運天 <4>
今帰仁間切には沖縄の中で
最大規模を誇る今帰仁城(北山城)がある
北山は中国の明と貢易を行っていた
この時の津(港)は運天港だと見られる
今帰仁城の麓に親泊(えーるまい)があるが
朝貢船規模の船が出入りできる津口(港)がないので
明との貢易は運天港であったと思われる
運天には大北墓(うふにしばか)をはじめ
百按司墓(むむじゃなばか)
大和墓・外国人墓・無名の墓群などがある
第二監守時代の按司と
阿応理屋恵(あおりやえ)を勤めた3人と
その一族を葬った、大北墓など
60基以上の墓が集中する地域である
大北墓以外の墓は
いつの時代の墓か葬られた人物は誰か
はっきりとしたことは不明だが墓の状況から考えると
いくつかの時代の古墓と考えられる
百按司墓にはいくつかの言い伝えがある
怕尼芝按司に滅ぼされた
中昔北山一族や
後昔北山が尚巴志によって滅ぼされた一族や
尚巴志王統(第一尚王)が滅び
その北山監守たち
薩摩軍の攻撃での戦死者などの
人々が葬られたと考えられている
岩をくり抜いて造ったりっぱな墓である
中にはおびただしい数の骨が残骸となっていて
複数の木棺が墓の中に納められている