むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

赤穂城(兵庫県)

2015年05月03日 |  百名城
赤穂城あこうじょう
別名加里屋城・苅屋城・仮屋城・蓼城
構造平城、海城
築城者浅野長直
築城年代1648年(慶安元年)~1661年(寛文元年)
指定史跡国指定史跡
場所赤穂市上仮屋  地図
スタンプ設置場所本丸櫓門下・赤穂市立歴史博物館
城郭検定出題あり




案内図

赤穂市立歴史博物館の無料駐車場に車を停めて清水門より入城。
門を抜けると案内看板があります。


清水門から近い三の丸方面と武家屋敷から見て回ることにしました。




大石内蔵助邸長屋門

「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助の屋敷門。
元禄14年3月の主君刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。


大手隅櫓
建物は明治11年に取り壊されたが古写真をもとに昭和30年に復元された。

武家屋敷跡では他に大石神社や近藤源八屋宅跡を訪問。




二の丸門を抜けていよいよ本丸へ。


本丸門(高麗門)

お堀を覗くと・・・鯉ですかね^^;
そっちじゃなくて横矢掛けの枡形門を見ましょうよ。
白壁には沢山の狭間があります。


本丸門(櫓門)

ガイドさん曰く、復元した櫓門の梁は、一番太いものが三千万円したそうです。


本丸御殿跡

正面に天守台、眼下に広がる御殿跡は御殿の間取りを原寸大で表している。




城内は広いので歩き疲れて三の丸の番所で一休み。


赤穂藩、忠臣蔵が色濃く前面に押し出された城跡で平城で横矢が多用されたとにかく平な城郭でした。



平成27年5月3日登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

津山城(岡山県)

2015年05月03日 |  百名城
津山城つやまじょう
別名
構造平山城
築城者森忠政
築城年代1604年(慶長9年)
指定史跡国指定史跡
場所津山市山下 地図
スタンプ設置場所津山城備中櫓受付
別名津山城備中櫓
城郭検定出題あり



関ヶ原の戦いで東軍に寝返った小早川秀秋が戦功により岡山藩51万石を与えられたが
2年後に21歳の若さで死去。
後継ぎがなかったため取りつぶしとなる。
翌年森忠政が信濃川中島藩から移って来て鶴山城のあるこの地を「津山」と改名し、
津山藩が立藩され津山城が築かれた。


案内看板

津山城跡入り口料金所前の案内看板


津山城復元図



備中櫓

指図を基に再建された備中櫓
鳥取藩主池田長幸が津山城を訪れるのを機に造られたとされる。


備中櫓1階


すべての部屋が畳敷きで、廊下も畳敷きになっており、階段の踊り場までも畳敷きになっています。


備中櫓2階 御上段

壁紙は森家の家紋が透かしで入っています。


天守台から望む備中櫓

天守と櫓門で繋がっていた。


天守台

左側の建物はトイレ。


天守台出入り口

昭和11年に姫津線全通記念産業復興大博覧会の開催に合わせて木造の模擬天守が建てられたのですが昭和20年の空襲で標的にならないよう取り壊されました。
この時建てられた模擬天守は破風の無い層塔型五重天守ではなく千鳥破風のある天守台よりも小ぶりな建物だったようです。


天守台内部

地下1階のこの部分を穴蔵といい、ここから階段を上って天守1階に出る構造になっていた。

余談ですが、この写真の右中央の色の濃い石垣の石はハート型をしているらしい。
当時そのことを知らなかったのでハートが切れた形で撮影してしまいました^^;


七番門虎口跡











色付櫓跡の石垣


石垣と多くの櫓跡で1度行っただけでは見きれない。
訪れたこの日も雨の中、閉館直前で入り口で備中櫓に連絡を入れてくれて係員の方が待っていてくれました。
早足で巡ってきたので見逃した点もいっぱい(TT)



平成27年5月3日登城



日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本城郭協会
学研プラス