老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

菅・小沢会談

2010-08-31 16:00:00 | 民主党政権
昨晩の鳩山・菅会談で、今日菅・小沢会談が行われる方向で決着したようだ。メディア各社は、小沢が代表選出馬を回避するのではないか、という憶測記事を流している。昨晩の会談は、菅首相側が鳩山由紀夫にすがりついて実現したもので、要はこのまま代表選に突入すれば菅首相の完敗に終わりそうな情勢なので、何とかそれを回避したいという思惑が見え見えの会談だった。それを象徴していたのが、記者会見を終わり車に乗ろうとした鳩山を菅首相が追いかけて、「ありがとう」と嬉しそうに手を握っていた姿である。

メディア各社は、「談合」反対を一斉に流しているが、本当の腹は「小沢出馬回避」にある事は間違いない。そうでなければ、あれほど異常な小沢出馬反対の論調を張るわけがない。
要は、選挙情勢がかんばしくないので、「民主党分裂」の危機をことさら煽り、選挙回避=菅無投票再選の流れを作りたいのだろう。この流れの中心にいるのが仙石官房長官だというのが定説。鳩山がロシアから帰国した時、仙石と会談している。ここで昨日の菅・鳩山会談の方向性はある程度決まったのだろう。

同時に、仙石らしいのは、今日の毎日新聞に小沢側近の山岡に民主党党費が不透明な流れをしているという記事が出ている。これは、日刊現代の二木氏が書いているように、民主党費の会計関係の書類がメディアに流出おり、それを基に書いたのだろう。もし、小沢が出馬回避に動かなければ、この問題を徹底的にやるぞ、というブラフだろう。

仙石は仙石で朝日新聞に政治資金で息子の事務所経費を賄っていたという疑惑を書かれている。このニュースを深読みすれば、①朝日新聞内の勢力争い(※政治部と社会部)②最近の朝日のあまりの偏向報道ぶりに対する読者の反発が凄いので、菅政権に対する追及も忘れていないというアリバイづくり③小沢出馬回避のためには仙石の辞任が避けられない。そのため仙石官房長官が辞任する口実としての事件報道④こういう泥試合を続けていれば、民主党分裂は避けられない、という危機感を党員に与え、小沢出馬回避の環境作りをする等々、様々な事が想像できる。現在のメディア報道は、これくらい疑ってかからないと、簡単に世論誘導されると考えた方が良い。

今日予定されている小沢・菅会談。わたしが小沢ならこう考えるという私見を書いてみたい。

1、「利害得失」→会談をするメリットはない。たしかにメディアの評判は悪いが、選挙情勢は有利に傾いている。陣営の士気も盛ん。このまま選挙に突入すれば、8割方は勝てる。会談を承知したのは、鳩山由紀夫に対する義理。ただ、会談を決裂させれば、挙党一致を拒否したという非難は避けられない。これをどう乗り越えるか。

2、「菅に対する信頼」→全くゼロ。正月の新年宴会で乾杯の音頭をとりながら、自分が辞職すると「静かにしていろ」と手のひらを反す。自分が出馬の決意をする前に鳩山が「挙党一致」を申し込んだときは剣もホロロの扱いをした。(※鳩山はこれに切れたという話もある)それでいて、自分が出馬すると、選挙が危ないと思って鳩山にすがりつく。自分が生き残るためには、「仙石・枝野」を切る事もいとわない。これも仙石・枝野に対する裏切り。「一度裏切った男は二度三度裏切る」ここで菅首相の続投を認めても、必ず自分を裏切るだろう。

3、もしここで変な妥協をしたら、自分を支えてくれる小沢派の連中の信頼を失う。仲間の信頼を失った盟主は求心力を失い、政界を去らざるを得ない。同時に全国にいる小沢待望論者の人々の信頼も失う。小沢一郎は権力やポストが欲しいただの政治屋にすぎないと思われる。人には一生に一度や二度は人生全てを賭けた戦いをしなければならない時がある。「今がその時」だと思う。

4、となると、今日の会談の落とし所はどこか。鳩山の顔も立て、仲間の信頼もつなぎとめる方策は何か。
 ★代表選挙には出馬する。★選挙結果がどう出ようとも、お互い選挙後は「トロイカ体制」で政権運営を行う。★選挙戦は正々堂々、フェアに行う。スキャンダル合戦やネガティブキャンペーンはせず、【政策論争】を正面から行う。これを文書で示し、お互い正々堂々と戦おうと笑顔で握手して、選挙戦に突入する。

