木蓮尊者は神通力をつかって亡くなったお母さんを探したら餓鬼道に堕ちていた。
何故?あんなに優しいお母さんが地獄に堕ちていた飲食をとれずにガリガリに痩せて食べ物をあげても全て燃えて食べられない。可愛そうになりお釈迦様に聴くと『子供の貴方には優しく苦労しないようにとして育ててくれましたが、貴方の事ばかり良くして他人には冷たくしました。自分の子供の為、自分の為に人の分もと欲を出しました。』と教えてくれました。
そして、どうしたらいいのですか?
と聴くと。
沢山のお坊さんを、あつめて供養をしなさい。
とそしてお母さんが積めなかった他者への功徳を積む為に餓鬼道に堕ちた人々の供養をしなさい。
と言われ供養を始めたのがお盆のはじまりと言われてます。
『本当に優しい、良い人でした。』と肉親が亡くなると大概の方は涙を流しながら想い出話をされます。
時には『酷い人だった。』と言うかたもおられます。
その話を思い出す度に『善い行い』とは難しい。
人のためとしていても逆に善くない事であったり。
この世は難しい。
悩み大きく多き人には『お施餓鬼供養をしましょう。野菜を七品小さく微塵切りにしてきてください。それとお米をお茶碗一杯ぶん。』と言いますと。
『いや!それよりは祈願してください。神様に頼んで下さい。』と将に焦りすぎてる。
でも不思議とお施餓鬼供養を毎月続けてると悩みが少なくなってく。と言か自分自分が減って生きやすくなっていくのかもしれない。
『なんで、お布施をだして餓鬼供養をせないけんのか?はよご祈願して』と言う方には『うちには、うちの参り方あるんだから、もし嫌なら他も行ってみて下さい。』とお伝えしてます。
施餓鬼供養の大切さは他者への労り優しさ布施(施し)
施しとは、有り余ってるから人へ分けるのではなく、自分がコノくらいあれば良い。人へお裾分けしよう。
と言う心の持ちようだと思います。
募金やご寄付やご寄贈や身体を使った施しお掃除のご奉仕、ボランティア。
物だけでなく、身体をつかった施しも自分の時間を他者のために使うので布施と同じです。
足るを知る。
まだまだ欲しいからコノくらいでいいかなあ。
少しあそこへ廻していこう!
と思える考えや余裕が大切なのかもしれません。
自分の家族や親族や利益関係のある人意外への施しが仏道を進むべき仏教徒の本質であるべきなのだとフト思いました。
私たちはお経をお唱えした後に『コノ功徳が全てのものにめぐりますように。』と祈ります。
神護寺では毎晩、お施餓鬼供養をしてます。
昔は暗い夜の本堂が怖くてドキドキしてたなあ。時折暗闇から信者さんが現れ。
キャーアーって。なったことも。
最近は強くなりましたよ😃
そしていつも善い行いばかりも考えられないのが人間。
でも時折思い出して下さい。
他者への優しさを。
笑顔に人は救われる。
話を聴いて貰えるだけて人は救われる。
だから困ってる!!と言う人は回りの人へ訴えてください!
話してみないと気がついて貰えません。
行動をおこしてみてください。
いい人が居てくれると信じたいです。
涅槃像の後ろに十大弟子として木蓮尊者もいらっしゃいます。
お百度もいいですよ。清々しい😆
回りに話せる人がいなければ、お寺へ来てください。
#善い人#お施餓鬼#ほどこす心#仏教徒