河北新報より転載
全ベータが濃度32倍に 福島第1
福島第1原発で高濃度汚染水がタンクから漏えいした問題で、東京電力は29日、地下水観測用井戸のストロンチウム90などベータ線を出す核種(全ベータ)の濃度が約32倍に上昇したと発表した。
井戸は、H4エリアの漏えいタンクの北側約25メートルにある「E-1」。27日採取の地下水から、全ベータで1リットル当たり8万3000ベクレルを観測した。26日採取分の全ベータは同2600ベクレルだった。
2014年08月30日土曜日
河北新報より転載
福島第1原発で高濃度汚染水がタンクから漏えいした問題で、東京電力は29日、地下水観測用井戸のストロンチウム90などベータ線を出す核種(全ベータ)の濃度が約32倍に上昇したと発表した。
井戸は、H4エリアの漏えいタンクの北側約25メートルにある「E-1」。27日採取の地下水から、全ベータで1リットル当たり8万3000ベクレルを観測した。26日採取分の全ベータは同2600ベクレルだった。
2014年08月30日土曜日
共同通信より転載
投資運用業「プラザアセットマネジメント」(東京都港区)に運用を任せた14厚生年金基金の106億円分の資産が失われていたことが20日、厚生労働省への取材で分かった。
金融庁は昨年7月、同社に対し、米国の生命保険証書を投資対象とするファンドの資金繰りが悪化しているのに、顧客に十分な説明をせずに投資一任契約を結んだとして、業務改善命令を出している。
厚労省によると、昨年3月末時点で14の厚年基金が、同社が扱う二つのファンドに計106億円を投資。厚労省が各基金に聞き取り調査した結果、資産価値がゼロになったことが判明したという。
河北新報より転載
福島県が中間貯蔵施設の建設受け入れ方針を決めた29日、交渉の決着へ加速度的になだれ込む展開に、候補地の双葉、大熊両町の住民からは「国や県が先に決めるな」「結論ありきなのか」などと反発や戸惑いの声が上がった。
「県が受け入れを決定しても町は決めていないし、受け入れ難い」。双葉町から福島市に避難する堀井五郎自治会長(67)は憤る。「近く地権者に説明すると言うが、順番が逆だ。国、県が先に決める話ではない」と語気を強めた。
交渉の展開に住民は不信感を募らせる。双葉町から水戸市に避難する八橋誠さん(35)は「これが結論ありきの国、県のやり方。賠償問題などは進まないのに、何で中間貯蔵施設は短期間で受け入れが決まるのか」と戸惑いを隠さない。
大熊町から会津若松市に避難する斎藤重征さん(69)は「住民説明会後、町民には直接説明がなかった。土地の買い上げに応じるにしても、事故前の価格が最低限の条件だ。県と町は地権者の立場に立って目を光らせてほしい」とくぎを刺す。
大熊町から南相馬市に避難する栃本信一さん(62)は先祖伝来の住宅、土地が候補地に入った。住民説明会では土地への思い入れを国に訴えた。
「賛成はしないが、苦渋の決断で致し方ないという気持ちだ。土地の賃貸が認められたのがせめてもの救い。県や町には、新天地を求めざるを得ない人々にしっかりと手当をしてほしい」と苦しい胸中を明かした。
東京新聞より転載
自民党は二十八日、人種差別的な街宣活動「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)を規制するとともに、国会周辺の大音量のデモ活動の規制強化を検討し始めた。デモは有権者が政治に対して意思表示をするための重要な手段。その規制の検討は、原発や憲法などの問題をめぐる安倍政権批判を封じる狙いがあるとみられる。
自民党は二十八日、ヘイトスピーチ規制策を検討するプロジェクトチーム(PT)の初会合を開催。高市早苗政調会長は、国会周辺のデモや街宣について「(騒音で)仕事にならない」などと指摘し、「秩序ある表現の自由を守っていく観点から議論を進めてほしい」と求めた。
