小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



砂防ダムらしき場所を地図上で見つけ、小田原市久野の和留沢地区の小さな沢までやって来た。地図ではダムらしきものが5つ記載されており、下から3番目のダムは比較的大きそうである。1つ目の治山ダムを越えて2つ目のダムの下に向かった。大掛沢を遡り下から2番目の治山ダムに到着。大掛沢は年間を通じ水量が少ないようで沢一面に潅木が生い茂り進むのが大変だった。下から2番目の治山ダムの堤体に取り付けられたプレートを見ると、「大掛沢その2」で下の治山ダムと同じだった。おそらく「大掛沢その2」群のダムがいくつかあるようだ。下から2番目の治山ダムを越えて下から3番目のダムに向かう。3番目のダムは地図では1番大きく記載されている。しかしながら潅木が生い茂り堤体が見えない。滅多に人が入らない沢のようで踏跡もなく藪漕ぎしながら進んだ。藪と格闘してやっとのことで下から3番目の治山ダムまで到着。下から3番目のダムは期待していたのだが、下の2つと同じくらいの大きさだった。また地図の記載とは異なり、このダムの周辺は完全に沢水が涸れていた。堤体のプレートによるとここも「大掛沢その2」。下から3番目のダムを越えて下から4番目のダムに到着。相変わらず潅木が生い茂り進むのが大変である。朽ちた枝が所々に積もっていて歩きづらい。その下から4番目の治山ダムの堤体のプレートを見ると「大掛沢」のみの表記。ここから上は「大掛沢」群のダムになるようだ。下から4番目の治山ダムを越えて、下から5番目の治山ダムに到着。地図ではこの5番から上は記載されていないのだが、護岸に足場が作られていて上の沢に行けるようになっていた。この下から5番目の治山ダムの堤体に取り付けられていたプレートも「大掛沢」の表記。下から5番目の治山ダムを越えて、地図には記載の無かった下から6番目の治山ダムに到着。下から6番目の治山ダム周辺は少し水の流れがあった。このダムの護岸にも足場があり上の沢に行けるようになっていた。プレートによるとここの表記も「大掛沢」。農道から沢に下り、大掛沢を遡り治山ダムを6つ越えて下から7番目のダムまで到着した。距離にして300mほどだろうか、ここまで来るのに30分ちかくかかった。このダムの護岸には足場が無いので、恐らくこの上には治山ダムは無いようである。大掛沢には「大掛沢」群のダムが4つ、「大掛沢その2」群のダムが3つの計7つの治山ダムがあった。下から7番の治山ダムの下で古いファンタの缶を見つけた。この大掛沢に治山ダムが作られたのは昭和57年。その当時のものかは分からないが、この場所の時間が止まっているかのような錯覚を感じた。

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入生田の山中で大きな砂防ダムを見て以来、小田原にある他の砂防ダムも見てみたくなり地図や航空写真などを眺めていた。すると久野の和留沢地区にそれらしき表記があるのを発見。地図上では砂防ダムのようなものが5つ連なっており、下から3番目のダムは比較的大きそうである。実際にどのようなダムがあるのか見に出かけた。地図によると和留沢公民館の手前の沢にそのダム群がある。地図だと結構水が溜まっているいるように表記されている。久野川を遡り和留沢地区を目指す。和留沢地区に続く農道の入口には砂防指定地の看板も設置されていた。久野川上流にもいくつか大きな堰堤があるようだ。和留沢地区へと続く農道。写真左側に久野川が流れている。しばらく進むと、久野川に堰堤があるのが見えたので川の近くまで下りる。水量もあり渓流釣りが出来そうな堰堤だった。これから向かうダム群への期待も高まる。坂道を自転車で進むこと30分ほどで和留沢の集落の入口に到着。目指すダム群はここから200mほど上の農道沿いの沢。集落の入口からしばらく進みダム群がある沢の近くに到着。カーブミラーの手前に小さな沢が流れていた。地図では水が溜まっているように表記されていたが、沢はほとんど涸れているような状況だった。茂みの向こうに治山ダムのようなものが見えるので沢に下りてダムの下まで進む。道路脇から沢に下りてダムの下までやってきた。距離にして30mほどだろうか。道路から沢へ下りる場所が枝捨て場のようになっておりひどく苦労して沢まで下りた。堰体に取り付けられたプレートによりこの沢は大掛沢という名称であることが判明。昭和57年に作られた治山ダムでダムの名称は無かったものの「その2」と表記されている。この上のダムが「その1」もしくは「その3」なのだろうか。治山ダム下流の護岸に設置されている足場を伝って堤体の上へ。高さは5mほどだろうか。堤体の上から上流方面を見ると、やはり同じような治山ダムがあった。あの治山ダムの上に比較的大きなダムがあるはずなのだが。<後編に続く>

