『リング』などのJホラーと、ジョン・カーペンターの幸福な結婚と言えばいいか。ホラーというのは人を怖がらせればいいのだから、じつに幸せなジャンルであるが、そこに青春映画の要素も足していくと、ぐっと味が増す。長編第2作『イット・フォローズ(IT FOLLOWS)』を撮りあげたデヴィッド・ロバート・ミッチェルは、そういう意味で果報者の作り手である。
アメリカのホラー映画では決まって、学生たちのキャンプなどで二人きりになるために抜け駆けしたカップルは、まず最初に消えるだろう。次に、二人を探しに出かけるあわてん坊の正義漢が消え、ひとりまたひとりと映画の中から人がいなくなっていく。アメリカのホラーの鋳型はそうしたものだが、本作『イット・フォローズ』の若者グループの結束は、異常なほどに固い。彼らは籠城作戦に出て、部屋に折り重なるように眠り、長い時間を過ごす。彼らの親たちは仕事で忙しいらしく、彼らの恐怖とはいっさい無縁で、まったく登場しない。
感染すると、凶暴な幽霊が見えるようになり、そいつらに襲われるという、ヘンテコなウィルスをボーイフレンドにうつされた女子大学生(マイカ・モンロー)が、取るものもとりあえず逃げ出す時の、素足だったり、ショートパンツ姿だったり、下着姿だったり水着姿だったり、バカバカしいほどの薄着、無防備ぶりがすばらしく、それが映画全体の基調をなしている。恐怖で泡喰った表情で、自宅に侵入した亡霊から逃げるために玄関から短パン、裸足で飛び出すマイカ・モンローは、あまり経験から学ばない。逃走中に事故を起こして大ケガしようと、お構いなしだ。まるでこの映画のヒロインであり続けるためには、この無防備さを捨ててはならぬという使命感に囚われているかのように、彼女は水着で、裸足で、何度でも逃亡してみせる。
なるほど映画の終盤では、グループで武装らしき道具を揃えて、亡霊の登場を待つことにはなる。しかしその場所はなぜか、ヒロインがファーストキスをした思い出の体育館である。なぜそこなのかは分からないし、何かのリビドーに関連しているという勘なのかもしれない。そこでも彼女は敢然と一人だけ水着姿となり、仲間をプールサイドに控えさせ、水の真ん中で漂ってみせる。「私は生け贄の羊よ」と言わんばかりに。この無意識の使命感が本作を祝福しているので、『イット・フォローズ』は幸福な映画としか言いようがないのである。
1/8(金)よりTOHOシネマズ六本木ほか全国で公開予定
http://it-follows.jp
アメリカのホラー映画では決まって、学生たちのキャンプなどで二人きりになるために抜け駆けしたカップルは、まず最初に消えるだろう。次に、二人を探しに出かけるあわてん坊の正義漢が消え、ひとりまたひとりと映画の中から人がいなくなっていく。アメリカのホラーの鋳型はそうしたものだが、本作『イット・フォローズ』の若者グループの結束は、異常なほどに固い。彼らは籠城作戦に出て、部屋に折り重なるように眠り、長い時間を過ごす。彼らの親たちは仕事で忙しいらしく、彼らの恐怖とはいっさい無縁で、まったく登場しない。
感染すると、凶暴な幽霊が見えるようになり、そいつらに襲われるという、ヘンテコなウィルスをボーイフレンドにうつされた女子大学生(マイカ・モンロー)が、取るものもとりあえず逃げ出す時の、素足だったり、ショートパンツ姿だったり、下着姿だったり水着姿だったり、バカバカしいほどの薄着、無防備ぶりがすばらしく、それが映画全体の基調をなしている。恐怖で泡喰った表情で、自宅に侵入した亡霊から逃げるために玄関から短パン、裸足で飛び出すマイカ・モンローは、あまり経験から学ばない。逃走中に事故を起こして大ケガしようと、お構いなしだ。まるでこの映画のヒロインであり続けるためには、この無防備さを捨ててはならぬという使命感に囚われているかのように、彼女は水着で、裸足で、何度でも逃亡してみせる。
なるほど映画の終盤では、グループで武装らしき道具を揃えて、亡霊の登場を待つことにはなる。しかしその場所はなぜか、ヒロインがファーストキスをした思い出の体育館である。なぜそこなのかは分からないし、何かのリビドーに関連しているという勘なのかもしれない。そこでも彼女は敢然と一人だけ水着姿となり、仲間をプールサイドに控えさせ、水の真ん中で漂ってみせる。「私は生け贄の羊よ」と言わんばかりに。この無意識の使命感が本作を祝福しているので、『イット・フォローズ』は幸福な映画としか言いようがないのである。
1/8(金)よりTOHOシネマズ六本木ほか全国で公開予定
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