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無風の射水市長選にたった1人で挑む「76歳新人」

2013-09-28 21:51:12 | 日記
転載  ダイヤモンド社より
【第78回】 2013年9月24日       相川俊英 [ジャーナリスト]
無風の射水市長選にたった1人で挑む「76歳新人」
“老いの一徹”は大合併の悪しき遺産を打ち崩せるか?
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全国で若手首長が続々と誕生するなか
市長選に立候補する「76歳新人」の思い
 若い首長が相次いで誕生するようになり、いまや30代の自治体トップもそれほど珍しいものではなくなった。現に市長の最年少記録は更新に更新を重ね、いまや20代に突入した。
 今年6月に当選した岐阜県美濃加茂市の藤井浩人氏、28歳である。市町村長の被選挙権は25歳以上なので、下限にまで迫りつつある。
 日本のメディアは、若い首長が生まれると決まって大きなニュースとして取り上げ、しかも好意的に伝えてきた。20代や30代の若者が首長選に出馬したり、ましてや当選することなど、ひと昔前にはあり得なかった。それだけ新奇さに富む出来事なのである。
 メディアが若い首長の出現に沸く理由は、他にもある。地域の将来に対する危機感や不安感が生み出した現象と考えられるからだ。リスクを背負って出馬した若者と変化を期待して投票した住民たち。双方ともに「地域を変えなければ」という切迫感を募らせ、これまでの常識を越えた行動に出たのである。
 それには「しがらみのない清新な人が良い」となり、組織の支援を受けない若手候補などの当選につながったと分析される。
 もっとも、首長としての適格性に年齢はあまり関係ない。若ければ良いというものではないし、ダメというものでもない。もちろん、高齢の場合も同様だ。首長に求められるのは知力、体力、胆力、組織運営力であり、それらの多寡は年齢だけで即断できない。個々人によって様々であるからだ。
 また、これまでの政治や行政とのしがらみの有無強弱も、実際のところ、年齢とはあまり関係ない。若い頃からしがらみにまみれている人も存在する。
 厳しい現実に直面しているのは、特定の地域に限らない。地方の衰退は拡大する一方で、閉塞感が蔓延している。若い首長の誕生は、いまやどこにでも起こり得るものといってよい。
それだけではなく、想定を超えた新たな動きも生まれつつある。閉塞した地域の現状を変えようと勇気をふり絞って立ち上がるのは、何も20代、30代の若者に限らない。地域の将来への危機感や不安感は、全ての世代に共通するものとなっているからだ。
「このまま無競争になったら、同じことが4年間続くことになります。それは射水市民にとって不幸であり、恥ずかしいことでもあります。私が立候補し、選挙戦で市政の実態を市民に知らせ、これで良いのかと問いたい」
 背筋をピンと伸ばしたまま語るのは、富山県射水市に住む渡辺謙一さん。御歳76歳。11月に実施される射水市長選への出馬を決意し、9月24日の記者会見で正式表明する。
 渡辺さんは、現職以外に誰も出馬する気配のない状況を座視できず、76歳にして人生初の立候補を決断した。「こんなに燃える老人が日本にいてもいいんじゃないですか」と冗談半分に語る。
 毎日1万歩を歩き、30品目の食品を摂る日々を送っているため、実にかくしゃくとしている。老眼鏡なしで本や新聞を読み、全て自前の歯で食事をしている。
私には行政経験も支援組織もない
それでも「出ることに意味がある」
 しかし、渡辺さんは行政経験もなく、政党や各種団体の支援もない。対する相手は、再選を目指す夏野元志市長。41歳の若き現職市長で、知名度は比べ物にならない。このため、76歳の決起を「年寄りの冷や水」と見る人がほとんどだが、ご本人は「出ることに意味がある」と全く意に介さない。まさに「老いの一徹」である。
 かくして射水市長選挙は、市政刷新を叫ぶ76歳の無党派の新人が41歳の現職市長に挑むという珍しいものになりそうだ。しかも、直接対決するこの2人、浅からぬ因縁をもつ。4年前の市長選挙のとき、渡辺氏は夏野氏の後援会幹部を務めていた。それが今回は一転し、対立候補として名乗りをあげたのである。
 ではなぜ、このような戦いの構図が生まれつつあるのか。話は「平成の大合併」の嵐が吹き荒れた10年ほど前にさかのぼる。
平成の大合併が生んだ妥協の産物
射水市の火種となった「分庁舎方式」
 富山県射水市は、2005年11月に富山湾に面した旧新湊市と内陸部の旧射水郡4町村(小杉町、大門町、大島町、下村)が合併して誕生した。合併時の人口は約9万3500人で、県内第3位の都市となった(今年9月1日現在、9万5157人)。
