異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

太田あゆみ 香川県高松市議会議員に立候補 無所属~無関心をやめた時 未来へのあゆみが始まった

2015-04-24 21:02:04 | 紹介

 

rikkouho

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3. 太田あゆみ 香川県高松市議会議員に立候補 無所属 
緑の党推薦、アーティスト有意識者会議NAU推薦 34歳

無関心をやめた時 未来へのあゆみが始まった

選挙は楽しい!

 ここにいるとなぜかみんな笑顔になってしまう。そんな不思議な選挙事務所がありました。
「もう、毎日楽しくて! 昨日はボランティアさんと2人でポスティングしている間、笑いすぎて声が枯れちゃいました(笑)」
そう満面の笑みで話すのは太田あゆみさん。高松市議会議員にチャレンジしているシングルマザーです。

 あゆみさんは高松市内で、両親と今年6年生になる娘と一緒に暮らしています。11月に市政へのチャレンジを決意し、12月から街頭演説を開始。毎朝7時半〜8時半まで母の富子さんと一緒に街頭に立ち、そこを娘の彩華(あやな)ちゃんが手を振りながら学校へ通う日々を送っています。
 彩華ちゃんの得意技はあゆみさんの演説原稿をチェックすること。あゆみさんは彩華ちゃんにわからないと言わるたびに書き直し、難しい政治の話をわかりやすくて穏やかな内容に変えていきました。彩華ちゃんは学校の帰りに友達を連れて事務所に寄り、宿題をしたり、遊んだり。時にはアイドルに変身して歌って踊り、大人と一緒に選挙の話をしたりして過ごしています。そして学校では、子どもたちが好きなことを自由に話す1分間スピーチの時にこんなことを話していました。

「集団的自衛権に反対です。戦争をしたくありません。今の時代は女も行くんです。男も女も関係ありません」

 しっかりと母親の背中を見て育っているようです。いつも冗談を言って人を笑わせるのが好きな彩華ちゃんを見て富子さんは、あゆみさんの小さい頃によく似ていると言います。そう。実はあゆみさんの両親は、長年市民活動を続けていて、あゆみさんも子どもの頃、選挙ポスター貼りについて行ったり、お姉さんと一緒に「ウグイス嬢ごっこ」をして遊んでいたのでした。両親が応援していた元県議会議員、渡辺さと子さんもあゆみさんの立候補をよろこび、我が子のように一生懸命応援しています。両親の世代からおつきあいのある年配の人達と若い世代が混じりあい、大きな家族のようなつながりがあゆみさんをしっかりと支えています。

 たくさんの笑顔が集う事務所。しかしそんな笑顔の裏には、たくさんの涙とそれを乗り越えるための力強い努力がありました。

その時、無関心だった自分に気づいた

あゆみのあゆみが書着込まれた事務所のホワイトボード。「ストップ、無関心」と「無関心、やめました」のイメージは随分違う

 あゆみさんが市議会への挑戦を決めたのは、3.11とその後の「無関心」でした。

「1986年のチェルノブイリの原発事故の時、父に連れられて反対運動の現場に行ったんですが、その時父が「この子ども達の未来に何かあったらどうしてくれるんや!」と叫んでいたんです。そんな父があの地震の直後、最初に言ったのが「福島の原発が危ない」でした。私の中で1986年のあの風景が重なり、自分は知っていながら今までやってこなかったという憤りをものすごく感じました。まわりを見ても、自分の事しか関心がありませんって人が多くて、時間が過ぎるに連れて3.11のことなんて何も言わなくなってしまう。無関心でいる怖さ、知らないフリをする怖さを感じていたのですが、自分もそのひとりだったんだと気づきました」

 そして市議会議員への挑戦を決意し、掲げたテーマが「ストップ無関心」。ですがこれに父の育治さんから鋭い指摘が飛んできました。
「父に「上から目線はけしからん。自分事でいいなさい」と言われて、ああ、ほんとだなあって(笑)。それで「無関心、やめました」に変えたんですよ」
 立候補に反対してきた育治さんですが、やはり娘のことが気にかかったのでしょう。父のさりげないサポートであゆみさんの方向性が明確になっていきました。