以上がわたしの提案だが、果たして小沢一郎はどう判断するだろうか。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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どうなる?菅・小沢会談

2010-08-31 08:50:02 | 民主党政権
昨夜(8月30日)の鳩山-菅首相会談で、民主党設立と政権奪取時のトロイカ方式+1(鳩山・菅・小沢・輿石)体制に戻ろうという合意ができたと、ニュースでは報じられている。そのような菅首相の変わり方であれば歓迎である。

そもそもトロイカ体制をおかしくしたのは、菅氏が代表選に出馬する時の「小沢不要」発言にある。いや、もう少し前であろう。即ち鳩山首相が辺野古問題を5月末までに結論を出すと公約後、1月の名護市長選で辺野古移設反対派の稲嶺氏が市長に当選し、名護市民の要望と米国の辺野古移設の要求の狭間で鳩山首相が迷走し始めた3月頃から、鳩山首相の支持率が低下し始めた。このころから急に菅副総理はダンマリを決め込み、辺野古の問題には全く関わっていないというようなことを言い出し、鳩山首相に距離を起き始めた様に見受けられる。

おそらくこの頃から鳩山首相の行く末を見定め、鳩山では6月の参議院選挙は戦えないと予想し、仙谷・前原・岡田・枝野・野田・玄葉氏らと菅政権構想の基本となる参議院選用マニフェストづくりに取り組んでいたのではないかと思われる。

それでなくては民主党代表選から参議院選までの短時間で、参議院選挙用のマニフェストが出てくるはずもない。おまけに菅首相から消費税増税と企業減税案まで示され、それについて仙谷官房長官と玄葉政調会長が口裏を合わせて、参議院選の公約と思って貰って良いと記者の質問に答えていることから見ても、鳩山辞任後は菅政権という構想が用意周到に彼らの間で準備されていたのではないかと思われる。

こうして鳩山氏が辞任するや、菅氏は直ぐに代表選への立候補を表明し、鳩山・小沢氏がダブル辞任で動揺さめやらぬ間隙をついて、今度は前原国交大臣がすかさず菅氏支持を表明、小沢氏の先手をとり、小沢氏の出鼻をくじいた。そして同時に前原、仙谷、岡田、枝野、野田、玄葉の各氏は鳩山、菅、小沢のトロイカ体制から菅氏を引き抜き、現体制を築くことに成功したのである。

一方、担がれた菅首相は元より超現実主義者であるから、首相になれるのであれば担ぎ手が旧政官業寄りであろうが、親米派であろうが、集団的自衛権用容認派であろうが、武器輸出三原則廃止論者であろうが抵抗無く御輿に乗り、今回の代表選で予期せぬ党内路線抗争に火をつける形で、小沢、鳩山、輿石氏との対峙に直面し、昨晩の鳩山-菅会談にもつれ込んだというのが実状であろう。

何れにしろ菅首相が従来のトロイカ体制の原点に戻ろうということに目覚めたのであれば、焦点は「国民生活第一」のマニフェストを小沢・鳩山・輿石各氏の総力を借りて挑戦することができるかどうかである。そしてそのための党と内閣の適材適所の人事を敷けるかどうかであり、同時にこのことは仙谷、枝野氏、親米派、旧政官業よりの政策を推進しようとする前原、岡田、玄葉氏等と決別できるかどうかである。それができれば、トロイカ体制+1に支えられた菅内閣で丸く収まるはずである。

仮にこうなれば一番切歯扼腕するのはメディアを含めた旧政官業、米国ロビイスト、民主党分裂で政界再編を期待していた面々であろう。とりわけメディアは何のためにこれまで民主党潰しの情報操作で世論操作をし、頻繁な反民主党、反鳩山、反小沢の世論調査をしてきたのか、梯子をはずされた思いであろう。しかしまだ最後まで予断できないが、今日(8月31日)の鳩山氏による菅-小沢会談が成立し、トロイカ再興が成功するか否か、興味津々である。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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死刑是か非か?