 もともと旧5市町村はごみ処理や消防、上下水道などの事業を広域で行っていた。それで合併となったのだが、すんなりとはいかなかった。むしろ、揉めに揉めたのである。生活圏や地域の主産業、住民気質の違い、さらには中心部の二極化といった地域固有の課題をいくつも抱えていたからだ。
 なかでも、旧新湊市と旧小杉町の住民感情がぎくしゃくしていた。旧新湊市(当時、約3万6500人)が人口減少傾向にあったのに対し、富山市や高岡市のベッドタウンとなっていた旧小杉町(当時、約3万3000人)は人口を増やしていた。勢いに違いがあったのである。もともと漁業のまちと農業のまちである。住民気質も異なり、地域におけるライバル関係になっていた。
 紆余曲折を経て、5市町村による合併協議が始まった。しかし、協議は合併の破談を避けるため、合意形成が困難な事項を玉虫色にしたままで進められた。結論を先送りしたのである。その代表的な事項が本庁舎の位置だった。激しい綱引きとなり、収拾がつかなくなることが予想されたからだ。
 結局、分庁舎方式なるものを採用し、旧市町村の庁舎など計6つを、合併後も庁舎として活用することになった。非効率に目をつぶった「妥協の産物」だ。市長政策室や総務課などは小杉庁舎へ、議会などは新湊庁舎へと各庁舎に入居する部署が割り振られ、本庁舎の位置は市長室が置かれる小杉庁舎となった。こうして合併協議がまとまり、2005年11月に5市町村は射水市に生まれ変わった。
 市長選への出馬を決意した渡辺さんは、こうした合併までの経緯に一切関わっていない。また、細かな事情を知る身でもない。それも当然のことだった。
 高校まで旧小杉町で過ごした渡辺さんは、都内の大学を卒業後、地元の配電・架線金物メーカー「大谷工業」に就職した。しかし、本社の東京移転に伴い、故郷を離れて東京に転居することになった。その後、渡辺さんは社長にまで登り詰め、12年ほど会社経営の重責を担った。
 70歳の社長定年を前に、渡辺さんは「元気なうちに故郷に戻り、畑仕事などをして過ごしたい」と思うようになり、大きな決断をした。定年の2年前に自ら社長を退任し、無人となっていた実家に奥さんと2人で戻ることにしたのである。35年ぶりに戻ったちょうどその年に小杉町は合併し、射水市の一員となっていた。
35年ぶりの帰郷で感じた戸惑いと驚き
税金の無駄遣いに見える統合庁舎建設
 渡辺さんは、社長時代もしばしば小杉町に足を運んでいた。町内に社の主力の工場があるからだ。とはいえ、移ろいゆく故郷の事情に精通していたわけではなかった。地元での生活は、戸惑いと驚きを伴うものとなった。
 なかでも納得しがたかったのが、税金の使い方に関してだ。行政が無造作にカネを使っているように思え、厳しい視線を向けるようになった。長年、会社経営で苦労してきた者として、看過することはできなかった。
 初代の射水市長を選ぶ選挙が2005年11月に実施され、旧新湊市長の分家静男氏が旧小杉町長と旧大島町長との三つ巴の戦いを制し、初当選した。動き始めた射水市の最重要課題は、いかにして地域の一体感を醸成するかであった。
 その具体策の1つが分庁舎方式の解消である。庁内で様々な案の協議が行われ、新庁舎を建設する方向となった。国が元利償還金の7割を肩代わりする「合併特例債」を活用して統合庁舎を建てる計画で、総事業費は100億円規模にのぼるとも言われた。
 こうした動きに市民から疑問の声があがった。渡辺さんもその1人だった。「合併は行政サービスの低下を防ぐための行財政改革であり、新しい庁舎を借金してまで造るのはおかしい」と考え、「市庁舎問題を考える会」という市民団体を結成した。代表に就いた渡辺さんは、「新庁舎建設に巨額の税金を投じるのではなく、福祉や教育、子育てなどに税金を使うべきでは」と主張した。
 射水市は統合庁舎建設をめぐり喧々囂々となった。建設是非の議論に場所をめぐる思惑も混在し、議論は錯綜した。4年が経過し、09年11月に2度目の市長選となった。現職の分家氏は統合庁舎の建設推進を掲げ、再選を目指した。対抗馬として、37歳の若手県議が出馬を表明した。旧大門町に住む夏野元志氏だった。
 夏野氏は公約に新庁舎建設中止を掲げ、建設反対派の支援をとりつけた。渡辺さんも「本人に直接会って『つくらない』と約束したので、応援することにした」という。こうして夏野陣営の選挙対策本部会長代行に就任した。
結果は、現職候補に5000票近い差をつける番狂わせとなった。旧4町村の票と統合庁舎建設反対の票が、合算したことによるものと分析された。「建設ノー」を叫ぶ新人候補が勝利し、新庁舎問題に終止符が打たれると多くの人が思った。しかし、実際はそうではなかった。より一層混迷することになり、「事実は小説よりも奇なり」といった状況が続いている。
建設反対を唱えて当選した新市長が翻意?