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30年前、いこいの森で見たダムを確かめるために坊所川を遡り小さなダムまでたどり着いた。記憶の中のいこいの森ダムは、打ったばかりの堤体のコンクリートが夏の日差しに照らされ白く大きく見えた。本来、いこいの森からダムに向かえばすぐにたどり着けるのだが、いこいの森ダムを下から見たことが無かったのと、同じようなダムがいこいの森ダムの下流にいくつか点在している可能性もあるので坊所川を下流から遡った。いこいの森の林間運動広場前から坊所川に下り、沢沿いを上流に少し進むと小さなダムにたどり着いた。大きさからして砂防ダムでは無く治山ダムのようだ。このダムがいこいの森ダムの可能性もあるが、記憶の中のダムと大きく印象が異なるので、いこいの森ダムの下流にある治山ダムだと判断して、再び坊所川沿いの林道に戻った。先ほどの治山ダムの堤体に取り付けられたプレートによると、昭和55年の着工で昭和57年の完成。ダムの名前は付けられていなかった。林間運動広場先から林道と坊所川が離れてしまったので沢沿いの様子が分からなくなった。しばらく進むと道路と合流。坊所川沿いの林道をずっと上がってくると、わんぱくランド先の道路に合流した。いこいの森の管理棟のすぐ近く。いこいの森の管理棟前に到着。中学時代のキャンプ以来、久しぶりに訪れた。管理棟前の地図を見ると、ちゃんといこいの森ダムも記載されている。ダムがあったという記憶が正しくてほっとした。いこいの森の中を流れる坊所川。この下流に目指すいこいの森ダムがある。期待が高まる。いこいの森の中を流れる坊所川の右岸側はバーベキュー場、左岸側はキャンプファイヤー場になっている。左岸側から下流に向かった。キャンプファイヤー場からすぐにいこいの森ダム周辺に出られると思っていたらなんと藪に行く手を阻まれた。迂回路も見当たらないし、この藪を漕いで坊所川沿いを下らないといこいの森ダムにたどり着けない。30年前は沢遊びの時に、簡単にダムまで行けたのだが。藪を漕ぐこと5分。くもの巣と埃まみれになり、両足ともびしょびしょに濡れてやっといこいの森ダムに到着した。目の前のいこいの森ダムは、記憶の中のダムとまったく違い、堤体は黒ずみ周辺は藪だらけで荒れている。30年前は出来たばかりの堤体周辺は開けていて、沢の水がダムのように溜まっていたのだが。しばらく呆然と眺めていたが、先ほど下流で見た治山ダムと、このいこいの森ダムが同じかどうか確かめなければならないことに気づいた。とりあえずいこいの森ダムのクレスト部分から下流方面を撮影。先ほど撮った写真と見比べるが釈然としない。藪の中を再びキャンプファイヤー場まで戻り、いこいの森ダムの下へ向かうルートを探した。キャンプファイヤー場の上にあるアスレチック施設の斜面沿いに遊歩道を発見、大きく迂回していこいの森ダムの下に向かった。途中、金網越しにいこいの森ダムが見えた。滑りやすい遊歩道を下り、どうにかいこいの森ダム下流の坊所川左岸に到着。見覚えのある沢沿いの風景、堤体にぶらさがった流木が一番最初に見た治山ダムと同じである。なんともあっけなくいこいの森ダムの探索が終了した。30年の時間がダムと周辺の景観を大きく変えていて、なんとも感慨深い散策となった。