 初めての選挙。何をやっていいのか、誰に声をかけていいのか、最初はなかなかわかりません。いつも明るいあゆみさんも、ひとり事務所で泣いたこともあったといいます。そんな時にやってきたのが、3.11をきっかけに高松に引っ越してきた女性でした。社会への無関心と何もしない自分に対して違和感を感じていた彼女は、あゆみさんと意気投合。選挙のために仕事を辞め、富子さんと3人で手探りの政治活動を始めたのです。それから、インターネットや口コミで仲間がどんどん増え、いつのまにか事務所には笑顔があふれるようになっていました。

弱い人に心を寄せること

両親が営む古本屋「讃州堂書店」では母の富子さんが店番をし、娘の彩華ちゃんもよく遊びに行っている

 富子さんはハンディキャップを乗り越えて子育てをし、古本屋を営みながらこの選挙を手伝っています。富子さんは18歳の時に関節リュウマチを発病し、26歳で結婚。2人の娘を産み育ててきましたが、あゆみさんを出産したすぐ後に症状が悪化したといいます。

「私は母にだっこしてもらったことがないんです」
そう話すあゆみさんの目には、心の奥でうごめく何かが映し出されていました。幼い子どもの心には、いろんな想いがあったことでしょう。
「父はいろんな人を助けていたので、朝起きたら知らない人が家にいることがよくありました。母は障害者問題について学んでいる時に自分が病気になり、その後も教科書問題、障害者や外国人労働者の支援に取り組んでいました。うちの親は変なことやっとるなあと思っていたんですが、大学で京都に出てからはあまりそういう世界には関心を持たなくなっていました」

 そして結婚、出産。しかし、飲食店で働き夜の遅いパートナーとは次第にすれ違いや価値観の違いが大きくなり、あゆみさんは1歳の彩華ちゃんを連れて家を出ざるをえない状況になっていきます。

「コンビニでいくつか段ボールを送り、最低限の荷物を持って高松に帰ってきました。残りの荷物の引き上げと相手との話し合いはお父さんがやってくれて、離婚が成立しました」
 そんなさまざまな経験を経て、彼女が見る世界も変化していきました。
「私は自分が経験したことを他の人に経験させたくないんです。まわりを見てみると、孤立していたり、孤独な人が多いと思います。昔からうちにはいろんな人が来ていたので、社会的弱者と呼ばれる人達がいることがわかったし、大人はそんな人達を差別するんだなと子どもながらに思っていました。子どもは敏感に受け取るんですよね。だからまずは自分が身近なところに関心を持って、一生懸命やっている姿を子どもに見せていきたいと思います」

 こうして自身の経験から生まれた強い想いが、彼女の政策をつくっていったのです。

子どもの頃から培われた市民派の信念

街頭では後輩がつくってくれたテーマソング「みんなで未来へあゆみ隊」を歌いながら演説をする

 あゆみさんの政策は大きく「子ども」「女性」「平和・人権」「脱原発」「議会改革」の5つに分かれています。

 「子ども」「女性」「平和・人権」は、今までの経験から社会的弱者を守る必要性を感じて打ち立てたものでした。この中であゆみさんは、貧困状態にある子ども達や孤立しがちな子育て中のお母さんのサポート、DV被害者の保護シェルターの必要性を訴えています。DVは被害者の保護だけでなく、自立支援や加害者の更正プログラムも必要と、トータルな問題解決を提案中。
 また、子ども達への平和教育の充実と、自治体レベルでの平和外交を進めようとしています。特に高松市と友好都市提携をしている中国の南昌市との交流を軸に、国政の動向に振り回されない友好関係づくり、平和づくりを目指しています。

 「脱原発」はお隣、愛媛県の伊方原発から186kmにある高松市に起こる危険性を指摘し、自然エネルギーによるまちづくりを提案。また「議会改革」では、議員活動費用として使われる税金の流れを明確にして、ムダな費用の削減を求めたいとしています。
 特に彼女が疑問に感じているのが、2014年に素案が提出された「議会基本条例」の、「委員会は、請願及び陳情の審査に当たって必要があると認めるときは、その提出者の意見を聴く機会を設けるものとする」(第14条3項)という記載。「市民から請願・陳情として寄せられるすべての意見を聞きましょう」ではなく、各委員会が必要とするものだけを取り上げるのでは、市民にひらかれた市政にはならないと思ったそうです。また、議会や委員会を傍聴する機会が得にくくなっていることから、もっと市民にひらかれた議会の必要性を感じています。