2010-08-30 13:18:11 | 民主主義・人権
 国の名による殺人はどんな理由があっても許されないと思います。「正義の戦争」に繋がりかねないからです。正義なんてもともと各人の頭の中にしか存在しないうえ、9条の趣旨にも反するのではないでしょうか。

いわゆる先進国中死刑を続けているのが最も犯罪率の低い日本と、きわめて高いアメリカだけというのも面白い現象で、忠臣蔵や水戸黄門そして西部劇が依然として人気があるのと関係あるのかも知れません。

己の欲望の赴くままに行った残虐非道な殺人は目を覆うものがあり、亡くなった方はもちろんそのご家族の悲しみと悔しさはいかばかりか、察するに余りがあります。しかし死刑を廃止すれば凶悪犯罪が増える証拠はなく、「死刑になりたいから人を殺した」なんていう大量殺人者もいるのだから、廃止反対者の論理は破綻しています。

それにしても死刑反対を表明していた千葉法相の死刑執行署名はどうしたことか!村山富市氏が首相就任と同時に自衛隊容認に踏み切り、社会党のコア支持者(私もその1人)を失望させたのと同じく、さなきだに少ない死刑廃止論者の気勢をそぐものです。

この問題はともすると感情論になりがちですが、東野圭吾「さまよう刃」と加賀乙彦「宣告」を読み比べてみるのがお勧め。方や被害者家族の悲しみと怒りを、方や死刑囚の悩みを余すところなく描いたすばらしい傑作です。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
成木清麿
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民主党代表選

2010-08-30 13:07:23 | 民主党政権
先日の「サロン・ド・朔」の定例会で、その日のテーマとは直接関係なかったけれど「民主党代表選」の話が出ました。

私は小沢一郎に関しては、多大な期待を持っている訳でもなく、消去法で一度民主党の代表をやらせてもいいのではないか、と思っていた程度です。しかし民主党の代表ということは当然我が国の総理大臣になるということで、その時何をしたいのか、どうもよく分からないのが困った所でもあります。

小沢一郎は以前「第七艦隊だけでいい」という発言をしましたね。あれは米軍には「第七艦隊」以外はお引き取り願って、「日本の防衛は日本が担うべき」という意味なのでしょうか。だとしたら、「自国を守る軍隊をつくるべき」という所まで行くのではないでしょうか?

小沢一郎は昨年の毎日新聞「えらぼーと」の質問事項で、「憲法9条改正」については「反対」と答えていますが、「集団的自衛権の行使を禁じた政府の憲法解釈を見直すべきか?」という質問に関しては「見直すべき」と答えているので、「解釈改憲論者」なのでしょうか。

http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/mai/kaihyo/area_meikank.php?mid=A03004001001

一方、菅総理は「憲法9条改正」については「非回答」で、「集団的自衛権の~憲法解釈を見直すべきか?」については「反対」だそうです。

小沢一郎という政治家が、我が国の総理大臣になった時、官僚の天下りや無駄使いを一掃する政治を実行し、ある程度政治主導出来たと仮定して、「生活が第一」というマニフェストを忠実に実行して(そんなこと出来る筈がないという声も聞こえていますが)、私達の暮らし向きや雇用や経済状況が良くなったとしても、その時「憲法調査会」が再び機能し始めて、「改憲」への動きが活発になったとしたら、私達は再び小沢一郎という政治家と対峙しなければならなくなるのでしょう。

問題は、では小沢一郎以外に我が国の総理大臣になって欲しい人がいるかと考えると、今の所見当たらないということです。「菅総理、もっとしっかりしてよ」と言いたいけれど、消費税発言や法人税減税発言、核の抑止力は必要発言にしても、何だかなーという脱力感に陥りそうです。

と、思っていたらNHKで「鳩山氏菅総理と会談」というニュースを流していました。「今後代表選回避の可能性も充分有り」と。マスメディアの情報なんて当てにならないという人もいるし、マスメディアの「小沢叩き」も執拗なものを感じるけれど、出来れば「代表選回避」なんて事態にならないで、菅総理も、小沢一郎も「憲法、外交、経済、雇用、環境」の各政策について議論し、ガチンコ勝負で、総理大臣になったらこの国をどのような国にしたいのかそのビジョンを分かりやすく説明し、それが支持できるものであるなら、今度こそ是非実行して欲しいと思う今日この頃であります。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ
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擬制の終焉

