「しっ、静かに! 葬式の行列が君の側をとおってゆく。」(ロートレアモン :『マルドロールの歌:第五の歌』)
ロートレアモンの研究者出口裕弘氏によれば、
「『マルドロールの歌』には、いくつか、独特の調子というものがある。人間たちに向けられた絶対的な拒否も、その一つであろう。文学の世界で類例を求めれば、牢獄文学者サドしかみつからない絶対的な人間拒否が、『マルドロールの歌』の全篇をつらぬいている。(中略)サドは投獄という形で人間社会に拒絶され、完全に自由を剥奪された人間だから、人間に対する絶対的拒否という思想を組み立てたとしても不思議ではない。しかし、ロートレアモンは、別に投獄されたわけではないし、(中略)社会から「人外」の者として排除されるような目に遭ってはいない。」・・・『帝政パリと詩人たち』 より
と言う。
『絶対的な人間拒否』の思想がどこに行きついたのか、は分からない。何故なら、ロートレアモンは24歳で早世しているからである。
ただ、昨今の日本の状況を見ていると、ロートレアモンの『絶対的人間拒否』の思想にいくばくかの親近感を覚えるのは、私だけではないだろう。
出口氏がはしなくも書いている「人外の民」という概念。意外に日本人にはなじみが深い。民俗学者赤坂氏の指摘するように、平安時代から東北の人々は、それこそ蝦夷と呼ばれ差別され続けた。この歴史的遺伝子は、東北大震災の復興や福島原発事故における福島県民の扱いに継続されているのではないか、と思える。沖縄の人々の扱いも「人外の民」そのものの扱いである。
江戸時代、士農工商という身分制度があり、その外に「人外の民」がいた。いわゆる「エタ」「」である。さらに加えれば、芸能の民、漂海民、「サンカ」や「マタギ」などもその中に入るだろう。これらの人々は、「人外の民」とされ、差別や迫害の対象にされた。この差別意識は、日本社会の基底部で第二次大戦まで続いたといって過言ではない。
戦後、人権意識の伸長とともに、このような思想は「悪」とされ、あからさまな差別は少なくなった。ところが、いわゆる「新自由主義的」経済思想の進展とともに、人間を能力と経済合理性のみによって評価するあからさまな差別・選別思想が顕在化した。簡単に言えば、経済合理性に貢献できない人間は全て役立たずで、社会の厄介者と言うわけである。
小泉政権下、大音声で語られた「頑張るものが報われる社会」。これは裏を返せば、経済合理性にそぐわない人間は、「頑張らない」人間で、「報われなくても仕方がない」という事を意味している。
これ以降、片山さつきのように、生活保護を受ける人間を社会のお荷物として指弾したり、社会福祉を「自己責任」のスローガンとともに、経済合理性に反するものとして、軽減し、軽視する傾向が大きくなった。
たとえば、元アナウンサーの長谷川豊などは、自らのブログで書いた「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!