 こういったあゆみさんの活動の一貫性には、長年市民活動を続けてきた両親とその仲間達の影響が大きいのではないでしょうか。子どもの頃から感じ、自分で考えて動いてきたことだからこそ、最後まで貫き通す強い信念が彼女の中に育っているようです。
 弱者にやさしく市民にひらかれた議会への挑戦。家族や仲間に支えられながら、あゆみさんは一歩ずつ確実にあゆみを進めています。

 

HP 太田あゆみオフィシャルサイト http://www.ayumirai.com/

ブログ あゆみのあゆみ http://ayumirai.exblog.jp/

Facebook みんなと未来へあゆみ隊 https://www.facebook.com/step.ayumitai?fref=ts

● 山本太郎と、三宅洋平のインタビューページを1万人の立候補プロジェクトで公開中。読んでみてね!  インタビューページを読む

 


佐竹としあき 福岡県大野城市議会議員に立候補~「近くの小さな幸せから、愛と平和を広げたい」

2015-04-24 18:46:00 | ご案内

rikkouho

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2. 佐竹としあき 福岡県大野城市議会議員に立候補
無所属・NAU推薦、山本太郎推薦 48歳

近くの小さな幸せから、愛と平和を広げたい

伝え続けたい思い

「鬼は内、福は内じゃないといかんとよ!」
そう熱い言葉を投げかけるのは、佐竹としあきさん。社会と真っ向から向き合いながら、鋭くとがり続けてきた男。

 福岡市生まれ北九州育ちの彼は、地元ミュージシャンがしのぎを削る福岡で小学生の頃からロックを聴いて育ち、22歳の頃、RCサクセションのアルバム「カバーズ」(1988年)で洗礼を受けます。
「清志郎の言葉から原発や核兵器のことを考えるようになって、「核はいらない」がストンと腑に落ちた」

 高校を卒業後、東京、大分、長野などで暮らし、福岡に戻って根を下ろしたのですが、1995年にバイク事故に見舞われてしまいます。生死をさまよう大事故で頭蓋骨を骨折。動くと鼻から髄液が滝の様に出て急性髄膜炎で死に至る可能性があるので、寝返りを打つこともできない。医者から手術を強く勧められるも強く拒み、2週間経っても治らなかったら強制的に手術しますと言われていましたが、奇跡的に回復。一命を取り留めることができました。その後、いざなわれるようにして出かけたインドへの旅やネイティブアメリカンとの交流を通じて、彼はひとつの確信にたどりついたのでした。
「このいのちはオレだけのために使うんじゃなくて、みんなのために使う。つらいことも哀しいことも苦しいことも全部自分の人生。オレは全部引き受ける」

 鬼も福も全部OK。そんな思いを胸に抱えながら彼は、九州で原発と被爆の危険性を訴える活動に力を注いでいきました。

「インドはお釈迦さまが生まれたとこやけん、大きくなったら行ってみんしゃい!」かわいがってくれた祖母の言葉が旅への扉をひらいた。

世代をこえた絆へ

 3.11以降の福岡県庁、佐賀県庁、九電本社、北九州市役所など、デモや申し入れに毎回のように参加し、メッセージを伝え続ける日々。その流れの中で仲間とFLY(Fight For Your Life)を立ち上げ 、もっと若い人達を巻き込もうと始めたのが、玄海原発再稼働への反対を表現した「脱!原発サウンドデモ in 福岡」。音楽やダンスを交えたパレードに、世代を超えてたくさんの人達が参加しました。
「直接行動で今まで活動してきた人達ともたくさんで出会ったとよ。経験豊富な先輩たちがオレ達を助けてくれたし、子どもを持つママさんたちや若い人達も集まって動いてくれた。三宅洋平の選挙フェスの時も思いを受け取った人達が自主的に動いていた。みんな、積極的行動主義の集まりよ」
 佐竹さんはそこで、主義主張や世代を超えたつながりと助け合いの大切さを感じたといいます。
「例えば特定の党名や政治のこと表に出すと敬遠する人達もいるけど、平和がいいって思いは一緒やろ?  多少の思想的違いや人間的好き嫌いで判断するのでなく、同じ目的のためなら連帯して連携を取っていった方がいいと思う」
自分がやりたいことではなく、自分ができることを提供しあってつながりあう連帯が何かを生み出すと感じているのです。

