青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

“アリバイ横丁” ~これぞ大阪の名所!

2021-10-09 | 昭和・懐かしい大阪の風景

阪神百貨店から地下鉄西梅田駅までの間の地下通りには、かつて全国各地の名産販売店が集まっていました。「ふるさと名産店」です。

僕が物心ついた時には既にありました。実際には現地を訪れていなくても、現地のお土産を買うことが出来たことから、「アリバイ横丁」の愛称がありました。

1951年に「全国銘菓名物街」としてオープンし、従業員の高齢化などで閉店が相次いだほか、阪神百貨店梅田本店の建て替えによる、地下通路拡幅工事に伴い、2014年3月29日に全て閉店。63年の歴史に幕を閉じました。

お店の奥行は何と「50センチ」しかありません。ここで出張のアリバイを作るサラリーマンがいるということを聞いていましたが、僕は昔ここで、「萩の月」「ひよこ」など各地のお菓子を買ったものです。秋葉原にも、これくらい狭いパーツ屋さんなんかが残っていると聞きますが、大阪にはこういうお店がズラリと並んでいたのです。

アリバイ横丁の最後、2012年頃には、この名店街のお店の数が激減しました。下の写真をご覧下さい。林の写真のポスターが貼られた地下通路?知らない人には単なる地下通りの壁としか思えないと思います。しかし、実はお店のシャッターが下りているのです。1番右の壁紙には、白い張り紙が見えますが、これは閉店のお知らせです。

こういう大阪名物が無くなって行くのを見るにつれ、時代が変わって行く・・そう思わざるを得ません。梅田地下街の「泉の広場」もしかりです。

皆さんは知っていますか?大阪でジャンボ宝くじの1等当たりが1番出る売り場を。第4ビル前の売り場ということになっていますが、実はここは移動してきた場所で、昔は阪神百貨店と地下鉄御堂筋線改札口前の、地下の夕刊新聞などを売っていたお店が並んでいた場所でした。汚いから改装という理由で、売店も全部強制立退きになり、現在の場所に移動になったのです。

壁には夕刊紙のサンプルが貼られ、「こ●き」(何でこれが使用禁止文字なのか?)も結構座っていました。80年代のバブル期には、「こ●きは3日やったら辞められない」というのは本当か?と、僕が実際にやってみたら、当時現場仕事のアルバイトで1日5,000円のバイト代が相場だったのが、1日座ったら確か12,000円になり、毎日座ろうかと思ったことを、今記事を書きながら思い出しました。この時、喉が渇いたので、売店に缶コーヒーを買いに行ったら、「こ●きは向こうにお行き!若いのに働きもせず!」と言われて、缶コーヒーを投げつけられたのを覚えています。



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