playing Blues with the Digitech TRIO

塗装を剥がした頃

2015年02月08日 | ギター・レッスン


「Bonnie Raitt」の映像を見ていると2本のストラトキャスターが出てくる。
青い色のシグネチャーモデルと塗装を剥がしたビンテージものと。

1949年生まれの彼女がデビューしたのは1970年代とか、

ちょうどあの頃エレクトリック・ギターの塗装をはがすのが流行っていた。
それも「Fender」製の分厚い塗装を剥がすと綺麗な木の地肌が出てきて、独特の存在感が増す。

ある地方都市でお会いした大橋節夫さんのスティール・ギター「Fender Deluxe 8」がそうだった。
付き人の彼に「これは?」と聞くと「今、流行っているんです」と。

誰が始めてどのように伝播したのか知らないが、こうしたミュージシャンの「流行ごと」っていうものがある。

もっと古い話になれば、ギターのヘッド部分に小さな飾り物をぶら下げたり。
最近では「クリップ・チューナー」をウクレレやギターのヘッドにつけたまま演奏するのが当たり前になっている。

エレキ・ギターをやらない私にも「Fender」社の「Stratcaster」の完成度が高いことはわかる。
無駄のないデザインと機能、丈夫で長持ちするし、経年変化して「音を出す」ための存在そのものに変わっていく。

「Fender」社のスティール・ギターの開発しかり、ハワイ出身のタバレス兄弟が関わっていることは嬉しい。
「成功するもの」にはデザインや機能、素材といったあらゆるものが総合的に集約されるような気がする。

ヒット曲が誕生するときも同じような完成度が集約されるように。

女性のスライド・ギター奏者の走りということだが、弦上をコントロールしてバンドを引っ張っていく姿がいい。





Bonnie Raitt - I Can't Make You Love Me - Ohne Filter...


Bonnie Raitt "Pride And Joy"


Bonnie Raitt - Runaway (Live 1977)


Bonnie Raitt & Norah Jones~Tennessee Waltz

レコーディングの妙

2015年02月06日 | 音楽


YOUTUBEの映像も音源も高品質なものが目立ってきた。
ライブを客席から撮ったものも貴重だが、あらかじめ公開することを前提として撮られた映像と音源は聴いて心地良い。

さらに音源の品質を求めるとなると高価な機材と環境、卓越したテクニックを駆使したスタジオレコーディングをすることになる。
そうして出来上がったサウンドは、音楽の中味に加えて、驚くほどのインパクトを与えてくれる。

とりわけ素人がわからないのは音のバランスだ。
サイド・ギターとベース、キーボード、メロディ・パートのギター、ドラムスなどなどどれくらいの音量で並べるべきか。
ボーカルとのバランスが難しい。