サウンドデモには、ミュージシャン、アーティスト、お母さんなどさまざまな人が参加。2011年5月に始まり、メンバーが入れ替わりながら現在も続いている。

ひとりにさせない大野城

 自民党政権になってから次々に行われていく法整備。このままでは多くのいのちが危険にさらされるかもしれないと日に日に危機感が強まるようになりました。
「このままでいいと?」
きちんと準備をして4年後の選挙に挑戦する事も考えました。しかしたどり着いた答えは、
「3ヶ月後の日本の事が想像つかないのに3年後はないな。 だったら今しかない」
今まで一番ダサくてやりたくないと思っていた政治の世界へ飛び込む決意を固めたのです。

 社会活動の盛り上がりと連帯の広がりもあって、福岡市議会にはたくさんの仲間が立候補するようになっていました。そして、自分が住んでいる区からも他の立候補者が立つことに。
「昔のオレだったら、そんなの関係ないって自分も同じところから立候補していたと思う(笑)。でも今は違うね。仲間を増やしてみんなでやりたい。そしたら大野城市と出会ってね。地域に何度も足を運ぶうちに大野城の魅力が見えてきた。福岡みたいな大きなまちではどうしてもできないことができる可能性を感じとるよ!」

 それは、新しい何かではなく、昔からあった宝物を育んでいくことでした。
「オレらが子どもの頃はよかった。大人がみんな子どもを見とった。困っている人がいたら誰でも助けとった。それがまちが大きくなっていくにつれて、ひとりぼっちでいる人が増えていった。助けを求められない弱い人達が増えていった。オレは母子家庭で育ったから片親の大変さはよくわかるんよね。それに、とんがってとんがって、ひとりぼっちになったこともある。そんなオレがわかってあげられなくて誰がわかってあげられる?!」

 友達でなくても、家族でなくても、助け会える地域をつくりたい。身近な幸せが積み重なることで世界を平和にすることができる。そんな思いがわき上がってきたのだそうです。

仲間とつくる政治の輪

みんなで助け合って生きていく社会をつくりたい。

 いつもの場所でひらかれる選挙ミーティング。佐竹さんが出るなら手伝うよという仲間達が集まり、それぞれができることを持ち寄ってつくる手づくりの選挙です。
「地域で支えあって生きていければ、無理をして稼がなくてもいい」
「身近な生活の中での小さな幸せが、一番の幸せ」
 お金がかかって当然といえる選挙を少ない資金と仲間の力で乗り越えようとしいるこの風景も、そんな幸せのひとつでしょう。小さな思いやりや優しさが豊かさを生んでいく幸せの連鎖。
「自分がやりたいことじゃなくて、自分ができることをやる。オレは自分を勘定にいれないで損得じゃないところで動いていけるような人になりたいんよ」
 鋭くとんがり、やんちゃしてきた男が、無私の心境で動き出したこの選挙。関わるひとりひとりの中に大きな波を生み出していくに違いありません。

佐竹としあきHP http://sataketoshiaki.jp/

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応援メッセージ)
「オレは勝ち馬にのる! 佐竹さんを絶対に勝たせる!」 (大瀧純・選挙スタッフ)

『ローカルメディア3』
vol.1(愛の伝え方、電気をDIY)、vol.2(九州のマルシェと朝市)発売中!