2010-08-30 06:47:46 | 民主党政権
1960年代、吉本隆明の【擬制の終焉】と言う言葉が流行った。彼は前衛と呼ばれた共産党はじめ進歩的知識人たちを厳しく批判、フルシチョフのスターリン批判以前に反スターリン主義を断固として打ち出した。現在のメデイアの評論家連中も同じだが、戦後の言論界にも、戦中には「戦争万歳」を叫び、世論誘導に一役買った右翼の全体主義者だった人間が、敗戦後は自らの戦争責任をほっ被りして、左翼的言辞を弄して、国民を見下して、高みからエラそうに物を言う状況があった。彼は「戦争責任論」を書き、それらの欺瞞的知識人や共産党の抵抗神話を徹底的に暴きだし厳しく批判した。

しかし、吉本が特異なのは、知識人が反スターリン主義的に新たな前衛党を創設し学生大衆や労働者を組織すればうまくいくという立場をも拒絶した点にある。吉本流にいうならば、【自立の思想】というわけだが、ここに彼の思想的独自性がある。この思想は、大学紛争が吹き荒れた時代、全共闘の一つの思想的基盤になった。

実は、吉本が【擬制】(フィクション)として指弾した様々な制度、思想などの問題が、現実のものとしてわれわれの眼前に明らかになりつつあるのが現代と言う時代なのである。

政治的支配だろうが経済的支配だろうが、支配を維持するためには、自らの「覇権」を正当化するためには、必ず擬制(フィクション)を必要とする。例えば、米国の正義がそうである。アメリカの正義は、世界の正義であり、人類の利益に資するものだという擬制(フィクション)が戦後世界を支配してきた。米国は、その擬制(フィクション)を維持するために様々な理念を提示してきた。いわく、「自由」であり、平等なるチャンスである。しかし、イラク戦争以降の米国社会で顕在化してきたことは、そもそも米国社会にはそのような理念が原理的に存在していないのではないかという疑念である。

ブッシュ大統領が至高の価値として唱えた「自由」とは、先住民を駆逐して自分たちの王国を建設した征服者を正当化する方便ではないかという根本的疑念がぬぐいきれない。イラク戦争の経緯はまさに米国建設を支えた思想の焼き直しであり、米国流正義思想の傲慢さと限界を露呈したものだった。

「チャンス」は社会の下層に充満する不満をなだめるための方便だった。リーマンショック以降の米国社会の現状を見れば、米国の信条とする「チャンスの国」とは、まさに決して実現しない「見果てぬ夢」に過ぎない事が了解できる。オバマ率いる米国の直面している「苦悩」とは、まさに米国を牽引してきた【擬制】が轟音を立てて崩壊している点に求められる。

翻って日本の現状を考えれば、米国の直面している苦悩と同質の苦悩を抱え込んでいる事が見えてくる。思想的に見れば、東西冷戦の終焉とは、西側先進国に「擬制の終焉」という同じ苦悩を与えたのである。

よく考えればすぐ理解できるが、社会を維持し秩序を構築するためには、この種の【擬制】(フィクション)はどうしても必要になる。その逆に、そのような【擬制】を徹底的に嫌悪する思想も生み出す。「強者」のみが生き残る【ジャングルの掟】を志向した「新自由主義」や「ネオコン」思想がその典型である。ところが、【擬制】を徹底的に嫌悪したはずの「新自由主義」も「ネオコン」派も自らの「覇権」を正当化する【擬制】を必要とする。この論理矛盾こそが、「新自由主義」や「ネオコン」派の思想的限界であり、彼らの凋落の大きな要因だった。

【人間は余計な事を考え出す存在である】と言う言葉は、人間存在の根本を言い当てている。また「人間は社会的存在である」(マルクス)というのも真実。この二つを合わせ考えると、結局「擬制」(フィクション)から人間はのがれる事ができないと言う事にきずく。
デモクラシーもひとつの擬制であり、自由主義もまたひとつの擬制。完全に民主的な国家も、真に自由を享受できる国家も現実には存在していない。

人間がつくる「共同体」を維持し続けるためには、どこかに共同の理念(※これは宗教的シンボルかもしれないし、政治的理念かもしれない)がどうしても必要になる。歴史や民俗学を見ると、人間が営々としてこの種の営みを続けてきたことが了解される。

実は、現在展開されている民主党代表選の狂騒曲の裏で静かに展開されているのは、「擬制」(フィクション)の終焉以降の新たな「擬制」(フィクション)の創造の争いだという点を忘れてはならない。

