小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昨年の春に足柄平野の34ヶ寺に点在する足柄観音を自転車で巡礼する計画を立てていた。巡礼を始めようとした矢先に東日本大震災が起こり、計画停電等で道路事情も悪そうだったのでしばらくは様子見をしていたが、震災から1ヶ月ほど後の4月16日に足柄観音巡礼をスタートすることにした。 2011年4月16日午後12時過ぎに小田原駅西口をスタート。1番札所のある南足柄市沼田の西念寺から34番札所のある箱根町箱根の本還寺までの総行程距離102.37kmを何日かに分けて一筆書きのコースで巡礼する。まずは小田原駅西口から南足柄市沼田へ。小田原駅西口を出発後、小田急沿いから五百羅漢を経て穴部から県道74号へ。初日は何ヶ所の札所を巡れるだろうか。県道74号へ向かう途中に扇町の玉宝寺へ立ち寄る。玉宝寺は足柄観音の札所ではないが本堂内に祀られている五百羅漢を見学した。玉宝寺の本堂に向かう途中、ふと山門に掛けられた看板を見ると「小田急沿線武相観世音第24番霊場」と書かれている。調べてみると小田急沿線武相三十三所観音霊場という観音巡礼があるようだ。世の中には色々な観音巡礼があるものだ。玉宝寺を後にして県道74号へ。相模沼田駅前交差点まで県道を直進する。この日は昼食を食べていなかったので途中、飯田岡駅近くの県道74号沿いの江口食堂で昼食。江口食堂でラーメンとチャーハンを注文。各々500円で計1000円。江口食堂は何度か来たことがあるがご飯物メニューしか食べたことが無く、この日は初めて麺メニューを注文した。小田原周辺の食堂のラーメンのなかではダントツに好みのスープ。ラーメンを食べにまた来よう。江口食堂で昼食を終えて、県道74号の相模沼田駅前交差点まで自転車を走らせる。足柄観音1番札所の西念寺は相模沼田駅前交差点から西側に曲がりしばらく進んだところにある。県道74号相模沼田駅前交差点から自転車を3分ほど走らせて南足柄市沼田の西念寺前に到着。いよいよ足柄観音巡礼が始まる。

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この春から足柄平野に点在する足柄観音を巡ろうと計画していたが、震災や計画停電のため出鼻を挫かれてしまった。4月に入り計画停電も当面見合わせになったので、再び足柄観音巡礼の計画を進めることにした。この足柄観音を巡る目的は信仰心からではなく、巡礼ルート沿いを散策しながら各寺で色々な話を聞ければいいかなぐらいの気持ちなので、巡礼に関する心得や知識は無いに等しい。しかし、この小田原には古くから信仰を集めてきた坂東三十三観音の札所の一つである飯泉観音がある。まずは足柄観音を巡る前に巡礼や札所にまつわる知識を深めようと飯泉観音を訪れた。小田原市飯泉の飯泉山勝福寺。坂東三十三観音五番札所飯泉観音として古くから親しまれている。創立は天平勝宝五年(753年)。坂東三十三観音は鎌倉時代の初期に開設された巡礼ルート。神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にまたがる33か所の観音霊場を巡り、その行程距離は1300km。室町時代の頃から一般庶民の巡礼が盛んになり、この飯泉山勝福寺にも多くの巡礼者が訪れた。国府津から飯泉までの巡礼街道は坂東三十三観音巡礼の名残である。門前の石柱には坂東五番の文字。坂東三十三観音の巡る順番は札所の順番に関わらず古来より自由だったようで1300kmの行程を徒歩で巡礼すると40日程度かかったようだ。堂々たる仁王門は宝暦8年(1758年)の造営。当初は茅葺屋根だったが、昭和30年代に銅板葺に改変された。天井や柱には千社札が多く貼られている。仁王門をくぐり境内へ。巡礼者は霊場で何をするのかといえば、本堂入口の箱に用意してきた納札、写経を納め、お灯明、線香、賽銭をあげてから本堂でご本尊を念じ合掌し読誦。また巡礼した証に巡礼衣装や納経帳にご朱印、納経を頂く。巡礼者は霊場へ入ったら、まず水屋で口をすすぎ、手を洗わなければならない。勝福寺の水鉢は小田原市指定重要文化財。作者は江戸神田の鋳物師小沼播麿守藤原正永で宝永元年(1709年)の作。水屋で身を清めたら続いて、鐘楼で鐘を打つ。参拝後は「戻り鐘」になるので絶対に打ってはいけないとのこと。勝福寺の銅鐘も小田原市指定重要文化財。江戸時代初期の寛永六年(1629年)の作。飯泉観音の本堂は宝永三年(1706年)の建立。本堂は県の重要文化財に指定されている。本堂入口には納経所の看板。本堂の中に進む。本堂内に賽銭箱と並んで納札入も設置されている。ここに用意してきた納札を納める。納札やお灯明、線香を済ませてからご本尊を念じ、合掌し読誦する。飯泉山勝福寺の本尊は木造十一面観音立像。一通りの参拝を終えてからご朱印を巡礼衣装や納経帳に押してもらい次の観音霊場へ向かう。勝福寺では寺務所に申し付けるように案内が貼ってあった。坂東三十三観音五番札所の飯泉山勝福寺を訪れてみて、正式な巡礼は衣装や納札など用意するものも多く、霊場での参拝も時間がかかるのが分かった。さて足柄観音はどのように巡ろうか。


