
2020年8月31日をもって
西武大津店
が閉店しました。1976年にオープンし、かっては滋賀県唯一の百貨店としてにぎわっていましたが、時代に逆らえること出来ず閉店に追われてしまいました。これによって大津市から百貨店が消えてしまったんですよね・・・。
そんな西武大津店は自宅から一番近い百貨店なだけに小さい頃はよく買い物に行っていた思い出深い百貨店です。お買い物に行くといえば西武、足りなければ京都(近鉄、大丸、高島屋)というのが私の家族のステータスでした。そんな西武大津店について私なりに書き上げてみます。


西武大津店は建築デザイン上
前衛的
な建物だったらしいのですが、私としてはそんな自覚はありませんでした。だって、物心ついたときからよく行っていた百貨店なので、百貨店というえばこんなものなのかと・・・。前衛的なデザインとして評価されていたことは大人になってから知りました。建物が階段状になっている、非常階段が特徴的な形状になっているなどいろいろありますね・・・。

駐車場は建物に付属している第1と別館になっている第2の2つがありましたが、第1の方は駐車場が坂状になっていることがポイントです。小さなスペースから駐車数を確保するという意味合いもあったのでしょうか・・・。
私の家族は第2をよく使ってたので、第1に車を止めたのは少なかったです。




デザイン的な特徴は外だけでなく内部もありました。特に6階です。6階は吹き抜け構造になっているのですが、吹き抜け構造は
琵琶湖
をイメージしたそうです。そういえば、形状的に琵琶湖と似ていますね。中間にある橋も琵琶湖大橋をイメージしているのでしょうね。
晩年、6Fはロフトと書店が入居していますが、昔は企画関係を行うスペースでした。例えば催し物とか展示会とか・・・。7Fは昔も今もレストランですが、昔のほうが多かったですね。

6Fの野外スペースには
屋上遊園地
がありました。昔の百貨店には当たり前な存在だった屋上遊園地、西武大津店でもありました。後ほど閉鎖し遊具はみんな撤去されて単なる野外スペースになってしまいました。

正面前に妙に広いスペースがありますが、そこにはかって
別館
がありました。小さな3階建ての建物でしたが、本館に負けず前衛的なデザインでした。主に手芸などといった婦人向けの商品を取り扱っていましたが、1Fから3Fまでスロープ状の通路でつながっていて、その通路を中心に売り場が展開されていました。そのため、階段がありませんでした。本館とは3Fから橋でつながってました。
その別館は2000年前後の辺りに閉店し、解体されてしまいました。
店内は改装や店舗配置変更を繰り返しているので、小さいころとは大きく変えたものが多いのですが、一部は昔のままのものもあります。昔あったもので特に印象に残っているのが1Fの食品売り場にあったお菓子の回転台。子供にとってはまさに夢の売り場で、回転台の中から好きなお菓子を選んだものです。他に3Fの喫茶店のピザトースト、5Fの書店などありますね。あ、迷子になった思い出も・・・。

最後にバスにまつわる話をします。
西武大津店の手前にある湖岸道路上に
義仲寺
バス停があり、ここが最寄りバス停として機能していました。義仲寺が近くにあるという理由でバス停名称になっていますが、バス停自体が西武大津店の目の前にあることから京阪バスでは副称として「西武百貨店」という名称が用いられていました。
西武大津店が全盛のころはここで乗降する乗客が多く、浜大津からガラガラでやってきたバスがここで大量の乗客を迎えて満杯になった状態で石山駅へ向かうということもよくありました。1990年代は京阪バスだけでも20分ヘッドと今より本数がもっと多かった上にデータイムに限って大石や石山団地へ直通していましたね(近江バスも本数多かったですが・・・)。


西武大津店の存在の大きさはバスの
行先表示
にも表れていて、京阪バスでは湖岸道路を通る全系統に対して側面行先表示に「義仲寺(西武百貨店前)」を入れていました(前面とリアは湖岸または湖岸・浜大津だけ)。しかし、LED表示になってから表示数に制限があるせいか”西武百貨店前”が消えてしまいました・・・。LED化が始まったころは全盛時代の勢いを失っていたのでさほど問題なかったかもしれませんが・・・。一方、近江バスの方は本来の義仲寺ではなく、”西武大津”と表示されていました。これは前面だけでなく側面やリアにも表示されていて、LEDになってもそのまま引き継がれました。尚、前面とリアは石山駅方面だけで、草津駅方面は側面のみの表示でした。
西武大津から後に開業したパルコ大津店がこけたあとも頑張って営業を続けていた西武大津店、閉店してしまったのは残念ですが、思い出は残ったままです。一つの時代が終わったような感じですが、湖岸道路沿いの商業施設が1つ消えたことで湖岸道路を走るバスにも少しは影響ありそうな気がしますが・・・。
以上です。
西武大津店
が閉店しました。1976年にオープンし、かっては滋賀県唯一の百貨店としてにぎわっていましたが、時代に逆らえること出来ず閉店に追われてしまいました。これによって大津市から百貨店が消えてしまったんですよね・・・。
そんな西武大津店は自宅から一番近い百貨店なだけに小さい頃はよく買い物に行っていた思い出深い百貨店です。お買い物に行くといえば西武、足りなければ京都(近鉄、大丸、高島屋)というのが私の家族のステータスでした。そんな西武大津店について私なりに書き上げてみます。


