
しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
『一握の砂』より
歌碑は釧路市米町公園。
今回の北海道旅行は、函館、小樽、(札幌)、釧路と、啄木の足跡をたずねることにもなった。
動物園や水族館だけではなく、3つの町の啄木ゆかりの文学館にも訪れることができた。
「予はただこの北海の天地に充満する自由の空気を呼吸せんがために津軽の海を越えた。自由の空気!」
明治40年、石川啄木は、困窮した生活を立て直すために、妻子を残して、津軽海峡を渡った。
新たな夢と強い意志をもって、北海道に来た啄木。
しかし、実際に彼が北海道に住んだのは一年ほど、しかも、各地を転々としながらであった。
様々な思いを抱いて、北海道を離れた啄木は、東京で作家を目指す。
だが、貧困の中、26才の若さで亡くなってしまう。
啄木の脳裏に残る北の町々への思いは、何だったのであろうか。
函館の青柳町こそ悲しけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花
『一握の砂』より
写真は函館の元町にある対象の建物相馬株式会社。
函館市文学館はこの近くにある。。
文学館は、よく整備され、展示室は新しく、本格的なものであった。
二階には啄木コーナーもある。
小樽文学館の休憩室。
昔ながらの文学館ではあるが、無料で珈琲が飲める休憩室や、
不要になった書籍のリサイクルなど、
学芸員の方の努力が感じられる文学館である。
釧路の港文館
かつて啄木がつとめた釧路新聞社を模して作られた施設。
一階は喫茶店で、二階に啄木関連の写真などが展示されている。
啄木の作品が輝くのは、感傷的な言葉が人の心を打つだけではない。
どうしようもない運命や人間としての弱さを、彼の言葉から感じるためなのだろう。
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
『一握の砂』より
啄木は函館にはわずか4ヶ月しか居なかったのに
函館で死にたいと言っていた位、函館が気に入っていたそうです。
青柳町という名もロマンチックだし、どんな町なのか
見たくなりますよね
文学青年のような(いつもと違う)ずぅさんの顔、見ちゃいました
啄木小公園や一族の墓もありますしね…
青柳町の歌は
啄木の作品の中でも不思議な響きの歌ですから
たずねたくなる気持ちは分かるなぁ…
実は…
私は大学では、日本文学専攻でした…(^^)←カミングアウト