荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『花、香る歌』 イ・ジェヨン

2016-05-11 07:25:34 | 映画
 李氏朝鮮末期に実在したという史上初の女性パンソリ歌手の生涯を描いた『花、香る歌』を、新宿シネマートで見る。原題がいい。『桃李花歌』といって、これはヒロインに厳しい指導をほどこしたパンソリの師匠が、最後の共演時にヒロインに捧げた言葉であり、歌である。桃も李(すもも)も春の花で、パンソリの代表曲『春香歌』からの連想が、師弟愛に応じて広がったものである。
 ヒロインのパンソリ見習い女性を演じるペ・スジは、アイドルグループ「Miss A」のメンバーで、長い期間をかけてパンソリの発声特訓を受けたのちに撮影に臨んだとのこと。愛くるしい顔と、堂に入った大声が素晴らしかった。ただし、彼女のクライマックスたる大舞台での歌唱シーンとなると、いつもオーケストラによるメロディアスな劇伴が被さってしまう。これは非常なる興ざめである。もしかすると、本場韓国の識者が聴けば、彼女のパンソリ発声は、特訓むなしく素のままでは聴けたものではない、という冷徹な判断があったのかも知れない。
 そして、芸道ものとしても、たとえばイム・グォンテク(林権澤)監督による、あのワンカットワンカットの一瞬一瞬が素晴らしかった『風の丘を越えて/西便制(ソビョンジェ)』(1993)あたりに比べると、だいぶウスクチである。日本でも韓国でもアメリカでもヨーロッパでも、演劇と映画のさかんな国では決まって「芸道もの」というジャンルがあって、たとえばジョージ・キューカー『スタア誕生』(1954)にしろ、溝口健二『残菊物語』(1939)にしろ、千葉泰樹『生きている画像』(1948)にしろ、ジャック・ベッケル『モンパルナスの灯』(1958)にしろ、ジャン・ルノワール『黄金の馬車』(1953)にしろ、そして上述のイム・グォンテク『風の丘を越えて/西便制』あるいは『酔画仙』(2002)にしろ、その酷薄さたるや、正視に耐えぬほどすさまじいものがある。
 ところが、この『花、香る歌』はその点ぬるい。しかしさもありなん、皆が皆『残菊物語』だったら、こっちの身が持たない。芸の厳しさ、その果てにある孤高の歓びも描かれるばかりでなく、今作はペ・スジの清新さも強調せねばならない。
 本作公式HP(URLは下記)によれば、ヒロインと師匠(リュ・スンリョン)の進路に立ちふさがる宮廷の重鎮、興宣大院君(キム・ナムギル)は、朝鮮王朝第26代王・高宗の実父で、日韓近代史の重大問題のひとつ「閔妃暗殺事件」(1895)の首謀者として名が挙がる人物。本作ではこの興宣大院君の失脚は描かれても、(いわば息子の妻である)閔妃の暗殺までは描かない。本作があくまでパンソリの芸事に身を捧げた集団の物語として、話を広げなかったのだろう。
 映画のクライマックスで、宮廷の池に舟を浮かべて、そこでパンソリが演奏されるシーンがある。この情景の素晴らしさは出色だった。韓流ブームの一時代を築いたペ・ヨンジュン主演の『スキャンダル』(2003)という作品があって、ド・ラクロの『危険な関係』を朝鮮の両班(ヤンバン)階級に置き換えたもので、これが意外にいい作品だったのだが、じつは今作『花、香る歌』の監督イ・ジェヨンは、『スキャンダル』の監督である。『スキャンダル』でも両班の庭園内の池に舟を浮かべ、舟上の歌い手が非常に風流な歌を歌っていた。あれは庶民の哀歓を叫ぶパンソリよりももっと上流向けの雅歌だったかと思われる。イ・ジェヨンは自身のフィルモグラフィで2度も、水に浮かべた舟から女声を響かせたことになる。あの『スキャンダル』の歌声は素晴らしかったが、当方素人であるがゆえに、あれがどういうジャンルの音楽だったのか、分かりかねるのが残念でならない。


新宿シネマート(伊勢丹前)ほか、全国で順次公開
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