菅の叫ぶ「強い経済・強い財政・強い社会保障」という「擬制」を信じるか、小沢一郎の叫ぶ「政治は生活。国民生活が第一」という「擬制」を信じるかの争いなのである。
同時に忘れてならないのは、「ジャングルの掟」を信奉した新自由主義的理念(※みんなの党や自民党及び菅を支持している民主党の一部)により荒廃した日本社会の再構築の理念(擬制)が問われているという視点である。

この視点から見れば、「政治とカネ」とか「クリーンな政治」というのは、これを唱えている連中の顔ぶれ(仙石・枝野・玄葉・前原など)を見れば、新自由主義的擬制を補強するための方便に過ぎないと言う事が理解される。クリーンさが政治の進化を保障できるなどというのは、ほとんど「神話」に過ぎない。そんなにクリーンが好きなら、子供に政治をさせれば良い。「クリーン」さこそが政治の拠り所のような議論の馬鹿馬鹿しさにきずくはずである。

それに比べると、同じ方便だとしても、米国が自らの覇権を補強するために唱えた「自由」とか「チャンス」という思想的インパクト・深さに比べると「クリーン」などというものが、如何に浅薄なものか。このような浅薄なスローガンを叫ぶ連中の思想的劣化・愚かさの証明のようなものだろう。

わたしたちは、戦後社会システムを支えた擬制(理念)の終焉の後、如何にして新たな理念(擬制)を創出するかというきわめて重大な時代に生きている事を忘れてはならない。民主党代表選の狂騒曲は、この生みの苦しみを象徴するカオス(混乱)なのだと認識しなければならない。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
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日銀総裁は金融緩和策を急げ

2010-08-29 14:17:17 | 社会問題
先日米国で行われた中央銀行総裁会議での講演でバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は、追加の金融緩和も辞さない考えを示した。これに出席していた白川総裁は直接バーナンキ議長の講演を聴いて帰ったはずである。日銀も直ちに臨時の金融政策決定会議を開催し追加の金融緩和策を打ち出すべきである。

ここでタイミングを失すると更に円高を招き、先週末に8991円まで回復した日経平均株価がまた8800円台まで反落することは必至である。菅首相は日銀総裁が帰国してから政府の要望を伝えると相変わらずのんきなことを言っているが、先日の電話会談をメディアから批判され、またぞろ「ころっと」変わったに過ぎない。

既に首相の経済音痴は衆目の認めるところである。日銀総裁は菅首相に会う前に金融緩和策を打ち出し、月曜日の後場の株価が下がらないようすることが菅首相に会うことより重要である。首相に合ってからではタイミングが遅くれ、また日銀が政府の干渉を受けたとのイメージを残し、悪しき慣習を残すことになる。又この方が日銀法に則しているはずである。

首相を無視してでも日銀の独立性を示し、日本は政府と日銀と二段構えで円高対策を打ってきそうだとのイメージを植え付けて行くことが重要である。政府日銀一体では手の内は一つしかないと投機筋に読まれるだけである。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
厚顔の美少年
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死刑制度、特に絞首刑制度について

2010-08-29 06:18:58 | 民主主義・人権
先ずは、動画のご紹介から。

http://nikoryuu.blog18.fc2.com/blog-entry-252.html
今日のトピックス Blog: 9/9 「汚染米」転用、農水省対応に批判/我々と目線が違う
 > You Tube: 絞首刑の解説ビデオ(グロ無し)(2008/04/28) ※残虐な刑罰!だと思う
 ● 良い仕事してますね。大島渚監督。
   http://www.youtube.com/verify_age?next_url=http%3A//www.youtube.com/watch%3Fv%3DnxNJ9w0p-Vo%26feature%3Dplayer_embedded

私も、(国家の)死刑制度には反対です。処罰(絞首刑)に当たっては、報復感情に任せた応報を是とする国民感情(世論)が一般のようですが、なぜ被害者と加害者しか天秤にかけようとしないのか、私にはわかりかねます。
 
早い話、『泥棒にも三分の理』のことです。三分が正しいのか知りませんが、その分け前の大半は、裁く側の国家にあると思うのです。そうでなければ、世界の多くの国で、死刑廃止乃至傷みを伴う死刑を回避しようとはならなかったでしょう。冤罪の虞も含めて。或いはまた、殺人犯であれ、国民の人権保障を責務とする国家として、その殺し方には自ずと限界がある…。
 
