明日で秋のお彼岸期間は終わりますよー。
何かしましたか?
今日も精一杯生きたかなぁ?
もうちょっと何かできたかなあ?
やりたくてもできなかったかなぁ?
生きるって色々。
そうやって一日一日過ぎてくのかなあ。
古くからに信者さんが亡くなったと連絡を貰った。
寂しくもあり、ずーっと御供養を続けてた子供さんたちに逢えたのかなぁ?
とオバちゃんの供養をお彼岸でさせてもらった。
「嬢ちゃん」と話してくれる言葉の響きや眼差しがとても、優しい方でした。
沢山の悲しみを超えて優しさに溢れてたのかなあ。
御供養からお孫さんの幸せを祈り続けてました。
90代の方があちらの彼岸(仏の世界)へかえっていかれる。
様々な困難を乗り越えて仏の世界へ変えるんだなあ。
すごいな長く生きるって。
強く優しい人だったなあ。
強い信仰心を持っにはやはり何かあった方が多いのかもしれない。
またそういう事があって一族や親族も信仰心が、篤くなるのかもしれない。
神仏への祈りは、拝むと速解決なんてことではない。
私達の悩みに寄り添ってくれるのが信仰なのてまはないか?私達が寄り添うのが神仏なのかな?
みなさんが信仰心のない方たちから、「そんなに拝みよんのに、あんた、いつも大変やなあ。拝む意味あるんで?」と言われる。とよく聞きます。
信仰心はある人にしかわからないですよね。
今日はチビっ子が沢山お参りに来られてました。
「オレ遊びたい、お参り嫌だ!!」と始まる前は言ってたけど法要の間は、悪そうな男の子達も静かに座ってましたよー。
「ココお寺よ」「怪我せんように、お願いせな」とばあちゃんに言われてました。
法要と言う空気感。
小さなお子さんもなんとなくわかる。
「騒いでも仕方ないから、連れてきてください。お参りの空気にふれることが、経験に繋がるから、子供は騒ぐもの。直ぐに大きくなるから😌🙏」
反抗期チョット寺から離れても、遠くに家を離れ出てくと、実家に帰った時に親やばあちゃんが言わんでも、お寺に一人でサッと参りに来るんですよね。
「わかりますか?」とにこやかにお参りに来てくれる。
「わかるよー。」ということが多いが時々分からなくてもご愛嬌で。
私にとっても祈りや神仏のあるココは、拠り所ですが、
改めてお寺はそんな場として必要だなあと思った彼岸法要でした。
宗教離れと言われ続けてますが〜逆に信仰心のある人々は信仰心篤いですよー。
お不動様と共に生きる。
苦しいことも多いけど。
嫌になるけど活きるぞ!!