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小田原市久野にいこいの森が開園したのは昭和57年5月。当時小学生だったので子供会やスポーツクラブの夏の行事で、毎年のようにいこいの森で行われたキャンプに参加した。大抵、小田原駅の西口に集合し徒歩でいこいの森まで移動。毎回同じようなスケジュールでのキャンプだったのでどれも似たような記憶しか残っていないが、いこいの森の中を流れる沢を下ったところにダムのようなものがあったのを鮮明に覚えている。あれはただの堰堤だったのか、それともかなり大きな砂防ダムだったのか急に興味が湧き、30年近く前の記憶を確かめるためにいこいの森に出かけた。小田原市久野の工芸技術所前付近の久野川。久野川支流の坊所川上流に目指す場所がある。自転車で久野川沿いを上流に向け進む。久野川沿いも星山橋を過ぎたあたりからだいぶのどかな風景が広がる。星山橋の少し上流の場所には手積みの堰が作られていた。手積みの堰から100mほど上流に進むと向田橋に到着。向田橋のすこし下流で久野川と坊所川が合流する。写真右が坊所川、左が久野川。坊所川沿いの道路を進む。この周辺の坊所川はところどころに堰堤が作られている。農道と合流する手前で左側の細い道を下り坊所川沿いに向かう。細い道を下ると駐車場のような砂利の広場に到着。農道の下をくぐり坊所川沿いを進む。砂利の広場の先はこのような未舗装の林道となっている。道沿いに畑が点在しているので、農作業の軽トラックが通行しているようだ。しばらく進むと林道横の林間に木製の遊具やベンチが設置されていた。どうやらいこいの森の敷地のようである。いこいの森は何度か拡張されたようで現在の敷地面積は27ヘクタール。林道をさらに進むと林間運動広場という場所に到着。その林間運動広場前の道の反対側に坊所川へ下りる散策路があった。道路の脇から林の中を通り坊所川に下る。この道は親水目的で作られたいこいの森内の散策路のようだ。坊所川に下りて沢沿いをすこし上流に進むと治山ダムのようなものが見えてきた。<後編に続く>

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半年ほど前、お寺めぐりのため自転車で入生田の山奥まで出かけた。しだれ桜の名所、長興山紹太寺の前から老人福祉施設の横を通りさらに山奥に進んだところで、滝の流れるような水音を聞いた。その道は片側が樹木が生い茂った斜面になっており、道路下にどのような沢があるのか伺い知れなかった。滝ではないかもしれないが、あるとすればかなりの高さの堰堤か砂防ダムのようだ。GW中にふとそのことを思い出し入生田へ散策に出かけた。小田原市入生田の旧道にある小田急線の入生田踏切。踏切を風祭方面に渡り左側の坂道を上っていく。マンションの前を通り、基礎だけ残っている住宅跡の横の道を進む。しばらく進むと沢を横切る。地図によればこの沢は吾性沢といい早川の支流のひとつである。吾性沢は水が涸れていた。この沢の上流に目指す場所がある。きつい上り坂を10分ほど進む。途中にいくつか作業小屋があった。上り坂の終点は舗装されていない広場になっていた。この広場の右下に吾性沢が流れている。しかし沢が涸れているせいか水音が聞こえない。広場から先は作業道が杉林へと続いている。あまり使われているような作業道ではないので雑草や潅木が生い茂っている。広場から30mほど進むと枝越しにコンクリートの構造物が見えてきた。砂防ダムのようである。作業道から堤体の上に降りれそうなので近づいてみることに。作業道から堤体の上に降りる。幅は2mほどか。かなりの高さ。堤体の上から下流方面を撮影。足がすくむほどの高さ。下からも写真を撮ってみたくなり、藪を掻き分けて下に降りれそうなルートを探す。護岸沿いの藪を掻き分けているとアルミの梯子を発見。一段下の護岸に降りる。川底までは降りれなかったが、下からも堤体を撮影することが出来た。高さは20m以上はありそうで、かなり迫力がある。残念ながら水量が非常に少なかったので堤体の穴から水が滴っている程度であった。プレートによるとこの堤体の名前は吾性沢ダム。砂防事業として作られたもので、昭和63年から平成2年までの期間、工事が行われ平成3年3月に完成。バブル景気の真っ最中の事業ということもありかなり費用がかかっていそうな建築物である。細い作業道の先、谷あいの小さな沢に作られた巨大なコンクリートの砂防ダム。なんとも不思議な光景であったが興味深い散策となった。水量の多いときにまた訪れたい。

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