西武大津店は建築デザイン上
前衛的
な建物だったらしいのですが、私としてはそんな自覚はありませんでした。だって、物心ついたときからよく行っていた百貨店なので、百貨店というえばこんなものなのかと・・・。前衛的なデザインとして評価されていたことは大人になってから知りました。建物が階段状になっている、非常階段が特徴的な形状になっているなどいろいろありますね・・・。

駐車場は建物に付属している第1と別館になっている第2の2つがありましたが、第1の方は駐車場が坂状になっていることがポイントです。小さなスペースから駐車数を確保するという意味合いもあったのでしょうか・・・。
私の家族は第2をよく使ってたので、第1に車を止めたのは少なかったです。




デザイン的な特徴は外だけでなく内部もありました。特に6階です。6階は吹き抜け構造になっているのですが、吹き抜け構造は
琵琶湖
をイメージしたそうです。そういえば、形状的に琵琶湖と似ていますね。中間にある橋も琵琶湖大橋をイメージしているのでしょうね。
晩年、6Fはロフトと書店が入居していますが、昔は企画関係を行うスペースでした。例えば催し物とか展示会とか・・・。7Fは昔も今もレストランですが、昔のほうが多かったですね。

6Fの野外スペースには
屋上遊園地
がありました。昔の百貨店には当たり前な存在だった屋上遊園地、西武大津店でもありました。後ほど閉鎖し遊具はみんな撤去されて単なる野外スペースになってしまいました。

正面前に妙に広いスペースがありますが、そこにはかって
別館
がありました。小さな3階建ての建物でしたが、本館に負けず前衛的なデザインでした。主に手芸などといった婦人向けの商品を取り扱っていましたが、1Fから3Fまでスロープ状の通路でつながっていて、その通路を中心に売り場が展開されていました。そのため、階段がありませんでした。本館とは3Fから橋でつながってました。
その別館は2000年前後の辺りに閉店し、解体されてしまいました。
店内は改装や店舗配置変更を繰り返しているので、小さいころとは大きく変えたものが多いのですが、一部は昔のままのものもあります。昔あったもので特に印象に残っているのが1Fの食品売り場にあったお菓子の回転台。子供にとってはまさに夢の売り場で、回転台の中から好きなお菓子を選んだものです。他に3Fの喫茶店のピザトースト、5Fの書店などありますね。あ、迷子になった思い出も・・・。

最後にバスにまつわる話をします。
西武大津店の手前にある湖岸道路上に
義仲寺
バス停があり、ここが最寄りバス停として機能していました。義仲寺が近くにあるという理由でバス停名称になっていますが、バス停自体が西武大津店の目の前にあることから京阪バスでは副称として「西武百貨店」という名称が用いられていました。
西武大津店が全盛のころはここで乗降する乗客が多く、浜大津からガラガラでやってきたバスがここで大量の乗客を迎えて満杯になった状態で石山駅へ向かうということもよくありました。1990年代は京阪バスだけでも20分ヘッドと今より本数がもっと多かった上にデータイムに限って大石や石山団地へ直通していましたね(近江バスも本数多かったですが・・・)。


西武大津店の存在の大きさはバスの
行先表示
にも表れていて、京阪バスでは湖岸道路を通る全系統に対して側面行先表示に「義仲寺(西武百貨店前)」を入れていました(前面とリアは湖岸または湖岸・浜大津だけ)。しかし、LED表示になってから表示数に制限があるせいか”西武百貨店前”が消えてしまいました・・・。LED化が始まったころは全盛時代の勢いを失っていたのでさほど問題なかったかもしれませんが・・・。一方、近江バスの方は本来の義仲寺ではなく、”西武大津”と表示されていました。これは前面だけでなく側面やリアにも表示されていて、LEDになってもそのまま引き継がれました。尚、前面とリアは石山駅方面だけで、草津駅方面は側面のみの表示でした。
西武大津から後に開業したパルコ大津店がこけたあとも頑張って営業を続けていた西武大津店、閉店してしまったのは残念ですが、思い出は残ったままです。一つの時代が終わったような感じですが、湖岸道路沿いの商業施設が1つ消えたことで湖岸道路を走るバスにも少しは影響ありそうな気がしますが・・・。
以上です。