八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

存在価値

2010-06-05 07:35:41 | インポート

今日、信者さんとの会話で『自分が何の為に生まれきたのか神様か仏様が今世の課題とか教えてくれたら自分のいきる価値とか目標があって生きやすいのにねえ』

『初めからじゃなくても死ぬまでに教えて欲しいねえ~』
って言われ。
『確かに!君の今回の任務は●○だ。前世は●○だったからね』みたいに言われれば自分の存在価値を悩んだりせずにいいのかもねえ~。

みたいな輪廻転生を前提とした上での不思議な会話をしました。
で自分について考えた。

自分の存在価値って見る人や状況によって変わるから。

難しい!でもある程度は誰かの為に成ってる自分でありたい。

と思うのが人間的考えで…。

宇宙からみたらとか考えたら、どうでも良い事なんだろうけど。

存在価値!って。たぶん産まれて今ここに居る事に意味があるんだと思うしかない。

日本。女性。今の時代。に産まれてからこそのご縁で生きさせて貰ってる。

寺に産まれて育ったからの思想。

一つでも条件が違ってたら今の私は全く違う人だし。

『妹達は自由でいいなあ~長女の私だけ寺に縛られてるやんズルイ』とよく私は嘆いていた時に。

『棺桶に入った時にしか良い人生だったかわからんよ』と父と母は行ってました。

なんの為!

本当は何が一番大切か分かってても…。

分からないふりゃ。
甘えてしまったり。
逃げたり。


してしまうのが普通の人間なのかなあ~。
その年齢によって違ってきたり。

それを全部わかった上で見守ってくれる御不動様。

自分の存在価値は無って思って自分で
『死なない事!』

『死んだらやり直せない』

『とにかく自分で死なないで欲しい』

死ぬ前に誰でも良いから、まず話しを聞いて貰ってほしい。

誰でもって言っても真面目に受け止めてくれる人に。


『存在価値は生きる事から始まる』って私は思う!
生きて寿命をまっとうする事!

庭に花が満開になり父の祥月命日がちかづくと苦しみながらも懸命に病と闘った父の姿が頭から離れなくなる。

最後まで色々と教え伝えようとした姿が今も鮮明に心に伝わってる。




法事

2010-06-02 10:06:25 | インポート
母方の実家で曾祖母ちゃんの25回忌の法事がありました。


私は曾祖母ちゃんが亡くなった時ちょうど泊まりに行ってました。

同じ家の中で人が亡くなる事に初めて直面したので今でも鮮明に覚えています。

私だけでは無く従兄弟も何人か泊まっていました。
いとこはミンナで13人しかも私の一つ上から準々と続いた年の子ども達集まると凄かったです。

本堂で暴れ階段からジャンプと…。

『危ないよ』と何時も曾祖母ちゃんは心配して怒ってました。

そんな私達も大人になりなかなか、何かないと会えなくなりました。

久々に集まりワイワイと過ごしました。

近況報告したり私達の子ども達が私達の子どもの頃のように走り回ったり…。

叔父さんが悪者で子どもを捕まえて遊んでたのが従兄弟が悪者になり子ども達を抱っこして捕まえたり。

私、確実に年を取ってるわ~。とシミジミじっかん!

最近は法事は短かな家族だけでお経だけ。が楽だからと増えてますが…。

一人っ子で核家族化が進む私達の子ども達世代。

親戚の関わりは大切にしたいなあ~と思います。

なので法事の後にはゆっくりと食事会(おとき)を催すのも大切だと思います。

小さな頃、長い休み中はお互いの家を行ったり来たりを許してくれた叔父や叔母、母父きっと面倒くさいし大変だったと思いますが。

チビ達を見てるとつくづく思います…。

私も今のような親戚付き合いを大切にしたいです。

面倒くさいし大変だけど親戚って良いです。

法事も多様化してますが宗教的な事以外にも色々な事を教えてくれました。