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この地域の浄土宗の34寺院を霊場とする足柄観音。札所の所在も判明し、自転車で1番札所から一筆書きで巡礼する計画を立てている。今回は各札所間の距離をキョリ測で計測した。写真は足柄観音第三十一番札所の報身寺。

一番札所 西念寺(南足柄市沼田)→2.7km→ニ番札所 専称寺(南足柄市三竹)→3.8km→三番札所 陽雲寺(小田原市北ノ窪)→1.9km→四番札所 蓮乗寺(小田原市小台)→1.2km→五番札所 光明寺(小田原市堀之内)→1.8km→六番札所 浄蓮寺(小田原市桑原)→3.3km→七番札所 城前寺(小田原市曽我谷津)→1km→八番札所 安養寺(小田原市千代)→145m→九番札所 円宗寺(小田原市千代)→2km→十番札所 春光院(小田原市鴨宮)→1.1km→十一番札所 光照寺(小田原市鴨宮)→4.6km→十二番札所 常念寺(小田原市国府津)→2.5km→十三番札所 三寶寺(小田原市小八幡)→1.3km→十四番札所 長楽寺(小田原市酒匂)→320m→十五番札所 大見寺(小田原市酒匂)→513m→十六番札所 大経寺(小田原市酒匂)→1.9km→十七番札所 心光寺(小田原市東町)→333m→十八番札所 道場院(小田原市東町)→826m→十九番札所 誓願寺(小田原市浜町)→526m→二十番札所 善光寺(小田原市栄町)→723m→二十一番札所 安楽寺(小田原市中町)→217m→二十二番札所 新光明寺(小田原市扇町)→1.3km→二十三番札所 城源寺(小田原市城山)→676m→二十四番札所 本誓寺(小田原市城山)→1.8km→二十五番札所 伝肇寺(小田原市城山)→870m→二十六番札所 栄善寺(小田原市板橋)→314m→二十七番札所 常光寺(小田原市板橋)→5.3km→二十八番札所 阿弥陀寺(箱根町塔ノ沢)→19.3km→二十九番札所 西念寺(真鶴町真鶴)→2.4km→三十番札所 発心寺(真鶴町真鶴)→12.9km→三十一番札所 報身寺(小田原市南町)→590m→三十二番札所 大蓮寺(小田原市南町)→717m→三十三番札所 無量寺(小田原市本町)→23.5km→三十四番札所 本還寺(箱根町箱根)

札所間で一番短いのは千代の八番札所安養寺から九番札所円宗寺までの145m。一番離れているのが小田原市本町の第三十三番札所の無量寺から箱根町箱根の第三十四番札所の本還寺までの23.5km。総行程距離は102.37km。予定では、彼岸明けの週末からスタートしようと計画していたが、しばらくは計画停電等で道路事情も悪そうなので様子見。

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足柄観音についてある程度事前調査も進み、巡礼にむけて準備を着々と進めている。足柄観音はこの地区の浄土宗のお寺が昭和初期に作ったもので、南足柄・小田原・真鶴・箱根にまたがる34ヶ所のお寺を霊場とし巡礼するものである。ここで改めて各札所の寺院名と所在地を一覧にまとめておくと。[足柄観音札所が点在する足柄平野から真鶴・箱根方面を望む眺望]

