小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



1月31日、小田原は晴天の一日。1月も今日が最終日で2013年もあっという間に1ヶ月が過ぎてしまった。この週末は気温が高くなるようだが今朝も冷え込みが厳しい。午前中に所用で湯河原に出かけたので、湯河原梅林に立ち寄った。午前中に所用で湯河原町に出かけた際に、マックスバリュ横にある石窯パン工房TAKUでパンを購入。石窯パン工房TAKUは昨年4月にオープンしたパン屋さんでお手ごろ価格のパンが多かった。パンを買い湯河原梅林のある幕山公園へ。昨年ランニングで訪れて以来。車から降りると手がかじかむ寒さ。春はまだ遠い。湯河原梅林では来週末の2月9日から3月10日まで梅の宴が開催される。幕山公園の入口では売店の準備が進んでいた。湯河原梅林の梅の宴は訪れたことがないので機会があれば出かけてみたい。売店前から湯河原梅林の入口へ。少しは蕾がほころんでいる枝があるかと思ったがまったく咲いておらず。湯河原梅林は標高の高い場所にあるので、小田原の梅よりも少し開花が遅いとのこと。蕾の具合も曽我梅林と比べて小さかった。梅林内のベンチに座り朝食タイム。石窯パン工房TAKUでマロンデニッシュとチーズブールとオリジナルパイを購入。3つで540円。 200円のオリジナルパイは、パン生地と餡子を練ったようなものがパイ生地に包まれ焼かれている。蒸しパンのような食感とパイ生地の香ばしさがユニークな味わいだった。 190円のチーズブールはパン生地がモチモチしていて、たっぷりのチーズと良くあっていて美味かった。湯河原梅林の梅はまったく咲いていなかったが水仙が咲き始めていたので少しは春らしさを感じることが出来た。梅が見頃の頃にまた来よう。

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小田原城址公園の二の丸広場から常盤木門へと続く石段の下に架かっている常盤木橋は長さ10mほどのコンクリート製の橋。天守閣を復興した頃に架けられたものとばかり長年思っていたが、実は明治時代に架けられた古い建造物だということを最近になって知った。現在の常盤木橋が架けられたのは明治時代。史料によっては、明治初年に架けられた日本最古のコンクリート橋との記載もあったが、恐らく天守台に大久保神社が建立された明治26年前後に架橋されたと思われる。現在の常盤木橋の架かっている場所には、かつて九輪橋という木橋が架けられていた。その九輪橋は明治三年に天守閣とともに売却されその後解体が行われた。明治時代に撮られた常盤木橋の写真を見たが、橋桁の部分は当時と同じ形状だが、朱に塗られた高欄の部分の形状は違った。高欄の部分は後年になり造り替えたようだ。この常盤木橋は、昭和44年に大掛かりな改修工事が行われた。明治時代に架けられた常盤木橋は関東大震災で周囲の石積みが崩れてしまい崩落の恐れがあったため昭和44年の1月5日から同年3月下旬までの工期で改修がなされた。改修工事ではまず橋脚の石垣を修復してから、古いコンクリート橋の常盤木橋をそのまま乗せて改修が完了した。常盤木橋の下から橋桁を撮影。過去に何度か補強がされているようで比較的新しいコンクリートが塗られている。橋桁には塗装年月日と施工者が記載されていた。一番古い記録は昭和31年で最も新しいものは平成2年。常盤木橋の高欄も外側はかなりボロボロで痛みが激しい。恐らく小田原市内に現存するコンクリート橋の中では一番古いものだと思うので、相応の管理や補修が随時なされれば良いのだが。

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小田原城址公園本丸広場には樹齢400年を超えると推定されるクロマツが現在も残っているが、昭和40年代の半ばまでは隅櫓の近くにもクロマツの老木があった。小田原城址公園内の隅櫓の前にはかつて姿見の松と呼ばれたクロマツが植わっていた。樹齢は400年以上で周囲は2.5mの太さだったが昭和40年代に入り、年々樹勢が衰えてしまい昭和46年夏に枯れてしまい伐採された。姿見の松のあった同じ場所には現在、2代目のクロマツが植わっている。この2代目のクロマツはもともと小田原駅近くにあったものを昭和47年春に移植したもの。その当時で樹齢150年、樹高は約15mほどだったとのこと。この2代目クロマツま幹に何ヶ所の洞があって、鳥が巣を作ったりもしている。子供の頃はたまに覗き込んだりした記憶がある。城址公園内の樹木のほとんどには樹木番号と診断結果のタグが貼られている。タグによると昨年1月に診断と薬剤による処置が行われたようだ。隅櫓前の2代目クロマツはあまり樹高がないのでそれほど古い松だと思っていなかったが、樹齢200年近くになる。初代の姿見の松と同じ樹齢400年まで生きながらえて欲しいものだ。