私は、犯罪の関係者(加害者と被害者の他に)には、国家を含まなければならないと受け止めています。言わば、共犯者として。復讐、仕返しの感情の侭に、或いは被害者への感情移入の侭に任せては成らず、公正・公平の見地(からの処罰、処遇、更生)から、背景や土壌となった国家や社会、加害者の生い立ち等々、吟味せざるを得ないものと考えます。
 
裁判所も、国家機関(三権の一)、その名の下に、判決を下し、執行する。多分、多くの裁判官も、法曹人(検察・弁護士)も、私が持ち出すまでもなく、課題を克服されて、現職にお留まりの事と思います。犯罪が、重大犯罪が繰り返されては成らない…仕方ない、と。この「仕方ない」という熟慮の部分こそ、裁判員裁判の当事者(国民)には、知りそして、検討して貰いたいものと考えるのです。

余談(憶測)です。浅慮な私には、(死刑の)刑場公開、しかも、間取り中心で、残虐さも傷みも感じさせない代物。…如何に、検察や裁判所が、これまで同様、(残虐な)絞首刑を護持しようとしているかが、見えるようです。
 
連想として、千葉法務大臣の死刑執行が思い起こされますが、死刑廃止論者の法相が、その意を曲げてまでも執行書に判をつくことと、この公開が取引されたような気がいたします。法務大臣の期待を裏切るようなやり方で実行した(強か)。単に、法務大臣と部下の検察との駆け引きだったのかどうかも疑わしい(重量級の閣僚にも存置派が?)。
 
そんな受け止めもありまして、冒頭の(私の)ブログを、その中の大島渚監督の『絞死刑』をご紹介しました。
 

※蛇足
 http://nikoryuu.blog18.fc2.com/
 今日のトピックス Blog
  http://nikoryuu.blog18.fc2.com/blog-entry-321.html
 >■今日のトピックス Blog: 同時代人・先人ののこす言葉(動画)集■から
  > ★死刑執行の聞きかじり 米国の例/日本の絞首刑 ※残虐な刑罰!だと思う
   http://nikoryuu.blog18.fc2.com/blog-entry-252.html
   今日のトピックス Blog: 9/9「汚染米」転用、農水省対応に批判/我々と目線が違う
   > You Tube: 絞首刑の解説ビデオ(グロ無し)(2008/04/28) ※残虐な刑罰!だと思う
 ● 良い仕事してますね。大島渚監督。
   http://www.youtube.com/verify_age?next_url=http%3A//www.youtube.com/watch%3Fv%3DnxNJ9w0p-Vo%26feature%3Dplayer_embedded

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
蔵龍隠士
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死刑執行施設の「公開」と「死刑制度」

2010-08-28 20:25:49 | 民主主義・人権
世事一般とはいささか趣の異なる「裁判・司法」の世界をについて、「死刑執行施設の公開」という現実を前にして、思うことのいくつかを書き込んでみたい。

まず最初は「公開」についてです。

「好奇心」というものは、「必要」と並び、人々の現在を未来の高みへと導いていく原動力であり、これある限り、未来永劫に人類の進歩・発展は約束されている、とすら申せましょう。しかし、世上見られる「好奇心」なるものの多くは、単なる下世話・覗き見の域を出ないものの方が遥かに多く、これまた、致し方のないことではあります。
 
今回、この施設を「公開」した側のコメントは、これを期に「死刑制度存廃論議の高まりを」とあります。だが、その意図と「施設の公開」との間にどのような結びつきがあるのか、これが理解できない。
 
死刑制度存廃とは脈絡のない「施設」です。わが国が採用している命を奪う方法は、見ようによっては一番残酷なものかもしれません。なぜ現行の方法を取り続けるのか。これを議論するのであれば、あるいは、必要なのかも知れません。でも、注射器や椅子を見なければ「議論」は出来ないなどと言い募る人は皆無でしょう。
 
下世話の好奇心を満足させるに過ぎない「公開」を決定した人の「人間としての総合力」を疑います。

さて、本題は「死刑制度」です。

この国の多くが「死刑制度存続」を支持しているとか。小生もその中の一人を選択するでしょう。しかし、です。これを取り巻く状況には、あまりにも多くのことが絡まりすぎて、ならば、ならばの条件付与が限りなく膨らみます。
 