仰天した支援者たちは反対運動を開始
 新市長就任から1年ほどで、統合庁舎建設の話が漏れ聞こえるようになった。不安を募らせた市民から、きちんとした説明を求める声が渡辺さんに寄せられるようになり、渡辺さんは市長に直接会ってその意志を確認することを重ねた。返ってくる言葉に変化はなかった。
 ところが、2011年6月の市議会で寝耳に水の出来事が起きた。本庁舎の位置を旧大島町内に移すという改正条例案が議員提案され、わずかな時間で可決されたのである。新たに本庁舎の位置とされたのは、公園に隣接した更地の市有地。つまり、位置条例の改正はこの地に統合庁舎を新たに建設することを意味する。
 渡辺さんらは仰天した。そして、建設推進派の議員らによる「強行突破」に怒りの声をあげた。だが、どうにも腑に落ちないことがあった。事実上、統合庁舎を建設することになる条例案の可決に対し、市長が再議しなかった点などである。色々な噂が飛び交った。
 渡辺さんは「市長に言われて議員が動いたという話を耳にしたので、本人に尋ねたところ、『そんなことはない』と否定しました」と、当時を振り返る。
 渡辺さんらは、新庁舎の位置を定めた改正条例案の廃止を求める活動を開始した。廃止条例案を直接請求する署名集めである。市長とも何度も話し合ったという。「庁舎建設はしたくない」「署名はたくさんあった方がいい」「議会と対決してもよい」渡辺さんは、市長のこんな言葉を今も鮮明に覚えていると明かす。
 渡辺さんらは、2012年4月に5650人分の署名を射水市に提出し、廃止条例案が議会に直接請求された。臨時市議会が4月23日に開かれ、審議となった。夏野市長は「(議員提案で可決された位置変更条例の)廃止に必要性は見いだせない」との意見書を添付し、議案を提出した。
つまり、市長は直接請求された条例案に「反対」ということだ。採決の結果は、反対20、賛成6で否決となった。
 夏野市長はその後、新庁舎を旧大島町内に建設することを正式表明した。建設費は約43億9000万円で、併用する大島庁舎の維持管理などを含め約80億6000万円かかると市は試算した。2015年度中に完成させ、新庁舎として開庁することを目指すとされた。
統合庁舎の建設決定も続く入札不調
「もはや自分が立つしかない」と決意
 納得できないのが、統合庁舎の建設に反対してきた人たちだ。説明なきままに反対から推進に転じた夏野市長と完全決別し、住民訴訟を起こした。議員提案による庁舎位置の変更条例が、首長の予算調整・執行権を侵害する違法なものだと主張し、建設費の支出差し止め訴訟を提起したのである。一審は住民側敗訴で、現在控訴審で審理中だ。
 新庁舎建設の作業が順調に進み、着工となれば、公約違反という批判も諦めの声に変わっていったのかもしれない。それを強く望んでいる人もいるはずだ。しかし、またしても想定外のことが起きた。新庁舎建設工事の入札の不調である。
 射水市は今年8月に臨時議会を開き、新庁舎建設事業費を5億円増額する措置をとった。資材費などの高騰に合わせて、予定価格を引き上げるためだ。このため、入札予定日も一度延期して備えた。だが、当日(9月9日)に参加を予定していたJV(共同企業体)が急遽辞退したため、入札中止となってしまった。思わぬ事態に、市は大慌てとなった。
 入札参加条件を緩和し、9月30日に再入札することにした。ところが、9月20日の資格審査の締め切り日までに参加申し込みがなく、再入札も不成立となる見通しとなっている。
 なぜ、入札不調が続くのか。予定価格だけではなく、別な要因があるのではないかとの憶測が広がっている。
 こうした状況を踏まえた上で、渡辺さんは「新庁舎の建設はいったん白紙に戻し、統合庁舎をどうするかゼロから議論し直すべきです。市の財政状況など全ての情報を市民に示した上で、新設なのか耐震化なのか分庁方式なのかといった議論を重ね、最終的には住民投票で決めるべきだと私は考えます。市長選挙でもそう訴えていくつもりです」と、語る。

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