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国道255号栄町1丁目交差点と言われてもあまりピンと来ないが、スクランブル交差点だと言えば小田原市民ならだいたい分かるのではと思う。その国道255号栄町1丁目交差点にスクランブル式の信号機が導入されたのは今から41年前の昭和47年のこと。栄町1丁目交差点にスクランブル式の信号が導入されたのは昭和47年7月22日。当時、小田原駅周辺は慢性的な交通渋滞に加え、商業施設が小田原駅周辺に集中していたので買い物客など歩行者の安全を確保するために導入されたとのこと。当時のスクランブル式信号機導入を伝える新聞記事には、小沢モータース前の5差路と書かれていた。私が物心ついたときには小沢モータースはスクランブル交差点に無かったように思うので、恐らく昭和50年前後に移転したか閉店したと思われる。スクランブル式の信号機は交差点内の全ての歩行者用信号が青に変わり、交差点内を縦横斜めに横断できるもの。当時、スクランブル式にするのにあたり10基の信号機が設置された。現在、スクランブル交差点にある歩行者用信号は8基なので少し減ってしまった。栄町1丁目交差点にスクランブル式信号機が導入されたのは、もちろん小田原初の出来事。導入後、高齢者などがスクランブル式の交差点の渡り方が分からなかったようで、警察官がしばらく交差点に立ち信号が変わると合図を出していたと新聞記事に書かれていた。昭和40年から50年代にかけて、市内で最も車と買い物客が交差する交通の要所だったスクランブル交差点も、商圏が川東地区に移ったこともあって最近は、昭和の頃の賑わいが嘘のように人通りがまばらな時がある。今後、交差点の周辺はどのように移り変わってゆくのだろうか。

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1月27日、小田原は快晴の一日。今朝は氷点下3度近くまで冷え込んで厳しい寒さ。防寒対策をして午前中に自転車で散策に出かけた。午前9時前のお堀端通り。昨日までの強風はおさまったが空気が冷たい。まずは駅周辺を散策する。お堀端通りから弁財天通りへ。弁財天通りの建設中のマンション工事現場は足場が外れ外観が見えるようになっていた。竣工までもう少し。小田原駅周辺から扇町方面へ。アマゾン小田原FC建設現場に立ち寄る。建設中の2期棟は4階部分の鉄骨の組み立てが進んでいた。扇町から飯泉橋を渡り巡礼街道方面へ。飯泉取水堰は浚渫作業のため中洲にいくつかの砂山が出来ていた。今年は取水堰だけでなく、酒匂川のいろいろな場所で川床に溜まった土砂の搬出工事が行われている。飯泉から巡礼街道を国府津方面へ。途中、かものみや市場へ立ち寄った。かものみや市場東側の飲食店などがあった建物は解体されるようでフェンスの設置が進んでいた。巡礼街道から県道72号方面に進み曽我方面へ。途中、県道沿いのフレッシュベーカリードルで朝食のパンを購入。ドルで買い物をするのは久しぶり。県道72号から曽我梅林の別所会場へ。今日は雲もなく富士山が綺麗に見えた。別所会場の梅の里食堂前へ。来週末から梅まつりが開催されるので、売店や食堂では開店準備が行われていた。日当りの良い剣沢の土手に腰掛け朝食タイム。フレッシュベーカリードルでメロンパンとクリームパンとコロッケサンドを購入。3つで450円。 210円のコロッケサンドはコロッケが大きくてボリュームがある。サクサクしたコロッケの衣とパンが良くあっていて美味かった。パンを食べ終えて、梅林内を梅の花を探しながらゆっくりと自転車を走らせる。まだつぼみの枝ばかりで開花はしばらく先のようだ。今朝は人通りもまばらな曽我梅林も来週末はいくらか観梅客で賑わっていることだろう。

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