http://megalodon.jp/2016-0920-1710-28/blogos.com/outline/191041/
と書き、大炎上をしている。
さらに、高齢化社会の進行は、社会全体の活力を失わせ、社会的コストを増大させる。これを阻止するために、世代間格差をことさら強調し、若い世代が年金を積極的に払うモチベーションを失わせている。互助共助の精神を育むより、自分さえよければ良いという利己主義精神を助長している。
ファッショ社会とは、このような差別・選別意識に依拠して進展する。安倍政権誕生以降、日本政治がファシズム傾向を強めるにつれ、日本社会全体に差別・選別思想が蔓延し始めた。
以前書いた事があるが、30年以上前、米国でこれからの社会に必要な人間は、知能指数125以上と知能指数75以下の人間だという研究があった。つまり、コンピュータを使いこなせる人間と文句を言わずに黙々と肉体労働をする人間しかいらない、という話である。125~75の人間は、文句ばかり言うので役に立たないという結論だった。
これで計算すると、本当に必要なのは、知能指数125以上。つまり、約1%の人間だけという結論になる。現在、米国社会やEUなどで顕在化している1%対99%の萌芽がこのあたりから見えていた。
この思想の特徴は、人間の能力を計測可能な能力に限定し、それを計測し、人間を区別するところにある。この思想には、過去の哲学が考えたような、トータルな人間像を考え、人間は不可思議なもので、それこそ測定不可能な存在だと言う認識はない。ここから導き出されるのは、新しく姿を変えた「差別思想」だけである。
今の日本社会。本人が認識しているかどうかは別にして、この差別・選別思想(新自由主義的思想)に起因した考え方の下、過去の「人外の民」とされた人々と変わらない立場に置かれた人々が多数存在する。
その人々が、自分自身の置かれた立場を深く考察し、深く認識したならば、ロートレアモンのように、『絶対的な人間拒否』の思想に行き着いても不思議はない。
ただ、ロートレアモンには、「絶望の淵を旋回して絶顛(ぜってん)に向かっていく。これはポーにもボードレールにもできなかったことである。」(松岡正剛:読書千夜千冊)
http://1000ya.isis.ne.jp/0680.html
という思索の深さがあり、単純に『絶対的人間拒否』思想とは割り切れない。
それはさておき、最近、日本で頻発している多くの事件の犯人たちは、過去の殺人事件の犯人たちとは明らかに性質を異にしているように見える。最近の犯人たちの理解の鍵は、どうやらロートレアモン風の『絶体的な人間拒否』の思想にあると思えてならない。犯人たちは自覚していないだろうが、彼らは「人間」そのものを認めていないと思える。
蔵龍隠士さんが、コラムで指摘されている「知的障害者施設襲撃、相模原事件」の調査分析の、一見科学的に見えて、政治的意図に満ち満ちていて、その非人間的な事。人間を細かく切り刻んで測定可能な領域に限定して分析する新自由主義的科学主義の限界が示されている。
このような分析で解析できるほど、この犯人(人間のと言っても良い)の精神状況は単純ではない。彼ら分析者には、ロートレアモンの『絶対的な人間拒否』の心性など理解の外にあるに違いない。
彼らが犯罪に手を染めるまでの心理的道程の底にある「差別的視線の痛さ」など、ほとんど理解できていない。差別的視線の先にいる見られている人間の心の痛さなど、当事者でなければなかなか理解できない。
この世は、このように理解できない人間同士が、何とか分かり合おうと努力し、自分の思いを何とか相手に伝えようと言葉を工夫し、その言葉から相手の思いを何とか理解しようと想像力を駆使する人たちの努力で、何とか社会を維持している。そこには、「人間は分からない。人間は永遠の謎だ」という大前提が共有されている。だからこそ、人間は面白い。これが優れて人間的営みである全ての芸術の出発点でもある。
犯罪の分からなさの増大は、社会の分からなさ(了解不能)の増大とパラレルな関係にある。犯罪はその意味で社会の鏡である。
昨日もNYでテロが起きていた。テロの増大は、米国から『人外の国:人外の民』として攻撃を受け、理不尽な暴力で根底から生活を破壊され、家族・親族・友人・知人を失った国々や人々の増大と恨みを抜きにしては、説明できない。私流にいうならば、テロリストたちは、『絶対的な人間拒否』の思想を貫き通していると思う。
米国や欧州各国の行為が本当に正当であり、本当に正義に満ちていたなら、これほどテロが増大する訳がない。テロとの戦いを標榜してアフガン戦争・イラク戦争に突入したブッシュ政権の政策は、きちんと検証されるべきであろう。
