ねこのにくきゅう「泣き虫おかん日記ー星が笑えばー」

あかいねこの
       ひとりごと 

冷え込み

2016-01-20 17:15:41 | 日記
命日が過ぎ去り、また時間は速く流れます。
冷え込むと心まで氷ついたように孤独感が増します。家族がいても私の寂しさ悲しさは私だけのものであって誰にもわからないと思います。寄り添う事は出来たとしてもどこか旦那とは平行線のまま。

昨年の暮れに、らっちのワクチン接種に行ったら10歳以上になると腎機能低下のため尿検査をしようと言う事になったのだが、介護や育児に追われてまだ採尿できていません。
何度もらっちに「元気に長生きして欲しいから、おしっことらせてよ」って言うんだけど、らっちは雪が降っても外に行きたいんだってさ。猫はこたつで丸くなるんじゃないのか!?



こんな雪は雪国の方にとってはへのかっぱにしかないほどの雪だろうなぁ。


昨年暮れから実家に帰省していた娘&孫ちゃん、成人式の連休にやっと帰り、やれやれとほっこりしていると「帰り道で事故にあったとからまた実家に帰る」と電話が入る。娘家族は大丈夫だったのだけど、ツーリングしていたバイクがスピードを出していてカーブを曲がりきれずに対抗車線をはみ出してきて娘家族の車にあたってきたのだ。事故というのは、こっちが気をつけていようが、まさかで起こってくる。
娘は赤ちゃんが救急車のサイレンやら警官に囲まれてすごく興奮している、と娘までが興奮している。
いや、赤ちゃんのせいにしているが実は救急車のサイレンは私もいまだによみがえって恐怖を感じるのだ。だから、命日を過ぎた時に救急車のサイレンは娘にとってキツイであろう。その動揺が赤ちゃんに伝わっているのだ。
孫はよく泣くので、でこにサーモンパッチという赤いあざができている。警官がそのあざを見て「おでこ打ちましたか?大丈夫ですか?」と質問され、サーモンパッチって説明してもわかるのか?と思い「生まれつきのあざです」と答えたらしい。サーモンパッチを知っている母とばあばにとっては笑い話しになるような事故でよかったけれど新年早々災難でした。

コブクロライブのDVDを観て聴いて吐きそうになっています。
また何故そこまでして聴くのだろう・・・
生きると決めて死ぬに死にきれなくて、それでもいろんな想いがぐるぐるして、心の整理ができません。
自分の事でいっぱいで自分自身の助けが欲しいのに、それなのに人の世話に追われて、自分がまだ見えないままです。
ある人はそれを、まだトンネルの中をさまよい歩いているんですね。って言う。


七回忌を終えたら、またどんな心境になっているだろう・・・

人間の心って めんどくせぇ って 自分で思う。
コメント (8)
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息子の夢ーその14-

2016-01-06 13:19:05 | 日記
今日という日が来た。辛く苦しく死にたくなる日。昨夜から死にたくてたまらなかった。踏ん張りどころはここだなって、おかんは頑張ったよ。すると、今朝あんたが夢に出てきてくれて眠っているおかんを起こすんだ。おかんのいつもすわっている座布団に子猫がいると教えてくれた。でもその子猫は人間とらっちに気をつかって近付くとどこかに隠れてしまうんだよ。って言うことなので、ならあんたがつかまえてきてよ。と、おかんは頼んだ。そんな夢。目が覚めて、え~あんたの祥月命日におかんを迎えに来てくれたんじゃないんだ。私は生かされて生きてる。
つまずいて止まっては、やりがい、生きがい感じない。ずっと逃げていたい。現実逃避。逃げているのがわかっていて止まっていたい。進みたくなんかないねん、もう。
 辛いとかめんどいとかそういう毎日からちょっとでも自由になれる気がするから好きなもの探すんちゃうん?たしかに辛くてめんどうな毎日は今に始まったことじゃない。小さかった私はチラシの裏に絵を描くことで現実から自由になった。現実から逃げた所に踏みとどまり続けた。その場所が私の世界になった。私の小さな小さな世界。何度でもいちから作れるかもしれない世界。だけどこの世界にもあんたはいない。
あんたのいない世界は死ぬほどむなしい。死ぬほどむなしい。でも、私は生きてる。
寂しくてお酒が入って仏壇にからむのは見逃して。
私は生きている。生かされている。あんたの愛であふれているからいつかその時がきてあんたにまた逢えたらビール片手に、おかんの苦しみ哀しみをえんえんと語ってやる。だから、待っとけよ。