単純明快、現行犯逮捕ならば異を唱える余地なしでしょうが、そこへ至った心理過程・その周辺についても掘り下げなければならぬ。それは真実すべてを捉えきったのか。物的証拠は完璧か。冤罪の可能性は徹底排除されたか。などなど、尽きることはないぐらいの課題がある。

そも、死刑の原型は、「かたき討ち」でしょう。「遺族感情」をどう扱うのか、これは「理屈を超越」した世界での問題です。明快に割り切れますか。

また、「刑罰」の意味するところとの問題です。いまは「教育刑」であり「応報刑」の立場ではないと理解していますが、「量刑」と「犯罪」との間を量る「物差し」はどうなっていますか。
 
「死刑」は、「教育・更生の見込みなし」として科されていますか。否でしょう。被害者が一人では死刑にはならぬ。この巷の声は、いつしかこの社会が、「犯罪」を「量」として捉えるようになってしまった証左なのでしょう。

考えることは、刑法全ての根源に立ち返ってなされなければならない。「施設の公開」などというナンセンスを起爆剤にしてするような「矮小」の入り込む余地などは、ハナからないのです。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
百山
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死刑場の公開について

2010-08-27 23:40:53 | 民主主義・人権
今日報道関係者に死刑場が初めて公開され、テレビや新聞で報道されていたが、千葉法務大臣の決断に賛否両論はあったとしても、誰もが裁判員に成る可能性があり、また死刑判決と向き合わざるを得ない立場に立たされることも有り得る現状下、否応なく死刑制度存廃問題を考えさせられるインパクトにはなりそうである。

今まで死刑場が極秘にされてきた理由の一つとして、死刑廃止反対派の公開反対もあったのではないかと想像される。今や世界の国連加盟国では死刑廃止国の方が圧倒的に多いのに、日本では80%以上の国民が死刑制度に賛成という。それには、これまで死刑の執行が闇に隠され、オープンにされてこなかったことも一因となっているのではなかろうか。

いずれにしろ今回の刑場公開で死刑制度賛成の比率が下がることはあっても、上がることは無いと思われる。一方裁判員予備軍として死刑執行という厳粛な場を見て、これを機会に死刑制度を考えることも重要であるが、将来犯罪の被害者になった場合も想定して見てみることも大切ではなかろうか。

そしてそこから、犯罪を個人の問題と矮小化するのではでなく、社会や行政には問題はないかとの意識に昇華され、死刑制度廃止に繋がれば幸いである。

「護憲+BBS」「裁判・司法行政ウォッチング」より
厚顔の美少年
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小沢起つべし!

2010-08-26 09:02:53 | 民主党政権
9月1日の民主党代表選告示まで、残すところあと数日となった。メディアは小沢前幹事長の一挙手一投足に戦々恐々としながら、一方では相も変わらず小沢氏のネガティブ情報を流布し、暗に菅首相の続投を支持しているように見える。

どうして小沢氏はメディアに嫌われ、菅首相はメディアに支持されるのであろうか。小沢氏は「国民生活第一」の衆議院選のマニフェストを断固堅持しようとしているのに対して、菅首相は経団連が提言している「消費税増税と企業減税」を打ち出して、メディアを含めた「旧政官業第一」の政策に転換して見せたからであろう。そうなれば、大手メディアも企業からのテレビコマーシャルや新聞広告の増加が期待できる。要は「国民生活第一」に向けて予算を重点配分しようとする小沢はメディアを含む旧政官業にとって邪魔であり、排除したいのである。

またメディアは、小沢は古い自民党的体質を引きずっていると批判するが、「国民生活第一」の政策こそが自民党的体質から脱皮している何よりの証である。「政治と金」の問題にしても、報告時期の遅れはあったとしても、まだ自民党の政治家よりしっかり政治資金規正法に従い報告されている。小沢の政策を批判しても小沢を追い落とすことは難しいから、世論操作に手っ取り早い「政治と金」の問題を、小沢追い落としの手段に最大限利用していることは明らかである。業界の利権優先のために行われている小沢パッシングに騙されてはならない。