詳細は→ http://www.localmedia3.net

● 山本太郎と、三宅洋平のインタビューページを1万人の立候補プロジェクトで公開中。読んでみてね!  インタビューページを読む


菊川けいこ 青森県六ヶ所村議会議員に立候補 無所属 65歳「今を生きる大人としての責任」

2015-04-24 18:30:23 | ご案内

 rikkouho

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1. 菊川けいこ 青森県六ヶ所村議会議員に立候補 無所属 65歳
今を生きる大人として 未来への責任を果たしたい

 

子どもたちの未来へ責任を果たしたい

 その人を思う時、浮かんでくるのは、穏やかな語り口とはにかむような笑顔、どこまでも高く抜けるような六ヶ所村の蒼い空。そして、嗚呼という思いと一緒に、こんな言葉が湧き出てくるのです。この小さな体のどこに、こんな大きな力があるのだろう。

 青森県の下北半島の付け根にある六ヶ所村で、チューリップとルバーブを育てる「花とハーブの里」を運営している菊川けいこさん。菊川さんは2度の脳梗塞を乗り越え、村議会議員への立候補を決意しました。それは、核燃料再処理施設のある村の未来に、今とは異なるもうひとつの道を示すためでした。

「今生きている人はみんな、子どもたちに残すものに対して責任があります。自分ができることをやるのが大人ですよ。逃げていちゃいけない」

 六ヶ所村で生まれた菊川さんは1964年、中学卒業と同時に集団就職で上京。結婚して出産し、子育てをする日々の中で起きたのが、1986年のチェルノブイリ原発事故でした。その事故に衝撃を受けた彼女は、原発問題に関心を持ち始め、六ヶ所村に建設が予定されている核燃料再処理工場について調べ始めます。そして、再処理工場から排出される放射能で故郷が汚染されてしまうという危機感から、1990年に家族で帰郷。工場の建設と稼働に反対する運動を続けながら、「核燃に頼らず、自然を生かした産業をつくりたい」と、1993年に自宅の農園を利用して「花とハーブの里」を立ち上げました。それから25年。再処理工場から直線距離で6キロの風下にあるその場所で、花とハーブと果樹を育てる農園は合同会社となり、菊川さんは自らの言葉を実践しています。

やむにやまれぬ想いで挑む3度目の選挙

「花とハーブの里」では、チューリップ、野菜、ルバーブなどを栽培、販売しながら、ゲストハウスとスローカフェ「ぱらむ」を運営している

 工場が着工されたのは1993年。当初、1997年の完成予定でしたが安全上のトラブルが続き、完成は22回延期されてきました。最初は村一丸となって反対していましたが、政治やお金の力で切り崩され、反対派と賛成派の対立構造が生まれていき、現在は賛成派が多数。心配な想いを口にすることもはばかられるような空気感があります。その理由はたくさんありますが、この産業ができたことで働き口ができた人がたくさんいることも理由のひとつでした。

 工場がなくなれば多くの人が働き口をなくす。そんな現実に、口をつぐまざるを得ない人も多くいることでしょう。しかしそんな中で、菊川さんは自分を偽ることなく、一環した活動を続けてきました。政治へのアプローチも行い、2003年には村議会議員選挙に、2014年には村長選挙に立候補しています。村長選挙では推進派の前副村長が5144票で圧勝しました。菊川さんが獲得したのは152票。他の2人の新人と合わせても反対派の得票は270票と大差がつく結果となりました。しかし彼女はあきらめず、2015年春、再び村議会議員に立候補を決意したのです。
 圧倒的な票の違いが生まれた村長選。この結果を受けて、菊川さんはこう思ったそうです。

「思ったよりも票が伸びませんでした。しかし、村の中でもこんなに真剣に考えている人がいるんだと思いました。元々当選の見込みはありませんでしたが、やっただけのことはありました。今回の選挙も村長選で手伝ってくれた人達が集まって進めています。私はできることをやっていく。黙って泣き寝入りしている訳にはいかないんです」

 菊川さんは2009年に脳梗塞を患っていて、今も体調は万全ではありません。体への負担を軽減するために、人と会うのは15時までにしています。しかし「やむにやまれぬ想い」でこの選挙への挑戦を決意しました。