過去というタンス  佐藤 紫華子

今まで来ていた キモノも服も
どこへ やったの
あゞ あれはネ
過去というタンスの中にしまって
置いて 来たの
泣くだけ 泣いて
吐くだけ 吐いたら
もう 何もない
思い出も みれんもー
これからは 新しい自分を見つけ
新しい未来を探しに
両手をあげ
深呼吸して飛び立つの
“命”という翼にのって『原発難民の詩』から
コメント (6)
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光昭ねこ写真展

2016-01-03 19:55:39 | 日記
岩合さんの猫写真展観てきました。
先月の絵の教室に欠席の返事をしたら、先生が岩合さんの猫写真展がある事を教えてくれた。
私は、介護も孫の世話も教室にも行かないけれど、猫写真展だけは行きます。と返事した。
先生は“むふふ”と顔文字の返事をくれた。正直、私はどう解釈したらいいのかわからなかったが、深く考えないようにした。
本当に行きたいと思ったら、介護は帰省している弟に頼み、この日は育児もしない、旦那も好き勝手に過ごさせてと私の時間をもらった。そこまでして行って、良かった。
ぽかぽかの良い天気で、心までぬくもりで満たされた。
タイトルに『み~んなしあわせ』とあるように、しあわせな気分じゃないけれど、そんな気にさせてくれた。ほっと一息一人で喫茶店に入ってコーヒーを飲んだ。
一人の席を選んだので、ひとつ席をあけた所に老婆がひとりいた。
私が注文をして水を飲んでぼ~っとしていると、老婆がなにやら話しかけてくる。
「あなたは、長生きするね」はぁ~?私は命日前で死にたくても死ねずに苦しんで気持ちを猫写真展で紛らわしてきて、コーヒーでほっと一息を一人で味わいたかったのにこいつは何者じゃ?誰にも相手にされない寂しい話相手の欲しい老婆なのか?かといって私は介護から解放されているのに年寄りの話し相手なら他をあたってくれよ。これが私の本心だった。だから、あからさまにイヤな顔をしていたと思う。
「あなたのそのふてくされた顔がいけないのよ。だからイヤな事が多いのよ」ああ、そうですか。なら作り笑いを・・・「そうそうその笑顔よ。あなたは、素晴らしい女優だわ。そしてイヤな事があった時は両親の事を想いなさい」はぁ?認知症の両親を想ってどうすんねん?今は解放されたいんねん。
さっさとコーヒーを飲んで出よう。と思った。久々のコーヒーがおいしかったが、いっき飲みだ。
「ねえ、あなたまたここに来る?私はいつもきてるから見かけたら声をかけてね。そして今日聞いた私の話が少しでも勉強になった?」私は「たぶんまた来るでしょうね」と嘘をついた。そして「あなたの話は勉強にはならなかった」と、ここは本心を言った。すると老婆が買い物した、おかきの小分けされたひと袋をくれた。「あなたが一人で全部食べなさい」はぁ?毒でも入っていればこれであの子の所に逝けるよな。
なんか、ほっとしたかったのに作り話しみたいな出来ごとに遭遇し、せっかく猫写真展でイヤされたのに、なんか口直しがしたいけど、さっさと帰ろう。私の心がいじけているのかな?今は考える余裕がない。

帰ってまた孫の世話に追われ、やっと寝てくれて あの老婆にもらったおかきは、食べるべきなのかどうしようかと悩んでいる私がいます。


猫展で売っていた猫Tシャツ、ダッフィーに多分ぴったりだと思い買ってかえった。
やっぱり、ぴったりで癒され。
コメント (4)
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