一方の菅総理は、「国民生活第一」の政策を反故にしようとし、また無駄の削減より消費税増税と企業減税を優先させ、自民党の政策に迎合した結果、参議院選で惨敗し、与党を過半数割れに追い込み、国会をねじれさせた。その責任は重大であり、即刻辞任してしかるべきであった。しかし逆に居座ったがために、代表選挙迄の時間を持て余して居る間にレイムダックに陥り、円高デフレ政策にも何らタイミング良く手を打てていない。

昨日のロンドンの為替市場では1ドル=83円台に突入したと報じられているが、この間菅首相は日銀総裁とは会談もせず、電話連絡でお茶を濁し、具体策について無しのつぶてのままである。そしてその一方では代表選のため民主党の一年生議員との懇談にうつつを抜かしている。また野田財務大臣もテープの再生を聞いているように、毎回同じこことの繰り返しで無策無能ある。これでは為替市場に足下を見透かされ、円高に成らない方がおかしい。

更に菅首相が参議院選挙で掲げた「強い経済、強い財政、強い社会保障」も、選挙で惨敗した結果、消費税増税や企業減税も白紙撤回状態となり実質破綻したも同然である。今や菅内閣は頭脳が停止し手足である閣僚のみが勝手に動いている状態である。例え菅首相が代表に再選されたとしても、もう手遅れで回復は見込まれず、菅政策は手詰まり状態であることは明らかである。

参議院選後、菅首相は代表選を睨み、消費税増税と企業減税を取り下げ、「国民生活第一」の政策の実行へと変心しようとしているが、人の顔色や状況を見てこんなに主張がころころ変わる首相は信用出来ない。仮に菅首相が「強い経済、強い財政、強い社会保障」に代わる政策を打ち出せば、今度は野党からは十字砲火を浴びる。菅首相は24日の報道で自民党とのパーシャル連合も考えていると報じられているが、谷垣総裁は衆議院選挙のマニフェストの撤回が条件だと言っていたはずで、パーシャル連合など夢のまた夢であろう。くどいようだが、菅氏は参議院選敗北の責任を取って代表選出馬を見送るべきである。

それでも敢えて代表選に出馬するのであれば、今回の民主党代表選挙は「国民生活第一」の政策を進める人を選ぶのか、消費税増税と企業減税の導入をしようとしている菅氏を代表として選び、首相を続けさせるかの選挙となる。民主党は再度「国民生活第一」の政策を掲げ、再度連立政権を構築し、参議院のネジレを解消できる最適な人を菅首相の対抗馬に立てるべき時である。そうしないとネジレ国会のままでは「国民生活第一」の政策は向こう3年間で実現不可能であろう。これが実現可能な民主党の政治家は誰か、小沢一郎しか居ないであろう。

メディアは世論調査の結果として、民主党代表に小沢一郎は相応しくないと言っているが、今回の代表選挙は国民一般による選挙ではない。選挙権があるのは民主党国会議員と民主党党員とサポーターのみである。そして彼らは今回の参議院選挙は何のために惨敗したか一番身にしみて分かっている。そうでなくとも参議院選敗北の責任は誰が取るのかと思っている人も相当居るはずであり、その人達の票がどう動くかは言わずもがなである。今回小沢一郎にはまたとないチャンスであろう。

選挙の結果は水物であるが、小沢が勝てば圧勝、菅が勝てば辛勝であろう。しかし例え小沢氏が惜敗しようが、国会議員の得票数で菅首相を上回ることは確実であり、小沢氏にとっては戦わずに迎合するより、党内での発言力は今より遙かに強くなるはずである。そうなれば党内人事と内閣人事での影響も増大し、ひいてはメディアや経済界に支持されている菅首相の消費税増税と企業減税を一旦葬り去り、「国民生活第一」の民主党政治へ引き戻すことが出来る。

仮に菅首相が小沢氏は今回も黙って引っ込んでいてくれと言うようでは、次の臨時国会で法案一つ通せず、菅内閣は立ち往生し、総辞職に追い込まれることは必至で、いずれにしろ早晩小沢氏に出番が廻って来るであろう。しかしそれでは野党に追い込まれた状態での出番となり、今であれば組める連立もその時は組めないであろう。また検察審査会の結果も今後どう出るか分からない。そのことを考えれば今回が起つ絶好のチャンスである。「小沢氏よ、今、起つべし!」である。

「護憲+BBS」「政党ウォッチング」より
厚顔の美少年
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