言葉にできない人達の代弁者になりたい

菊川さんの存在を全国に伝えた映画「六ヶ所村ラプソディー」には、賛成、反対では割り切れない、さまざまな住民の想いが綴られている

 自分の責任を果たしたい。声を出せない人達の代弁者になりたい。菊川さんを動かしていたのは、そんなふたつの想いでした。

「議員になることがやりたかったことかというと違いますが、今、ここに住んでいる人として、理性で考えてできることをやらないといけないと思っています。
 私は選挙に出て議員になることで、再処理工場に反対している人がいることを公にしたいんです。公では言えない人達も多くて、その人達は代弁してくれる人を探しています。今の議員はみんな推進ですが、それでも悩んでいる人がいるんですよ。考えている人はいても、反対と言えない人達も。だからこそ、はっきりと反対という人が必要だと思います」

 と、これが最後の瀬戸際という想いで取り組んでいるそうです。
 夫はすでに亡くなり、子ども達はそれぞれ自立して、県外で暮らしています。そして、他の候補者全員と村のほとんどの人達は意見を異にする人達…。受かっても落ちても大変な苦労が見えるこの選挙ですが、菊川さんはそんな状況にも物怖じすることなく、志を共にする仲間と一緒に強い決意で選挙に挑んでいます。

 

再処理工場が抱える問題

尾駮沼(おぶちぬま)から臨む六ヶ所再処理工場

 六ヶ所村の核燃料再処理工場は、日本の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す計画でつくられました。その後、2つの物質を加工し、通常のウラン燃料よりも高出力のMOX燃料をつくり出し、核燃料として再利用。こうして「核燃料サイクル」を実現することで、輸入頼みのウランを有効活用しようという計画です。
 再利用と聞くと一見環境によいイメージを連想しますが、実はその精製と利用のふたつの過程で、大きな環境へのダメージと、健康被害が指摘されています。安全性が確保されていないと指摘される要因はいろいろありますが、六ヶ所村核燃料再処理工場では、度重なる安全上のトラブルから20年以上かかっても施設が完成していないことが大きな要因としてあげられています。
 世界に目を向けてみると、再処理工場を使用しているのは、フランス、イギリス、ロシア、インド、中国、パキスタンなど。イギリスとフランスでは外国の使用済み核燃料を運び込んで再処理していましたが、イギリスでは2011年にMOX燃料の製造を中止、2018年にはソープ再処理工場を閉鎖すると発表しています。また、アメリカ、ドイツ、ベルギー、アルゼンチン、ブラジル、イタリアは既に再処理工場を閉鎖、事業から撤退しています。このように「核燃料サイクル」は、世界的に見ても事業として取り組むところが稀な状況になっています。
 さらに、プルトニウムを含むMOX燃料は、原発から放射能が放出される事故が起きた場合、人体や環境に与える影響がより大きいと指摘されていて、現在のようなトラブルが起こる状況では放射能漏れからの深刻な環境汚染の可能性が指摘されています。
 また、再処理の過程で生成されるプルトニウムは、核兵器材料になるもの。
『ウォールストリートジャーナル日本版』の記事では、青森県の再処理工場は核兵器に転用可能なプルトニウムを年間9トン生産できる能力を有していて、これは核爆弾2000発分に相当する量であり、これが東アジアの核兵器装備を助長する原因になるのではないかと、アメリカが懸念を表明しているという指摘もあります。

 こういったさまざまな問題を抱える再処理工場。既に運び込まれている使用済み核燃料の保管管理も含めて、検討していく必要があるようです。こういった状況を知らせ、議論を活発にしていくことが今必要とされていることであり、菊川さんが果たそうとしている「大人の責任」なのでしょう。

Facebook 菊川けいこ応援ページ
https://www.facebook.com/kikukawakeikoouen

HP 花とハーブの里
http://hanatoherb.jp/

ブログ 花とハーブのおしゃべり
http://rokkasho.hanatoherb.jp/

著書『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』
http://www.kageshobo.co.jp/main/books/rokufuru.html

映画「六ヶ所村ラプソディー」
http://www.rokkasho-rhapsody.com/

 

 


辺野古の24時間監視中止を 国の労組が緊急集会で訴え

2015-04-24 18:13:08 | シェアー

 

琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242170-storytopic-271.html

2015年4月23日 

辺野古の24時間監視中止を 国の労組が緊急集会で訴え

24時間の監視態勢などを中止するよう求める労働組合の代表ら=23日午後、那覇市の沖縄総合事務局前

 

