八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

お不動さまと活きる暮らし

2018-08-19 07:35:46 | 日記
『拝めども拝めども難しくとも拝みたおさな!!』
スミ子おばちゃんの言葉。

火祭りの火渡りを涙しながら渡る姿の皆さんを見てて思い出した言葉。

若い頃病で苦労して悲しいことや痛みを乗り越えるために山に籠り滝に日に何度も打たれ。

『人の何倍も行をせな』と頑張ったおばちゃんが何時も私に言ってた言葉です。

『拝めば良いことあるのか?』『拝めば絶対いいんか?』
とか、そんなことでは無く。

お不動さまに拝む事が自然の環境で育った私とおばちゃんは、頑張って拝むしか生きていけなかった。

全く違う環境なんだけど拝めば何とかなる。

何とかなるまで頑張る為に拝ませて貰う。

そんな心が『拝めば大丈夫』とおばちゃんの中で確信がもった言葉につながったんやろーなあ。

と私は思います。

不安な事はつきません。

願いが叶うために何とか最善を尽くせるように拝む。


若い頃は、『わかってるわよー。』と思ってたけど…。

若い頃と今ではとらえかたが違ってる。


今思うことは、きっとこの事信者さんに言っても今は響かないし通じないなあ?と思っても私は私の信念をうざがられても伝えるのが拝む仕事を選んだんだからとその人を想い拝む。

お布施を貰ってるから拝むんではなく心に引っ掛かって心配な間は拝み続ける。

昨日も久々に来られた御夫婦は体調を壊してから何年も来られてなかったけど変わらず元気なお姿を拝見しホッとしました。

一つ仕事が終った~☺
お不動さまありがとうございます。

毎日拝む。

拝む事はシンドイ事の方が多いかもしれない。

でも拝む。

お坊さんは拝むために修行をつんでる。沢山勉強をし続ける。

外から見てもわからない。

『坊主丸儲け!』『宗教はお金がかかる。』って言葉が蔓延してる。でも違う。

宗教はお金はかかる?
拝む心は何も無くてもできます。

先日、隠れキリシタンの末裔の方とお話ししましたが。

自分達の宗教や思想をまもり今の子孫まで生き延びて来たって凄い!

やはり拝む事は宗派や人種関係ないな。

人間が活きるために拝むんやなあ。

と思う今日この頃。


在家。仕事をしながらでも絶対に拝む事は続けられる。

私はそう思う。

何も無くてもお不動さまを心に想い拝む。

神護寺の信者さんは在家にいて僧侶と共に拝み又、家で拝み。

暮らしがお不動さまと共に活きるとなってると私は思う。

自然体で暮らす上に絶対的にお不動さまがいる暮らし。


なんか長くなりましたが読んで下さりありがとうございます。