悩みは人それぞれ。
悩みは感じ方や捉え方が同じ人はいないかもしれない。
年代が近かったり、すると悩みも理解しやすかったり。
同じ経験してたら、すこしは理解できたり。
悩みは。
その人にとって、一大事。
ってことは、理解し合っていたい。
と誰もが心に少しでも思えれば世界の悩みある人は誰かに話すことで救われるのではないかなあ。
とおもった。
「なんや、ソレくらい。大丈夫よ。」と子供の話をかじるくらいしか聞かずに上から目線で言えば子供は次は悩みを親には話さなくなるよなあ。
とにかく聞いて共感する、傾聴。
悩みある人が、なぜ悩んでるのか話しを聞いてイメージしてみることはしてますか?
悩みのヒントを聞いてイメージしてみた事を伝えてみる。
大きな蜘蛛が部屋に入ってる。
眠れない。
横でインゲさんは寝てますが。
笑笑
悩みを分かち合えるか?あえないか?はすごく違うと思うんです。
私は中学生からの文通友達がいます。
まだ、ちょくではあってないのが他人からは「へんなの?」と言われるけど。
文通から電話からメールからラインからインスタグラムと変化しながらの付き合いは続いてる。
彼女にはなんでも話せた。
この存在は大きい。
今はネットゲームでこのような関係をちびっ子世代は見つけてる。
同じ趣味で私たちも繋がったように、若い子たちもゲームで繋がった、友達がラインやオンラインゲームで話すのが救いになったりしてる。
親としては心配だが。
今も昔も同じようなところはある。
お寺に悩みを相談に来られる方も多い。しかし大人は来れるが子供は親か祖父母が連れてこないとお寺には繋がらない。
もし、悩みある若者でお寺に来たい方は、どうぞお待ちしてます。
前にも書いたと思うけど、高校の同級生が人生の選択に悩んだ時に「篠原さんのお父さんに、見てほしいからいきたい。」と言われたバスで一人で来たような気がする。
悩みは私は聞かず。
帰りは父が一緒に送ってくいったように思う。
その後、彼女はある決断をした。
誰かに私の家が寺で相談にのってくれる。と聞いての行動だったと思う。
すごいなぁ〜。と今でも時々彼女を思い出す。
悩みは誰かに、聞いてもらうことで救われる事も多々あると思う。
なかなか、理解されなくても口に出すことは大切です。
そこから、神仏に願い自分も行動すること。
なにか良い手立てに巡り会えますように。
悩みは尽きないですね。