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画で、移設に反対する市民がキャンプ・シュワブ前に設置したテントの撤去を指導、監視する業務を担当する国家公務員らでつくる労働組合4者が23日午後、緊急集会を那覇市内で開いた。

24時間監視態勢を即時に解除し、市民と職員の対立をあおるような過剰対応を中止するよう求める決議を採択し、沖縄総合事務局へ提出した。


 集会は、監視業務を担わされている職員らが加入する沖縄総合事務局開発建設労働組合(仲里孝之委員長)と、その上部団体で県労連傘下の沖縄県国公(梅沢栄議長)に加え、連合沖縄傘下の沖縄国公労(白石幸嗣委員長)、沖縄国公労総合事務局支部(新垣等委員長)が開催した。

 
 決議は監視態勢などに関し「現場で県民・市民との望まぬ対立を強いられる職員の心身に深刻なストレスを与え、実際に心の健康を害した職員も少なくない」と指摘。「辺野古新基地建設に関連する一切の業務に職員を従事させない」などと求めている。【琉球新報電子版】

 

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日本の報道機関が危機的状況に陥っている:イギリスのガーディアンの記事紹介

2015-04-24 18:07:33 | シェアー

英語ニュースと英語学習のブログ

http://jjiwasaki.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

日本の報道機関が危機的状況に陥っている:イギリスのガーディアンの記事紹介

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写真(元通産官僚の古賀茂明氏) 出典:Kazuhiro Nogi/AFP/Getty Images


 安倍総理が率いる自民党政権は衆参両院で多数を占めており、一見、盤石な政権基盤を誇っているように見えます。しかし実際には脆弱であり、いつ権力の座から転落するか分からずビクビクしています。

 有権者の中で自民党に投票した人の割合は全体の2割弱です。 選挙制度の欠陥が自民党に多数の議席を与えているに過ぎないのです。

 自民党政権が一番恐れているのは、国民の無関心層が問題意識を持ち、その怒りが自分たちに向くことです。もしそうなったら、選挙で簡単に負けてしまいますから・・・・。そうならないために自民党は色々と悪知恵を働かせています。

①原発被害、貧富の格差、国民負担の増加、などのマイナス情報を隠す。(権力にとってのマイナス情報は、国民にとっては必須の情報です。)
②侵略戦争の事実を否定し、文句を言う中国・韓国を仮想敵国に仕立て、国民の怒りをそちらに向ける。
➂影響力の大きい大手マスコミを懐柔し、時には脅しも混じえて政府の広報機関に仕立てる。
④その他いろいろ・・・

 上記➂については、テレビ朝日の報道ステーションが最近話題になりましたね。元通産官僚の古賀茂明さんが安倍政権への批判をテレビで繰り広げたため番組出演できなくなってしまいました。権力批判をする人間をテレビから駆逐し政権の広報機関化を進めてしまうと、視聴者は知的な刺激を受けなくなり番組の魅力が無くなります。結果として視聴率の低下につながり、困るのはテレビ局自身だと思います。

 古賀茂明さんは大手メディアの番組から追い出されてしまい、日本の大手マスコミで彼の主張をまともに取り上げるところは無くなりました。しかし、海外メディアはしっかりと耳を傾けています。

 イギリス:ガーディアンの2015年4月16日付記事のリンクを以下に貼ります。( )内は私の日本語訳です。

「Japanese media facing political pressure, says Abe critic」(日本のメディアは政治家の圧力に晒されている:安倍の批判者語る)
「Ruling party summons media bosses over news shows, reigniting concerns over government intrusion in editorial content」(政権党がメディア幹部を呼びつけ報道内容について聴取。政府の報道規制に対する懸念が再燃)


 上記リンク英文記事の一部を以下に引用します。( )内は私の日本語訳です。参考にしてください。

「A leading Japanese political commentator has accused the government of applying pressure on the media to tone down criticism of the prime minister, Shinzo Abe, after the ruling party summoned broadcasters for questioning about their news shows.」
(安倍政権への批判をメディアが抑えるように政府側が圧力をかけていると、著名な日本の政治評論家が告発した。その会見前、政権党である自民党は報道関係者を呼びつけ、放送内容について問い質していた。)