さらに言えば音質、細かい指定ができる環境ならトラックごとに音域のブーストやカットができる。

リバーブにも驚くほどの種類が用意されており選択肢が広い。
その昔エコーと呼んでいたものはディレイと名を変えてこれまた枚挙に暇がない。

ついついあれもこれもと手を広げてしまい、うるさいだけの結果を招きかねない。
で、元のシンプルな音源に立ち帰る。

なんてことの繰り返しで何十時間もスタジオの時間を費やすことが多い。

結局、最終的に誰かの判断で決めることになるのだが、そこで「センス」が試されることになる。

こうしたスタジオ・ワークに熟達したミュージシャンは判断が早い。
おそらく迷うことなく感覚的に即決して結果を求めることに慣れているからだ。

そんなベテランの作品を聴いて驚くのは当たり前かもしれない。
音圧が前面に出ていて心地よい。

ドラミングが素晴らしい。
ベースの出張り方が実に心地よい。
アコーディオンの流れがいい。
ボーカルが素晴らしい。

これがベテランのなせる技。
雪をかぶった富士山を仰ぎ見るようだ。



Long Gone Lonsome Blues by Makoto Kubota 久保田麻琴 ハンク・ウィリアムス


Me & Bobby McGee by Makoto Kubota 久保田麻琴


Kauai March 05 Makoto Kubota Sampler 久保田麻琴

ライブ・アウトサイド

2015年02月04日 | ギター・レッスン



フィリピンの空港で歌っていた盲目のミュージシャンを思い出した。
行き交う誰のためにでなく、チープな楽器を弾きながらストレートに歌う。

ストリート・ミュージシャンのすごいところは、行きずりの人々に歌いかけて引き止める能力と、自由を謳歌しているエアー感だ。

ストリートではないけれど、人々が往来する場所でライブを行う難しさを経験したことはある。
人は、自分が関心を持つもの以外には興味を示さないから。

一瞥しただけでその彼らの音楽性が想像できて、通り過ぎてしまう。
一曲だけでも人の足を止めることができたならそれはすごいことだと思う。

「プレイング・フォー・チェンジ」は、そうしたミュージシャンの発掘と追跡調査にも功績がある。

世界中のミュージシャンが一曲を通じて輪をつなぐことができるなら素晴らしい。

「いい音楽」とは、さりげなく表現して離れられなくなるような魅力をあたえてくれること。

人はそんな音楽をさがし求めて世界を歩き回る。



Tyrone | Playing For Change | Live Outside Series


Tears On My Pillow by Roger Ridley | Playing For Change, Live outside series

パフ

2015年02月03日 | 音楽


「パフ(Puff the Magic Dragon)」はフォークのスタンダードとして広く歌われてきた。
1959年「Lonard Lypton」 の歌詞に級友の「ピーター・ポール&マリー」の「 Peter Yarrow」が詞を補いメロディをつけたとある。

1961年、第一声の「パフ!」という響きと美しいメロディ、シンプルなコード進行でヒットした。
歌詞はメルヘンチックな内容に聞こえるが、ベトナム戦争への反戦の意味合いも含まれていたようだ。

19歳の若さでこうした歌詞やメロディを作り、ギターを弾きながらコーラスを作っていったことは素晴らしい。

ガット・ギターとスティール弦のフォーク・ギターとで、またローポジションとハイポジションとで展開するアルペジオに感動した。
たった2台のギターで織りなすグルーヴにも何か知的な印象を持った。

昨秋その「ピーター・ポール&マリー」のフォロワーたちが集う「PP&M フェスタ」なるイベントが行われた。
郷里の音楽仲間F君率いる「村の合唱団」はじめ全国から12団体が参加したそうだ。

当時「モダン・フォーク」と呼ばれた演奏スタイルは、計算されたフィンガーピッキングやきっちりしたコードストロークでタイトな演奏だった。
聴衆はレコードを聴いて歌詞とメロディを諳んじているので、客席からの大合唱を演出できたのも懐かしい。

「反戦」というキーワードの下、「反戦歌」を共有することで、見ず知らずの若者たちが一体感、連帯感を得た時代だった。

さてそのF君が最近取り組んだレコーディングの話題になった。
素晴らしい機材と環境のなかで行われたレコーディングによって出来上がったサウンドには様々な意見があったという。

ジャンルは違えどもレコーディングで出来上がった音がイメージと異なる経験は幾度かあった。
それはミキサーの方の技術的な問題ではなくてやろうとする音楽についての理解の違いに尽きるようだ。

あまりざっくり言うと叱られるが、(特にライブではハウリングを抑えるために)ミキサー氏は全体にフラットな音にしたがる傾向にある。
あるいはボーカルをうんと上げてギターなどバッキングを下げてしまったり。
すると中音重視の平坦な音になってメリハリがなくなるというような経験だ。


酔った勢いでF君と簡易レコーディングを試みた。
イントロもエンディングもキメなし、歌詞は間違えるはチューニングが合わないくらい弦が古いギターと、昔懐かしい60年代の「Luna」のウクレレで一発録り。
その場でベースを入れ、持ち帰ってスラックキー・ギターとコーラスのテイクを左右に入れて、と。

「ウーッム、なかなか味がある」ではないか。
「あれから40年」経ったベテランのボーカルはルバートで、いやただ酔っ払っているだけなのかもしれないが、概ねよろしい。
うるさいくらいのギターもご迷惑でなければ、トロピカル、ハワイ演出の一助となっていれば幸いだ。

「Puff the Magic Drunk」  
 お楽しみあれ。









puff the magic dragon (live)


Peter, Paul, And Mary ~ Live ~ Puff The Magic Dragon ~ 1965


Puff by F & Y