PTは今後、国会周辺での拡声器使用を制限する静穏保持法などで対応が可能かを調べて、新たな法律が必要かどうかを判断する。国会周辺では、東京電力福島第一原発事故後、脱原発を訴えるデモが毎週金曜日夜に行われている。警察庁の担当者はPTの会合で、静穏保持法による摘発は年間一件程度と説明した。
一方、在日コリアンに対するヘイトスピーチについて、高市氏は「特定の民族を名指しした中傷はやめなければいけない」と強調。ヘイトスピーチに対象を限定した規制法はないため、PTは刑法の運用強化や新規立法を検討する。
民主党の大畠章宏幹事長は記者会見で、「ヘイトスピーチ(規制)とデモ規制は性格が違う。デモ規制が行き過ぎると民主主義のベースが壊れる」と批判した。
ヘイトスピーチは人種や民族、宗教上の少数者に対する憎悪をかき立てるような表現で、保守をうたう団体による在日コリアン批判が社会問題化している。国連人権委員会も改善勧告を出すなど、国際的な批判が強まっている。
自民党がヘイトスピーチと国会周辺のデモを同列にして規制しようとしている。人種差別などを助長する表現のヘイトスピーチと、政治に対して市民が声を上げるデモは全くの別物だ。音量規制強化を名目にひとくくりにして制約する動きは見過ごせない。
ヘイトスピーチに対しては、国連でも規制を求める意見が出ており、放置は許されない。表現の自由を守りながら、差別的な言論や表現方法をいかに規制するかは議論する必要はある。
一方、国会周辺で行き過ぎた大音量の抗議活動は現行法でも規制できる。にもかかわらず、自民党が新たに規制強化に乗り出したのは、市民による原発再稼働や集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法に抗議するデモを標的に入れているとの疑念を招く。
在日外国人の人権を守るという議論に乗じて、規制してはならない市民の政治活動を制約するだけでなく、民主主義の基盤である表現の自由という別の人権も侵す恐れがある。
上智大の田島泰彦教授(メディア法)はヘイトスピーチと国会周辺デモの音量について「別々に検討すべき問題だ」と指摘。「国会周辺は、あらゆる言論が最も許容されなければならず、その規制強化は民主主義の在り方にかかわる」と話す。 (大杉はるか)
<静穏保持法> 国会や外国公館、政党事務所周辺での拡声器の使用を制限する法律。1988年、国会周辺の右翼団体の街宣活動を規制するため、議員立法で成立した。静穏を害する方法で拡声器を使用し、警察官の制止命令に応じなかった場合、6月以下の懲役か20万円以下の罰金が科せられる。
中日新聞より転載
漁師のキンちゃんこと佐々木公哉さん(58)は=岩手県田野畑村=は6月、1週間の旅をした。
最初の目的地は甲府市。復興支援ライブに招かれ、被災地の現状を講演した。主催したのは、キンちゃんから古い漁網の提供を受け、ミサンガを作って被災地支援に役立てている女性グループ。長野や東京でも、活動が続いている。
次は東京。国会議員たちに三陸の漁師の窮状を訴え「低利の融資制度を新設してほしい」と要望した。東京の仲間たちが橋渡しをした。
そして、神奈川県横須賀市の佐島漁港を訪れ、観光客でにぎわう朝市を見学した。三陸では、漁師たちが競争をして魚を捕り合うが、結果的に安く買いたたかれてしまっている。生き残りには、付加価値づくりが欠かせないと再認識させられた。若い漁師たちの笑顔から「力をもらった」。
震災前に比べ、大きな違いは「陸上での人間関係」が豊かになったこと。気持ちの浮き沈みは続くが「視野が広がって、少しは成長できたかも」。
愛犬タロウは昨年10月、震災後初めて、リードをひきちぎって脱走した。家族全員で探し回っても、役場や警察に届けても行方が分からない。「山でクマに襲われたのかも」と、眠れぬ日が続いたが、四日後に見つかった。