「Shigeaki Koga, a former trade ministry bureaucrat, claims producers sacked him as a pundit on Hodo Station, a popular evening news programme, under pressure from government officials who were angered by his criticism of the Abe administration.」
(元通産官僚の古賀茂明さんは、夜の人気ニュース番組である報道ステーションでコメンテーターをしていたが、製作者に降板させられたと言った。安倍政権への批判に怒った政府担当者から圧力がかかったのでは、と彼は考えている。)

「A Liberal Democratic party panel is to question the show’s broadcaster, TV Asahi, on Friday over Koga’s claims. His unscripted remarks, made during his final appearance last month, were challenged by the host, Ichiro Furutachi, who denied channel officials had wielded the axe.」
(自民党の委員会は金曜日、古賀氏の番組での主張についてテレビ朝日に質問する予定だ。先月、報道ステーション最終出演の時、古賀氏は台本に無いことを発言し司会者の古舘伊知郎に咎められた。古舘氏は、テレビ朝日幹部が古賀氏を降板させたのではないと言っている。)

「Critics say Friday’s meeting is part of a worrying trend that has seen Abe and other LDP officials openly interfere in editorial decisions. “What’s happening in Japan is that the media are avoiding confrontations with the government because of the pressure it applies, instead of putting up a fight,” Koga said.」
(安倍総理と他の自民党幹部は最近、番組の編集に対して露骨に干渉しているが、金曜日の会合はその懸念すべき動きの一つだと評論家達は言っている。古賀氏は言う。「メディアは、圧力を掛けてくる政府と戦うのではなく対立を避けてしまっている。これが今の日本の現実だ。」)

「Koga and other journalists turned on fellow reporters in February, accusing them of going soft in their coverage of Abe after two Japanese hostages were beheaded by Isis.」
(古賀氏と他のジャーナリスト達が2月に次のような批判を行っている。「二人の日本人人質がISISにより首を切り落とされて以降、日本のメディアは安倍総理の報道に手心を加えている。」)

「The LDP asked media organisations to “show fairness” in their coverage of last December’s general election, an unprecedented move critics believe carried an implied threat to broadcasters who did not comply.」
(昨年12月の総選挙報道は公平に行うように自民党はメディアへ注文した。これは前代未聞のことであり、言うことを聞かない報道機関に対する脅しとも受け取れる、と識者たちは言った。)

「Koga said the LDP had not explicitly demanded favourable coverage during the election: instead, TV networks were being threatened implicitly because the government has the power to grant, and revoke, their broadcasting licences.」
(古賀氏によると、選挙期間中は好意的な報道をするように自民党から露骨な要求は無かったという。しかし、政府は放送免許の交付・はく奪権限を持っており、テレビ局に対して間接的な方法で脅しを掛けていた。)

「“Years ago, producers would have probably ripped up a letter like that and thrown it in the bin, but in this case they copied it and sent it to their news departments,” he said. “The Japanese media are reaching crisis point because if this pressure and their own tendency to exercise self restraint when confronted with that pressure.”」
(多分何年か前だったら、番組プロデューサーたちはこんな要求文書は破り捨てていただろう。しかし今回のケースでは、自民党の要求文書をコピーし報道部門に送ってしまったのだ。こんな圧力を受けたぐらいで自己検閲をしてしまうようでは、日本メディアの危機だ。これは古賀氏の弁である。)

「Senior LDP figures have denied putting pressure on Asahi TV to sack Koga, a respected commentator who had made numerous appearances on Hodo Station.」
(自民党の幹部たちは、「古賀氏を番組から降板させるためにテレビ朝日へ圧力をかけたことはない」、と言っている。古賀氏は立派な評論家であり、報道ステーションに多数出演してきた。)

「It is not the first time that Abe has been embroiled in controversy over broadcasters’ editorial independence. In 2005, he admitted he had urged NHK staff to alter the contents of a documentary about wartime sex slaves.」
(安倍総理が報道機関の独立性を脅かし物議を醸したのは今回が初めてではない。2005年、戦時中の性奴隷のドキュメンタリーについて内容を差し替えるようNHKに要求したと安倍氏は認めている。)


以上