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集落消滅の背景には“平成の大合併”の弊害も?未だ解決しない大川小問題をめぐる地域住民の本音4

2012-12-10 13:08:13 | 日記
転載  ダイヤモンド社より
集落消滅の背景には“平成の大合併”の弊害も?
未だ解決しない大川小問題をめぐる地域住民の本音4


 街の中心を走る県道沿いには、東屋というスーパー兼仕出し屋があった。最上屋という酒屋さん、相沢商店というタバコ兼雑貨屋さん、鈴木商店という豆腐屋さん、パーマ屋さんのほか、ブランド品を作る工場もあった。
 東屋の2階では、ちょっとした宴会場もあった。尾崎や長面などの人たちも、仕事の帰りに東屋に寄っていく、そんな勤め帰りの人たちで、いつも繁盛していたという。
「お年寄りたちにとっては、何の不自由もなかったんだ。横川とか周辺の集落の人も、釜谷の診療所に来れば、この辺で買いものして、帰って行ったんだ。ずっと昔から、ここは中心だったんだ」
 前出の阿部良助さんは、こう自慢げに言う。
 街の中で、生活はすべて完結していたのだ。そうやって、何気ない日常の中で、皆が毎日を過ごしていた。
 私たちが、震災直後に初めて釜谷を訪れたとき、砂と水に水没する大地には、集落の建物の土台すら見えなくて、そんな日常の光景など想像することもできなかったのである。
小学校に避難した孫2人が犠牲に
助けに行った婿に“不可解な行動”も
 大川小学校のすぐ近くの県道沿いに、良助さん、文子さん夫妻の自宅はあった。
 あの日、良助さんは仕事で外出。文子さんは自宅にいて、車で三角地帯から釜谷の集落に戻る途中、ラジオから緊急地震速報が流れた。
「えっ?」と思った次の瞬間、ガタガタと揺れ始めた。文子さんは、坂を下り、県道の側道部分に車を停め、外に出た。
「電線が波打つのにはびっくりして、ずっと車につかまっていました。すると、目の前の家からも、おばあさんが飛び出してきて、2人で車のところにいたんです」
 文子さんは、歩けないおじいさん(同居する夫妻の父親)が自宅に1人だと思い、車のハザードを付けて路上駐車させたまま、県道を自宅へと走った。おばあさん(同母親)は毎日、午後になると、釜谷診療所に出かけていなくなるからだ。
 家に帰ると、おじいさんはベッドの上に座っていた。整理ダンスが倒れかかっていたが、ちょうどベッドで突っかかっていた。
 足の踏み場のない中、文子さんは1人でタンスをどけて、おじいさんをベッドから茶の間まで連れてきた。

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