12キロ離れた隣村の山小屋前で、飼われている雌犬に求愛していた。飼い主が追い払うと山へ逃げ込むが、すぐに戻ってくる。郵便配達員から「佐々木さん宅のタロウでは」と聞いた先方から連絡があった。
老境にさしかかった犬とは思えぬやんちゃぶり。キンちゃんはあきれつつも「このパワーで、津波を乗り越えたんだなー」と思う。
キンちゃんの座右の銘は「照るも曇るも自分次第」2010年の正月に亡くなった母りよさんの口癖だった。どんなにつらい状況でも、前を向くことが大切だと、天国から励まされている気持ちになる。そして、いつも天真らんまんなタロウに、青空のイメージを重ねる。
気分が沈むと、キンちゃんはタロウを抱きかかえ「これからどうするべ」と語り掛ける。
タロウは何も応えず、じっとしている。その顔を見ているだけで、キンちゃんは心が落ち着く。=おわり
(この連載は、安藤明夫が担当しました)
転載
中日新聞より転載
愛犬タロウとともに、再び漁に出るようになったキンちゃんこと佐々木公哉さん(58)=岩手県田野畑村=は、やがて悪夢に苦しむようになった。震災直後、津波で流されたタロウを探し回る中で見た村の光景が、眠りの中で鮮明によみがえるのだ。
最もひどかったのは、三陸鉄道の島越駅近くにあった実家の周辺。住宅街は土台が残るだけ。通った小学校の二階建て校舎も、全壊した。駅前の広場もがれきに埋まり、回収されていない遺体があちこちにあった。家具にはさまれて息絶えていた女性は、幼なじみだった。
強烈な心的外傷後ストレス障害(PTSD)。「漁が順調だったら、乗り越えられたと思う。でも、この状態だから…」とキンちゃんは言う。
震災後の三年で震度1以上の余震が1万回を越え、海底の泥を巻き上げる。長期間沈んでいた布団の綿が水中を漂い、網に張り付く。かご網をつなぐロープが、がれきにひっかかって切れることもある。タコ、サケ、イカ、サンマ…とすべての魚種が不漁で、魚市場は閑散としている。漁船の備品や魚網などが、あちこちで盗まれるようになった。
恵みの海も、人の心も変わってしまった。漁船の改造に使った千八百万円の借金を返すめども立たない。
時間の経過とともに、被災地の報道が減り、原発再稼働、二〇二〇年東京五輪、集団的自衛権と、キンちゃんにとって納得できないニュースが続くことも胸を締め付けた。
キンちゃんは若いころ、勤めていた村役場の人間関係に悩み、アルコール依存症になった。治療を受けて十九年間断酒を続け、安定した日々を送ってきたが、それも途切れた。「スリップ」と呼ばれる現象だ。
入院して抗酒剤を服用し、PTSDに向き合うカウンセリングを受け、再び断酒。それを、この二年で三度繰り返した。
でも「隠すことが大敵」という信念を持っている。
「震災直後から、私のように心の問題を抱える人はたくさんいたけど、精神科に偏見があって、かかろうとしない。それではこじらせてしまう」
ブログで入院を報告すれば、全国の仲間から励ましの声が寄せられる。そして、退院すれば相棒のタロウが全身で喜びを表現して、迎えてくれる。一人じゃないことが、揺れる心を支えている。(続く)
中日新聞より転載
「私の船を、お譲りしたい」。岩手県田野畑村の漁師、キンちゃんこと、佐々木公哉さん(58)=にメールが届いたのは、震災から4カ月後の2011年7月。東京で趣味の釣り船「太郎丸」を持つ金属工事会社社長大江一郎さん(46)だった。
「佐々木さんのブログを読んでいて、何か役に立ちたいと思っていました。奇跡の生還をしたタロウ君と太郎丸。不思議な縁を感じて…」と大江さん。当時は中古船を東北に転売するビジネスも盛んで「売らないかという打診もありましたが、知っている方に贈りたかった」。話はとんとん拍子に進み、翌月初めに太郎丸は、被害の少なかった隣村の漁港に着いた。しかし、その後が長かった。
