人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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今帰仁 【10】

2015年12月01日 00時04分27秒 | 日記

 運天 <4>

今帰仁間切には沖縄の中で

最大規模を誇る今帰仁城(北山城)がある


北山は中国の明と貢易を行っていた

この時の津(港)は運天港だと見られる


今帰仁城の麓に親泊(えーるまい)があるが

朝貢船規模の船が出入りできる津口(港)がないので

明との貢易は運天港であったと思われる


運天には大北墓(うふにしばか)をはじめ

百按司墓(むむじゃなばか)

大和墓・外国人墓・無名の墓群などがある


第二監守時代の按司と

阿応理屋恵(あおりやえ)を勤めた3人と

その一族を葬った、大北墓など

60基以上の墓が集中する地域である


大北墓以外の墓は

いつの時代の墓か葬られた人物は誰か

はっきりとしたことは不明だが墓の状況から考えると

いくつかの時代の古墓と考えられる


百按司墓にはいくつかの言い伝えがある

怕尼芝按司に滅ぼされた

中昔北山一族や


後昔北山が尚巴志によって滅ぼされた一族や

尚巴志王統(第一尚王)が滅び

その北山監守たち


薩摩軍の攻撃での戦死者などの

人々が葬られたと考えられている


岩をくり抜いて造ったりっぱな墓である

中にはおびただしい数の骨が残骸となっていて

複数の木棺が墓の中に納められている

コメント
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