翻って日本の現状を考えよう。
「腐敗千里を走る」でも指摘したが、現在の日本支配層の人間の劣化は、底なし沼に入り込んだようで、歯止めがない。十年遅れで顕在化した世紀末的な人間の劣化現象は、日本社会の衰退を象徴している。
経済学者金子勝氏の指摘から、この衰退現象を列挙してみよう。
日本は衰退の事象に満ちている。:金子勝氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/20772.html
2016/9/20 晴耕雨読
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①甘利のあからさまな不正も追及できず、原子力村に取り込まれ、きちんとした原発報道も出来なくて、報道機関として完全崩壊したメディア
②甘利の明白な犯罪すら追及できない東京地検。数々の企業不正も追及できない。おまけに国に追従するしか能の無い司法機関の衰退。
③2016年3月末に日銀保有が国債の3分の1を超え、増加を続ける。 FRBの国債保有は279兆円で12.8%。 ECBは33%という上限を設け、日銀だけが損失を貯め、ジャブジャブの財政ファイナンスを続けている。
④科学技術と産業競争力の衰退。
⑤東電、東芝、旭化成建材、東洋ゴム、理研などねつ造、不正が当たり前になってきた。
⑥安倍政権になって、財政赤字の対GDPは拡大し続けている。 いまや、2.48倍で、ギリシャの1.78倍をはるかに上回る。
⑦格差社会は命と健康の格差:
https://goo.gl/OfkeFb
この問題は編著『社会はどう壊れていて、いかに取り戻すのか』で伊東俊彦氏が「格差社会は健康に悪い」で取り上げている。
https://t.co/ihKQ9few8U
⑧特高警察復活?:安倍首相側近は、経産の原発推進・今井尚哉秘書官と「官邸のアイヒマン」北村滋内閣調査官。 氏は特高に無批判で、特定秘密保護法を推進し、内調―公安ラインで次々とスキャンダル情報を出しているという。
⑨利益相反も当たり前に:閣僚の資産公開で、今村雅弘復興相が東電の株を8千株所有、稲田朋美防衛相の夫が、14年9月以降の約2年間で、新たに取得した9銘柄のうち5銘柄が防衛関連株(三菱重工など)だった。
⑩民進党幹事長に野田佳彦氏が就任。民主党政権崩壊の責任はほっかむり。民進党崩壊も視野に入る。・・・・・
これはほんの一部。今メディアを賑わせている豊洲市場移転問題でも、一体全体誰が指示を出し、誰が責任を持って決定したのかすら分からない。戦後丸山真男が、「上から下までの無責任体制」と戦争体制を総括していたが、まさにこの「無責任体制」が現在の日本に亡霊のようによみがえっている。
そんな中、あれだけの事故を起こした東電の廃炉費用を国民負担にする、という案が浮上している。以前にも指摘したが、あの福一の事故で東電幹部は誰ひとり刑事訴追を受けていない。当時の幹部連中は退職金を受け取り、それぞれ関係企業へ天下り、第二の人生を優雅に送っている。
それに比べ、何の罪もない福島県民は、故郷を追われ、生活基盤を失わされ、放射能による健康被害の心配をし、いまだ精神的流浪の生活を余儀なくされている。子供たちの甲状腺がんの増加に対して、きちんと検査するから甲状腺がんが増加する。だから、検診を減らせばよい、という福島の小児学会の意見は、一体何なのか。お前さんたちは本当に医者なのか、という話である。
この東電と福島県民の彼我の差こそ、今の日本の支配層の思想の象徴である。まさに、精神的劣化・腐敗そのものである。これで健全な社会が保てるわけがない。
これだけ社会の劣化・腐敗が深刻になると、必ず人間の腐敗が深刻になる。まして、人間を人間として扱わず、ただの機械の一部・物の一部としてしか扱わない労働環境が普通になると、秋葉原での無差別殺人事件のような了解不能な犯罪が頻発してくる。
かって「労働疎外」などと言う言葉が語られたが、今や「労働疎外」などと言う言葉は、牧歌的過ぎる。オーウェル的に言うならば、「人間総家畜化」の時代の到来である。
このような社会に生きる多感な若者たちが、『絶対的人間拒否』の思想に傾いたとしても誰にも責められない。わたしが『日本終焉』を案ずる最大の理由である。
手段はただ一つ。彼らが生きる社会を、人間を信じられる社会に再生させることしかない。現在の政治運動・社会運動の喫緊の課題である。
「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水