ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

足跡帳

2015-12-28 14:09:22 | 日記
お墓の掃除に行ったら、鹿に荒らされてお参りしてくれた人の記帳するノートを置いていたのだが、そのノートも荒らされていた。
足跡帳として、たくさん訪れてくれたお友達が記入してくれていた。
ねぇ、もうこのノートはいらないってことなのかな・・・
悩んで悩んで、これは私が決めていいんだよね。
すっごく悩んだ。これを機会にやめることにするよ。
寂しい気がするけど、お参りしてくれるお友達はいつまでもたくさんいるよね。

いつもお参りに来てくれるお友達、ありがとう。





よいお年をお迎えください。
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息子と暮らせば

2015-12-18 14:00:09 | 日記
また映画を観た。本当はレディースディーに行きたかったんだけど、その日は育児が入った。
『母と暮らせば』なんだけど、私からみたら『息子と暮らせば』といった感じ。
3年前に失ったはずの息子が母の前に現れる。
「お前はもうこの世の人じゃ、なかやろ?」
それをみただけでもう無理という遺族の方もいらっしゃる。
あえて、私はなんでそんな映画を観るんだろう?
自分を責めて責めていじめることで罪の痛みをもっともっと感じてどうしたいのだろうか?
自分でもよくわからないが、涙、涙する場所が映画館でしかないのかもしれない。
「おもいっきり泣いたらすっきりするのか?」と質問された。
「するわけないやん」
だけど、泣かない、泣けないよりましかな。

息子が現れたことで、母と息子はあんなことがあったねと思い出話をする。
私にはできなかった、とっても理想的な育て方をされた母だった。
そんな賢い母でも、「あんたが死んでなんであの子だけが幸せになるの」と泣き崩れる。
息子は「かあさん、かあさんは、そんなことを言う人じゃないじゃないか」
「ごめんね、ごめんね」と、ねたみが出てしまった。
ネタばれしてしまいます。
死んだはずの息子が母の前に現れたのは、母の死が近いので一人で逝くのは寂しいだろうからと息子が迎えに来たという結末に涙 涙 涙
手を取り合い、肩を抱きあって一緒に天に昇って逝かれました。

3年すぎても、あんたは迎えに来てくれないってことは、お互いあちらとこちらでまだまだ修行がたらんと言う事なのかな・・・ってまた勝手に解釈してたら、友達が「3年過ぎたから孫ちゃんに会えて癒されてるから生きているのも悪くないかもしれませんなぁ。人生には思いもよらないことが起こるってしっているから」
と、言ってくれた。
そして、そして生きていれば、今年のコブクロライブのチケットはとれなくて行けなかったけど、奇跡ライブのDVDが発売された。


いっきに聴くとこの時期は多分ダメだからボチボチ楽しみますわ。
命日前のそんな気の紛らし方かな。

ねえ、一緒に観て聴いて楽しんでるよね。
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0rangeーオレンジー

2015-12-15 14:38:25 | 日記
昨日は介護だった。たいしたことは、いつもしていないのだが、この時期の介護と育児はきつい。
介護で何気ない事に怒鳴り散らして、のどが痛い。
山もりの洗濯を回しても回しても、おしめを嫌がるので、そそうをしてくれるからきりがない。
ケアマネにも私の例の事情を話さなければいけないな・・・と決心していても言い出せなかった。
あとで、あの時に言えば話がつながったのに・・・とか思っても遅い。
そんなモヤモヤがあったので、帰りは気分転換しようと決めた。

レディースディーじゃないけれど、映画を観る事にした。選んだのはコブクロの主題歌がある『orange』に、ひきつけられた。

恋愛、友情・・・と観ていくと心を開いていけば母親の自死があり息子はあの時ああしていればよかったという後悔や自責、心から自分だけ楽しめなくなったり、重たい荷物が抱えきれなくなったり、何のために生きているのかわからなくなり後追いするという映画だった。
友達の「また命日前にむちゃしまんな」というあきれた声が聞こえた。
が、友達は「スゲ~エグい映画をまた選びましたな!」だった。まさかこんな内容だとは知らなかった。
エグイというかエゲツナイだった。
静まりかえった映画館には、鼻をすする音だけが響いていた。
コブクロの歌詞を一部お借りします。
時々せつない瞳で笑うのは みせられない心がある
心深くに 身を知る雨
かぼそい 枝の先にも君の未来がある 切り落とさないで
今を笑って振り返る君を 守りたい そばにいたい
そばにいたいから

か細い枝の先にある君の未来を切り落とさないで欲しい。
この映画は母と息子の逆の立場だったけれど、おかんは
か細い枝の先にある君の未来を切り落とさないでいて欲しかった。
そばにいたいから、そばにいて欲しかった。
今を笑って 振り返る君を守れなかった。。。

祥月命日には、花ろうそく灯すね。

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舅の七回忌

2015-12-06 20:05:08 | 日記
月命日に舅の七回忌だ。私の心境は実に複雑だ。だから本当は行きたくなかったんだけど、仕方がない。

舅が他界した翌年息子は同じ月の三日後だった。インチキ霊能者が「おじい様が上にのぼられていたのにわざわざ降りてきてお孫さんの手を引っ張り成仏できるようにと導いておられます」と言った言葉が蒸し返えされた。この言葉を聞いて私はずっと涙が止まらなかったのを今でも鮮明に覚えている。思いっきり泣けたのは、この場だったのかもしれない。今まで気丈にふるまっていた糸がプツリではないな、ザックとこの霊能者に切られた思いだった。この霊能者はボロボロの私が悪いような言い方だったからだ。
来月で5年目となり、冷静に考えればインチキ霊能者だからこそ、そんな言葉で励ましたつもりなのだろうが、私にとっては、あの時はものすごくきつかった。過去ブログ2011年3月25日の『霊能者』参照

そんな想いと来年は息子の七回忌を迎えるのが重なってしまい辛い辛い月命日となった。
義理姉は、月命日だと知っててこの日に決めたのかな・・・こんな日に親族とも会いたくないんだ。
姑は「6年早いな」と言った。あぁ、姑も時の流れの速さについていけないのかなって思った。これは本当に大切な人を喪った人にしかわからない時の流れの速さでついて行くのにとても疲れるのだ。私はただ「お疲れがでませんように」としか言えなかった。すると「あなたもね」と優しい言葉が姑から返ってくるとは思わなかったから、胸があつくなった。5年を境にお互い何か気持ちの変化がみられてきているのかもしれない。

法話は南無阿弥陀仏の意味についてでした。南無は帰依するという意味で巡り巡って自分に回向してかえってくるというお話を改めてしなおして頂きました。

そんなこんなでいろんな想いがグルグルして行きたくないと駄々っ子になってましたが、行ってよかったのかもしれません。そんな悩んでいる私の背中を押してくれたお友達もいました。友達は「女優になればいいことやん」と言ってくれました。私は精一杯の大根役者を演じました。が、煮ても焼いてもどうすることもできない義理姉はやっぱり苦手。
そのお友達は、来月の命日には辛すぎるからと早くからお花を送ってくれました。

なんで明暗の花があるのだろうと思っていると、明るい方は娘にだという心つかいにとても嬉しかった。娘もクリスマスみたいと喜んでいました。
月命日にお墓参りに行けなかったので、早めにお参りしました。
ねえ、息子さん おじいちゃんと手をつないで のぼっているのなら、その手をはなしちゃだめだよ。おじいちゃん、息子を頼みますよ。 おかんは、あんたと先祖さんの供養を感謝してしていけばいいのかな。。。


一緒に 呑もうか
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