むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

上杉家廟所(山形県)

2020年04月22日 | その他
上杉家廟所うえすぎけびょうしょ
別名御霊屋・御廟さん
構造墓所
構築者上杉家
構築年代1624年(元和9年)
指定史跡国指定史跡
場所米沢市御廟1丁目5-30 地図

米沢藩主上杉家廟所は、「おたまや」と呼ばれ米沢市民に親しまれています。
上杉家歴代藩主の廟が整然と立ち並び、謙信公から十二代藩主がこの地に眠っています。
1984年(昭和59年)に、全国の大名家墓所としては5番目の国指定史跡として登録されました。
上杉家ゆかりの地として米沢城とともに訪れてみてはいかがでしょうか。


第二駐車場

正面約50m手前に第二駐車場(無料)があります。


第一駐車場

第一駐車場は廟所に隣接していて、こちらも無料です。
トイレも完備されていて、空きがあればこちらが近くて便利です。


下馬

ここで、馬(車)を降りて中に入りましょう!
ところで、この門はちょっと面白い格好しています。
一見、冠木門のように見えるのですが、横の柱の上にスリムな屋根が載っています。
そして、縦の柱の両方ともに小さな屋根が載ってます。
雪が多い東北地方ならではの門ですかね




上杉家廟所を取り囲む外堀です。
こちらは空堀になっていますが、内堀は水の流れる用水路が巡っています。


参道

入って直ぐの左手に受付があるので、拝観料一般400円を払います。


平州椿

上杉鷹山公の師である細井平州先生が江戸より持参した雪椿が二百二十年の時を経て、
現代になって未登録種であることが解明されことにより、挿し木により増殖されたものを
十七代現当主である上杉邦憲氏が植樹したものです。


案内看板

杉木立の中にある案内看板に、廟所の配置図があります。



参道を抜けて、ここからが墓所となります。
二代景勝公が逝去された約390年前に歴代藩主の墓所と定まりました。


偶数代

正面に向って左手の中央から順番に偶数代藩主の廟所が並んでいます。
謙信公から数えて二代目の景勝の廟所から並んでいます。


奇数代

右手には三代目の定勝から奇数代藩主の廟所が並んでいます。


初代謙信公

そして、中央には謙信公の廟所があります。
謙信公の御霊は、越後から会津、そして米沢へとずっと上杉家とともにして来ました。


世子

偶数側のちょっと奥に引っ込んだ小ぶりの廟所があります。
これは10代藩主、鷹山公の息子である顕孝の墓です。
藩主になる寸前に疱瘡のために19歳という若さで亡くなってしまいました。


十四代

こちらは、最後の藩主である14代茂憲の廟所です。
米沢藩知事や沖縄県令などを任官し、大正8年没しまたが、「興禅寺」に祀られているため
代わりに茂憲公記念碑が立てられています。


十三代

奇数側にあるこの空間は、空いたままになっています。
明治以降に亡くなられた13代からは、東京の「興禅寺」に眠っています。


資料館

拝観受付の隣に建物があります。



小ぶりな建物ですが、小屋の中には平成の廟屋の大改修の資料や、
鷹山公の墓の発掘資料などが展示されています。


折り紙の兜

拝観受付にある折り紙で作られた兜。
この兜は、「義」「龍」「愛」「毘」の4種類の兜があるそうで、米沢市内の観光地に置いて、
無料でお土産に頂けるというものです。
とてもかわいいので頂いて来ました。
こちらには、「毘」で、ひとり2個まで頂けるといことで
今度米沢へ行ったら今回の旅で入手出来なかった「龍」と「義」の兜に出会えたらいいなあと思っています。


見学していると、受付の方がやってきてガイドをして下さいました。
ただ見ていてら見過ごしてしまったであろう、御廟所の屋根の形も
「入母屋造り」「宝形造り」とあり、古い(土葬)ものは「入母屋造り」であるとか、
並びや、他と違った御廟所の理由など、一通りの説明をしていただいたところで、
拝観客が増えて来たのでガイドをしてくださった受付の方と別れ、帰路へ。
こちらをお勧めして下さったフォロワーさん、ここ良かったです!と感謝。


令和元年10月27日訪問