漁に使うには、魚群探知機、衛星利用測位システム(GPS)、レーダーなどプロ仕様の装備が必要だが、船修理の会社は相次ぐ注文に手いっぱい。加えて漁港の復旧工事も進まない。海底には、大量のがれき。「これからやっていけるのか」。焦りと不安の中で、キンちゃんは不眠に悩まされた。毎日更新するブログにも後ろ向きの言葉が目立つようになった。
「(震災から)半年たちました。何も考えたくない。何も書きたくない。そんな時もあります」(同年9月11日)
「へこんでいます」(同年10月18日)
そこへ支援者が現れた。被災地の心のケアに尽力する東京学芸大教授の小林正幸さん(57)=教育臨床心理学=。同年11月に研究仲間と共に訪れ、キンちゃんにカウンセリングを施した。
「ブログを見ていて、心のとげを抜いてあげる必要があると思いました。漁船での左足の骨折事故で自信をなくしたことが、根本的な原因だと感じました」
面談で事故の状況を詳細に思い出してもらいながら、「何とかなる」と思えるように導いていく。気持ちを整理できたキンちゃんは「自分のペースでやっていこう」と切り替えた。
それから半年後の12年4月に進水式。船名は、津波で流された「第八みさご丸」に替わり「第十八みさご丸」とした。漁師は末広がりの「八」を好む。「たくさんの幸運を」と、十を加えた。
寄せられた支援はさまざま。村は交通の便が悪いが訪ねてくる人も少なくない。善意に感謝しつつ、キンちゃんは日焼けした顔をほころばせる。
「みんな『タロウに会いに来ました』って言うんだ」(続く)
中日新聞より転載
東日本大震災の津波が、岩手県田野畑村を襲ったのは、地震から39分後。最大遡上高25メートルの水の塊が集落をのみ込み、39人の命を奪った。
漁師のキンちゃん=佐々木公哉(きんや)さん(58)=の自宅にいたのは、妻貞子さん(59)の老親2人。親類の車で高台に避難した。家は海岸から1.5キロほど離れており「念のためのつもりだった」が、高さ1.5メートルの津波が押し寄せ、一階部分は大破。庭の柱につないであった愛犬、タロウの姿も消えていた。
金具の変形したリードが柱に残っており、タロウが全力で引きちぎったようだ。
左足首の骨折で内陸部の病院に入院していたキンちゃんは、5日後に退院して村へ戻り、タロウを探し回った。「白い犬ががれきの上に乗って流されていった、という話を聞いたけど、いくら探しても手掛かりがなくて…。あきらめかけてました」。
震災から9日後の3月20日夕。壊れた倉庫を片付けていたキンちゃんは、ふと顔を上げると、50メートルほど先の道路をヨロヨロと歩いてくる小型犬に気づいた。
重油にまみれ真っ黒になっていたが、まぎれもなくタロウ。キンちゃんは走りだした。タロウも駆け寄ろうとするが、力が出ない。「タロウ、生きてた―」。キンちゃんの声を聞いて、貞子さんも外に出てきた。後は涙…。与えられた牛乳を、タロウは激しい勢いでなめた。それから1週間ほどぐったりと横たわっていたが、次第に元気を取り戻した。
街も道路も変わり果て、目印もない。氷点下に冷え込むことも多い時期。どこをさまよい、どこで夜を過ごし、どう家路を見つけたのか。
タロウは、蝦夷(えぞ)犬の父と豆シバの母の間に生まれた。父親は、リンゴ農園でクマを追い払う番犬。寒さに強く、闘争心旺盛な父の血が、土壇場を生き延びる力になったのかもしれない。
キンちゃんは工業高校と大学で電子工学を学び、パソコンが得意。2005年から「山と土と樹を好きな漁師」というブログを運営し、震災後は同村の被災状況や必要な支援などを発信してきた。このブログを通じて「奇跡の犬・タロウ」は広く知られるようになり、やがてキンちゃんの漁師復帰を後押ししていく。(続く)