むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

神保植松城(群馬県)

2020年02月24日 | 百名城以外の城
神保植松城じんぼうえまつじょう
別名
構造断崖城
築城者神保氏
築城年代15世紀以降
指定史跡
場所高崎市吉井町神保 地図

神保植松城は小領主である神保氏の居城で、上杉謙信の関東進出の際には
渋川の白井城城主長尾氏の旗下の武士集団白井衆の一員として謙信のもとに
参陣していました。
しかし、その後武田信玄が上野に侵攻をはじめると白井長尾氏から離れ、
武田氏に従うようになりました。
武田信玄により、箕輪城が落城すると西群馬に所領を賜っています。
現在城跡は中央に上信越自動車道が走り、残念ながら主要部分は分断されていますが
周囲には古墳が残り、城の遺構も堀や土塁などが現存しています。



遠景

南から見ていますが、この丘の上の先に神保植松城跡があります。


南の堀切

まずは、城跡から少し離れた南側の堀切です。



自然の地形を利用して構築された堀切です。
このまま上に登り上げると古墳に出ますが…


石垣

石垣で行き止まっているようなので、引き返します。


大堀切

また道路に戻り北に向い、
高速道路の真下を抜けた先で左折して「株式会社 フォーティーン ヘッドオフィス 」という
会社の脇道を高速道路の側道に向かって登って行きます。
この会社は北側の大堀切の中にあります。


石垣と土塁

会社の駐車場の奥にその名残が見え、土塁や石垣が見えます。


四ノ郭

大堀切から道なりに高速道路の側道めがけて登って来ると、畑が見えて来ました。
ここが四ノ郭になります。



畑の入口となっている場所が、かつて堀と土塁で区切られていたようで
その名残として石積みが残っています。
ここを境に北側(右)が四ノ郭で、上信越道側(左)が二ノ郭になります。


旧道

先ほどの畑の脇に旧道があり、この下段に現在の舗装路(高速道路の側道)があります。
二ノ郭が見たいので、あえて旧道を歩きます。


二ノ郭

結局、二ノ郭は藪と化していて進入断念。



ガードレールの向こうが上信越道になり、ここはかつての内堀で
その先の鉄塔があるところまで主郭になります。
ここで二ノ郭側を見ると…ぽっかり穴が開いています。


虎口

二ノ郭の薮の中に開いた穴のような場所は???
中を覗き込むと、やはり薮で奥まで入って行くことは出来ません。
しかし、足元にはかつて看板だったであろうものがあるのですが、何が記されていたかは不明。
位置からすると、大手道だった場所のようです。
西の堀切(木橋)を渡り、三ノ郭、二ノ郭へと入って行ったとされています。



道下、北西には先ほどの会社がある大堀切が上から覗けます。


植松橋

上信越道を渡る橋です。
ここを渡り、三の郭から主郭へ。


内堀と主郭

この高速道路を挟んで両側に古墳(円墳)がいくつもあったことで
その古墳を避けたら主郭だったということでしょうか。



上信越道の12.6キロポストのところが神保植松城主郭です。
ここを通過する際は、城跡の中を走っているんだなあと思いを馳せてみて下さい。


主郭

主郭には目印となる鉄塔があります。
主郭部分の多くが高速道路に取られてしまいましたが、唯一残された主郭部分です。
主郭は二部屋のようになっていたようで、合わせると大きな郭だったというのが
残ったこの一部だけでも見て取れます。





三ノ郭・土塁

主郭の西と南を囲むように配された土塁です。
このように土塁など遺構はちゃんと良好に残っています。


外堀

外堀も良好に残っているので、この中を進んで遺構を辿ります。


石垣

外堀の両側には補強した石垣がチラホラト見えます。
この城の特徴とも言える石垣で、ここだけでなく下の方の堀切でも
見られる光景で、堀を数段の石垣で補強しているようです。


土塁と石垣

堀の両側に石垣が見られるのですが、石は大きくなく、丸みのあるもので
群馬県内で見られる古墳の内部で見られる石によく似ています。
周囲にこれだけの古墳があるということは、同じ石か、古墳からの石を拝借しているかして
積んでいるのかもしれません。(自論)



外堀と土塁がよく見える場所です。
畑と化していますが、地形はそのままになっています。



この先に、最初に見た堀切があります。


古墳(円墳)

外堀から外側には、このようにいくつかの円墳が見えます。
ということで、時代を超えて古代の古墳と戦国期の城跡がいっぺんに
見られるという二度おいしい立地となっています(^^)v



こんな立派な円墳が隣り合わせに見られるちょっと得した気分になれる
城跡ですよ。



そして、古墳越しの一郷山城。
二度ではなく三度おいしい超お得スポットです\(^o^)/



近年の資料では、高野山に残された帳簿の中に富岡市一ノ宮境村に神保姓が残り
その神保氏がこちらの神保氏の末裔なのかとも…。
上信越道に消えてしまった城跡かと思っていたのですが現地に行ってみたらそうでもなく、
ちゃんとよく見ると結構遺構が残っていて古墳も見られて、楽しめました。


令和2年2月8日登城