斎藤幸平氏の「人新生の資本論」をここの所、読んでいる。
資本主義の世の中を上手に世渡りして行く上において、希少性を如何に上手に創出していくかが重要である、と述べられている。
特にコモンズ(市民が共同して管理し共同で利用する、例えば入会地や地域の水源等の共同財産的な物を指す)を、共同社会から奪い取り、そのものを希少性化させ、富みを産む形に変える術を、持てる財力と権力を使って実行している人々が存在しており、彼らが我が世の春を楽しんでいる、というのが今の資本主義社会の世の中の本質であり、問題点である、と斎藤氏はいう。
コモンズとは、ふんだんに存在するもの、例えば空気とか太陽の光とか水のような無償のものを指す言葉でもあり、氏は参加型社会主義という考えを提示し、市民による、例えば共同組合組織によるコモンズの復権・取り戻しが今後の市民の行動目標になるとしている。
オリンピック開催時の不祥事に絡んだ元電通マンが、自社にコモンズの名前を使用しているという。彼のやっていることは本来の意味のコモンズの反対のことのように思う。
以下にある新聞に投書を試みた文章を載せておきます。
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19世紀初めの政治家であり経済学者だったローダデール氏は、特定の個人や複数人の利益の拡大は、通常は大多数の人にとって潤沢に存在し皆の共有財産として管理し皆で利用しているものを、敢えて希少化することで生じさせた付加価値を奪う事により起こるものであり、大多数の人の利益の総和を結果として減少させる事態を生じさせるとした。
ここで潤沢に存在し大多数の人が皆で管理し利用している、例えば沼川や牧草地のような共有財産を、コモンズと称している。
産業革命及び大航海時代・植民地政策等を経て、西欧の資本家が世の中の仕組みを能動的に形作り始めた以降、古代・中世の世の中において大多数の人が生活基盤の拠り所としていたコモンズが、囲い込み運動等により、一方ではコモンズの減少消失に繋がり、もう一方では地域の生活基盤の弱体化で働き場所を都市に求めざるを得ない労働者の増大へと繋がって行き、資本家主義の世の中への流れが動かしがたい状況になった。そのキーワードがコモンズと言える。
先年のオリンピックの公式スポンサーの選定作業時の不透明な利権にかかわる捜査が進んでいる。元電通マンの会社名がコモンズという。上に述べたコモンズの歴史的意味合いから判断すると、彼の捉えている意味合いに大いに違和感を持つ。
彼にとっては、オリンピックは大多数の人が潤沢にアクセスでき参加できる行事だと捉えていたのではなく、飽くまでも希少化することで生じる利益を得るがためのものであったのだろう。コモンズ2なる会社まであったそうな。
「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
yo-chan