●第一番札所   西念寺  南足柄市沼田
●第二番札所   専称寺  南足柄市三竹
●第三番札所   陽雲寺  小田原市北ノ窪
●第四番札所   蓮乗寺  小田原市小台
●第五番札所   光明寺  小田原市堀之内
●第六番札所   浄蓮寺  小田原市桑原
●第七番札所   城前寺  小田原市曽我谷津
●第八番札所   安養寺  小田原市千代
●第九番札所   円宗寺  小田原市千代
●第十番札所   春光院  小田原市鴨宮
●第十一番札所  光照寺  小田原市鴨宮
●第十二番札所  常念寺  小田原市国府津
●第十三番札所  三寶寺  小田原市小八幡
●第十四番札所  長楽寺  小田原市酒匂
●第十五番札所  大見寺  小田原市酒匂
●第十六番札所  大経寺  小田原市酒匂
●第十七番札所  心光寺  小田原市東町
●第十八番札所  道場院  小田原市東町
●第十九番札所  誓願寺  小田原市浜町
●第二十番札所  善光寺  小田原市栄町
●第二十一番札所 安楽寺  小田原市中町
●第二十二番札所 新光明寺 小田原市扇町
●第二十三番札所 城源寺  小田原市城山
●第二十四番札所 本誓寺  小田原市城山
●第二十五番札所 伝肇寺  小田原市城山
●第二十六番札所 栄善寺  小田原市板橋
●第二十七番札所 常光寺  小田原市板橋
●第二十八番札所 阿弥陀寺 箱根町塔ノ沢
●第二十九番札所 西念寺  真鶴町真鶴
●第三十番札所  発心寺  真鶴町真鶴
●第三十一番札所 報身寺  小田原市南町
●第三十二番札所 大蓮寺  小田原市南町
●第三十三番札所 無量寺  小田原市本町
●第三十四番札所 本還寺  箱根町箱根

この春から自転車で一番札所から一筆書きの行程で巡礼していく予定である。見て分かるとおり山場はニ十番台後半から。塔ノ沢→真鶴と本町→箱根はかなりの困難が予想される。次回の足柄観音関係の記事で各札所間の距離を計算してみる予定。


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散策の途中で見つけた石柱で足柄観音なる存在を知り、色々と調べてみたところ全三十四番札所のお寺と所在地が判明したものの、由緒や歴史が不明だったため、以前から交流のある城源寺の住職を訪問した。小田原市城山、山手橋ちかくにある城源寺は足柄観音の第二十三番札所である。コンクリート造りの外観はお寺というより美術館のような雰囲気。大正生まれの住職は、戦後まもなく毎日新聞の記者となり定年まで活躍された経歴の持ち主だ。戦前の小田原の文化や歴史にも詳しく、なにより足柄観音札所の住職なので由緒を知っているであろうと期待して訪問した。住職に足柄観音について調べていることを伝えたところ次のような話が聞けた
・足柄観音が出来たのは小田急線が昭和2年に小田原駅まで延伸したのがきっかけだと先代より聞いている
・東京方面から小田急線に乗って足柄平野へ来る観光客に巡礼してもらいたかったようだ
・この地域の浄土宗のお寺が34ヶ寺あったのも話が進んだ要因ではないか
・足柄観音の札所はすべて浄土宗のお寺である
・足柄観音を始めるにあたり、各寺で観音像を作ったか用意したようだ
・各札所にご詠歌を作った ご詠歌は浄土宗の和讃や経文などから引用して作ったようだ
・城源寺はお寺の敷地に大正期競馬場があったので馬頭観音を作ったと聞いている
・馬頭観音は本堂の一角に今でも安置している
・戦争などで社会が混乱していた時代だったために定着しなかったのかもしれない
・戦後は民間信仰や巡礼信仰も廃れてきたので巡礼者は少なかったようだ
・今では年間一人か二人程度足柄観音を巡礼している人が城源寺にも訪れる
・巡礼者に話を聞くとたいてい各地の霊場を巡礼している巡礼マニアで遠方から来る人が多い
・訪問してくる巡礼者で地元の人は皆無
・現在は足柄観音に関して特に各寺間での取り決めや祭事などはない
・この地域の浄土宗各寺住職の中で自分が最高齢の部類で恐らく他に足柄観音について詳しく知っている住職はいないであろう
・一番札所西念寺の先代住職が足柄観音について何か冊子にまとめていたようだがどこかに紛れ込んで見つからない

このほかにも当時のお寺の話や戦時中の小田原の様子など2時間近くも聞かせていただいた。帰り際、住職に実際に巡礼してみるので巡礼中にまた伺いますと挨拶して城源寺を後にした。

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