
「ラベンダー畑をつぶそう! このままでは破産だ…」
30年ほど前、ラベンダー農家は絶滅の危機にありました。
いまは、見て楽しむラベンダーですが、
本来は香料としてオイルとなる貴重な栽培作物。
明治時代、北海道開拓のひとつとして、
富良野の地ではラベンダー栽培が行われました。
徐々に栽培をする農家は増え、
昭和45年頃は、富良野は多くのラベンダー がいっぱいでした。
しかし、ラベンダー農家に危機が訪れます。
貿易の自由化と、化学合成香料の発達によって
採算がとれなくなってきたんです。
農業としてのラベンダー栽培は成り立たなくなりました。
多くの農家が生活のために、
ラベンダー畑を潰していきました。
でも、
心を込めて大切に育てたラベンダーを捨てられない人も多くいました。
そんな苦境に立たされたとき、
国鉄の観光PR一枚の写真が奇跡をもたらします。
北国の大地に広がる美しいラベンダーの風景が見事な写真でした。
これが再生のきっかけとなったのです。
この美しい風景を見ようと観光客が少しずつ訪れ始めたのです。
ラベンダーの風景を眺め、写真を撮る観光客に対して
農家の方々が、手作りのポプリを売るところから始まりました。
なんとか、ラベンダーの畑をつぶさないため、
その維持費だけでも捻出しようとしたのです。
富良野の美しい風景とラベンダーという花の見事さが、
しだいに日本中に広まっていきます。
そして、
栽培農家は、観光農園として生まれ変わり、
多くの人が訪れるようになったのです。
そのひとつが「ファーム富田」です。
富田のお爺さんが北海道開拓として選んだラベンダー栽培でした。
今では、見事な観光農園となり、多くの人が訪れます。
北海道で私たちの目を楽しませてくれるラベンダー(^^)/
鮮やかな紫の絨毯が、旅人の心を和ませますが、こんな歴史があったんですね。
おまけ・・・
ラベンダーはシソ科の植物です。。。
北海道の白糠町の鍛高地区は紫蘇の栽培で有名です。
そう、焼酎好きの方ならば分かりますよね。
有名な紫蘇焼酎「鍛高譚」の由来です。
鍛高という地を偶然通りました。
すると、見事な紫蘇畑がある!
これがそうです。
北海道から、昨夜遅く帰ってきました。…
雷雨で飛行機が遅れてしまい、大変…
北海道の記事は少しずつアップしますね(^^)/ ……