小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



今日は2月の最終日。以前このブログに書いた飯泉橋の塗装工事の工期は2月28日までの予定だった。しかし、2月の上旬には足場が解体され工事が終了していた。素人目に下地の塗装なのか完成なのか判断がつかなかったが、橋のたもとの作業小屋も撤去されたのでこれ以上の工事は無さそうだ。チョコレートのような色に仕上がった飯泉橋の欄干。均一な塗装ではないので質感も溶けたチョコレートのような感じである。一方、飯泉取水堰の浚渫工事はトラックの通路も出来あがり、土砂の搬出が続いている。先日の神奈川新聞の報道では、今年度の浚渫は例年より1週間ほど延長されるとのこと。左岸側では浚渫工事とは別に、新たにクレーンと重機を使い何か作業が行われている。砕石を金属のネットに袋詰めしているようだ。左岸側に降りていくと、完成した根固めが積まれているのが見えた。浚渫工事の後の補強に使われるようだ。寝固めの積まれている先には、取水堰内に水没していたと思われる自動車の残骸が引揚げられていた。 2月26日には取水口の付近まで浚渫が進んでいた。この浚渫工事の費用はおよそ5,000万円。工期から計算すると1日あたり100万円はかかっているようだ。搬出された土砂の行方も気になるところである。

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富士見大橋左岸側では現在2つの道路工事が行われている。酒匂縦貫道路と小田原環状道路の穴部国府津線だ。穴部国府津線は小田原市穴部の県道74号を起点に酒匂川を渡り国道255号を横断し、国府津の都市計画道路飯泉国府津線に至る延長約6.2kmの路線である。すでに富士見大橋の周辺の道路は暫定供用されており、残る工事区間は成田から高田までの1.3kmである。計画では3月15日までに工事が終了する予定となっており、あと半月を残しどこまで進捗しているのが26日に沿道を通ってみた。国道255号成田南交差点を東方向へ進み、県道717号との合流点から先が工事区間となっておりパイロンで規制されている。県道717号との合流点から50mほどは舗装されているが、そこから先、小田厚ガード向こうまで未舗装となっており立ち入り禁止となっている。昨年から、しばしばこの区間の進捗状況を撮影しているが、小田厚ガード前後の区間は、多くの重機を使い集中的に工事が行われている。工事区間を避け、迂回して酒匂堰沿いの道路との合流点から、成田方面を振り返り撮影。工事車両が多く駐車している。酒匂堰沿いの道路との合流点から高田方面を撮影。やはり工事フェンスで規制中。自転車は通れるので高田方面へ向かう。この先を400mほど進むと関口川と合流する。工事フェンスの先に、これから設置される、街路灯のポールと電柱が用意されていた。酒匂堰から関口川までの区間は約400mほどである。片側2車線は完全に舗装済。もう2車線はところどころ未舗装。関口川の手前から重機を使っての工事が行われていた。関口川は暗渠され穴部国府津線と交差するようだ。関口川の暗渠部分と穴部国府津線の合流部分も集中的に工事が行われている区間。関口川との合流部分から高田方面を撮影、ここから先も工事フェンスで規制されているが高田浄水場までの区間はほぼ舗装も終わっている。高田浄水場前から成田方面を撮影。こちら側もパイロンで規制中。小田厚ガード下の区間と関口川の暗渠合流部分の工事はまだしばらくは時間がかかりそうな印象。温かな日差しの下、通行規制された穴部国府津線の広い道路は子供達の遊び場になっていた。思いっきりサッカーやキャッチボールができるのもあと僅か。

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今年の2月は曽我丘陵周辺への散策によく出かけたので、そのついでに梅まつり開催中の梅林へ立ち寄る機会も多かった。その梅まつりも今日を含め後3日ほど。土曜日の午後は曇りがちなことが多かったような気がするが、今日は青空の下で観梅日和だった。別所会場の梅の里食堂前の売店。今年訪れたなかで一番の人出。天気は良かったが風が肌寒い。それでも薄着の人も多く見かけた。先週、場内アナウンスで枝垂れ梅の見ごろはこれからと案内していた。その枝垂れ梅はまさに見ごろ。記念撮影スポットになっていた。土手の上の定点ポイントから撮影。青空に映える満開の梅林。この後、自転車で曽我丘陵を登り尾根道伝いに国府津まで走った。途中、高台から見下ろすと、梅林が西日うけて輝きとても綺麗だった。

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つい先日、知人から国道1号酒匂橋左岸側のシーフードレストランが今月いっぱいで閉店する事を聞いた。閉店まであと数日なので食事に出かけてみた。手元にある平成11年の住宅地図に店名の記載はないが、10年ほど前には営業していた記憶がある。シーフードレストランだが、ここで良く食べていたのが400gのステーキ。確か途中で経営が焼肉チェーンに移り、肉のメニューもリニューアルしてボリュームのあるものが増えた。2000円程度でこの大きさのステーキが食べられる店は小田原にはほとんど無いので、ステーキ目当てにたまに出かけていた。個人経営の店にしろチェーン店にしろ閉店してしまうのは寂しく残念。閉店する店があれば、開店へむけ開発が進む場所もある。長らく更地だった西酒匂の開発事業予定地にユンボが用意され整地作業が始まっていた。今年の後半にはこの周辺はだいぶ変わりそうだ。

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小田原市内には150ちかくのお寺が点在している。お寺が集まった一角は寺町の地名も残っているし、早川から浜町までの海岸付近にはお寺が連なっている。150ちかくあるお寺の中には住職が途絶え、他のお寺の住職が兼任しているところがいくつかある。久野の来光寺もそのようなお寺のひとつだ。小田原市久野、山王川沿いの道路の小田厚ガード近くに来光寺がある。道路からはお寺の青い屋根が見える。お米屋さんの看板先の脇道を入るとそこが来光寺だ。お寺の隣は宮本公民館と広場になっている。質素な佇まいの御堂。錆びの浮き出た屋根が歴史を感じさせる。正面の火灯窓が良い雰囲気を作り出している。来光寺は江戸時代に非常に賑わっていて遠方からの参拝者も多かったとのこと。虹梁には参拝者の千社札が何枚か貼られている。向拝柱の木鼻には獅子の彫刻。来光寺は文禄二年(1593年)に創建の伝承。もともとこの周辺に今は存在しない薬師堂があり、そのお世話役として修験者がこの地に堂を建てたのが来光寺の始まりとのこと。そのためか、お寺の境内には檀家の墓所は無く代々祈祷寺であったようだ。今は米神の正寿院が管轄しており、管理は宮下・川端自治会。来光寺も今のままの姿でこれからも残って欲しい建物の一つだ。

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