老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

民主党解党論

2015-10-31 16:53:41 | 民主党
ぬえのような民主党」論でも指摘したように、民主党の政治センスの無さはどうしようもない。民主党指導部連中の知的・精神的・構造的欠陥とでも言う他はない。

権力闘争を旨とする政党間の闘いは、それこそ組織や組織に属する人間、それを支持する人間などの全ての力を結集した、死ぬか、生きるか、食うか、食われるか、の闘いである。現代は、民主主義の世の中。命までは取られないが、闘いの本質は戦国時代も今も変わらない。まず、その事を肝に銘じなければならない。

ラグビー論でも指摘したが、その戦いに勝利するためには、日常の準備が全てを決する。その日常の準備を決するのが、組織や支持者を結集できる『理念』『哲学』である。『理念』『哲学』がなく、現状維持志向や既得権益擁護に堕した政党・組織は、必ず衰退する。さらに、その『理念』『哲学』を実現できる具体的方策、プロセスの提示が、欠かせない。その為には、『理念』『哲学』を日常性、具体性に具現化する思考と、日常性・具体性から『理念』『哲学』に昇華し、『理念』『哲学』を磨きあげる過程が欠かせない。

今回のワールドカップラグビーでの日本チームの活躍は、日本中を沸かしたが、結果だけを見て一喜一憂しているようでは、本当の意味での教訓など引き出せない。

エディ・ジョーンズHCの凄さは、その『理念』『哲学』にある。彼は、世界中のラグビーが身体が大きく、フィジカルが強く、力で勝負する傾向にある事に異を唱えた。身体が小さくて、力が弱くても、試合に勝てるチームを作り上げようと考えた。それが、いわゆる『ジャパンウェイ』(日本流)ラグビーを作り上げるという理念である。

彼自身も外人にしては身体も小さい。彼のラグビー人生は、「大きな奴に負けてたまるか」という信念に貫かれていた。日本選手は、そのような彼の信念にぴったりのチームだった。

彼は日本人の特性を生かせば、『ジャパンウェイ』は可能である、と考えた。彼が考える日本人の特性は、忍耐力(我慢)に優れ、動きが俊敏で小回りが効く。組織(集団)のために我が身を犠牲にする自己犠牲の精神に優れている。このような日本人選手の特性を生かした練習メニューを作り、彼の言葉でいえば、世界一の練習『ハードワーク』を行った。エディは、他国の選手は、こんな練習には耐えられない、という。

前のラグビー論でも書いたが、いわゆる4Hの練習である。『低く』『速く』『激しく』『走り勝つ』練習を4年間行った。さらに、日本選手が弱いフィジカル・トレーニングを徹底して行い、弱点の克服を行った。年間150日を超える合宿を行い、朝の5時から、一日3回ないし4回の練習を行い、徹底的に選手を鍛え上げた。

そして、その練習法も、世界最高峰のフィジカルコーチ、スクラムコーチ、ディフェンス・コーチ、メンタル・コーチ等などを招集。一切の妥協なく、最高のレベルの練習を行った。さらに、世界のトップテンに追いつくための具体的ステップ(練習試合の相手など)を作成し、その中での分析を徹底し、『理念』『哲学』を磨き、修正などを行ってきた。

もう一つ、決して忘れてならないのは、このような苛酷な練習に選手一人一人が自ら取り組んだ、という事実である。つまり、選手一人一人の意識改革にエディ・ジョーンズは成功したのだろう。彼が『出る杭は打たれる、という意識が日本選手にあった』と語っている。その『集団主義』の負の側面を改革する事に腐心した、と述べている。

今回のラグビーの勝利は、一朝一夕に出来たものではない。このような選手一人一人の意識改革を含め、4年間にわたるたゆまぬ努力の結集が今回の結果をもたらしたのである。

翻って民主党を見て見よう。一体全体、民主党は、何を目指しているのか、さっぱり見えない。その時々では、良い事も言うのだが、長続きしない。政権を取った時には、『国民の生活が第一』という分かりやすく、明確な『理念』『哲学』があった。その『理念』『哲学』を自らおろしたのなら、それに代わる『理念』『哲学』を提示しなければ、政党としての鼎の軽重が問われる。

『理念』『哲学』があやふやなのだから、当然ながらそれを実現する具体的方策・プロセスなどもいい加減。そうなると、組織・政党に対する忠誠心も信頼感も失われる。当然だが、組織の指導者に対する信頼感もない。ラグビーの日本チームが4年間に多くの事を犠牲にして行ってきた自己鍛錬も自己改革も、現在の民主党政治家や民主党員には、見られない。

現在の指導者連中が分かっていないのは、自己鍛錬や自己犠牲の精神を忘却した政党や政治家からは、自らの過ちを修正するアイディアも自己改革の意識も全くなくなるという事。そんな無駄な事にエネルギーを使うぐらいなら、自らが生き延びる事だけを考えた方がまし、という思考に傾斜する。組織やその構成員の退廃が組織を殺すのである。

スポーツの世界は、実力が全て。そんな退廃的な組織や選手が勝てるわけがない。だから、時折、エディ・ジョーンズのような革命的指導者が出る。ただ、スポーツの世界は、勝敗が全ての傾向が強いので、エディのような革命的指導者も評価される機会が多い。

ところが、政治の世界は、そう簡単ではない。ねたみ・そねみ・嫉妬・憎悪・恨み・つらみなど、人間のあらゆる感情が渦を巻いている世界。そう簡単に人を評価しない。能力がないくせに目立ちたがりの人間ほど、この種の感情が激しい。小沢を潰した一因にこの種の感情があった、と言わざるを得ない。

以前、わたしは、小沢一郎を『革命家』として評価した。その『評価』は現在も有効だと考えている。さらに、『日本国民は、いずれ、小沢を失った事を深刻に後悔するだろう』とも書いた。その評価も修正する必要はなさそうである。

わたしが民主党解党論を唱えるのは、現在の民主党には、エディ・ジョーンズのような革命的リーダーが必要だと考えているからである。自党の政治家や組織の退廃に目をつぶるようなリーダーに『食うか食われるか』の闘いが勝ちぬけるわけがない。明確な『理念』も『哲学』もないリーダーに、組織を立て直し、鍛えなおす具体的方策や手法が生み出せる訳がない。

今や民主党は、『坐して死を待つ』政党になり下がってしまった。それくらいなら、解党をして、出直した方が百倍もマシである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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ぬえのような民主党

2015-10-30 10:58:45 | 民主党
国民戦線構築を呼び掛けた共産党の志位委員長の政治判断は、ついに共産党も【権力奪取】に舵を切った、という事だと思う。

これまで共産党は、【権力奪取】より、自らが判断する【正義】の表明に重きを置いていた。その理想の可否はさておき、政治姿勢つぃては、常に理想主義的だった。同時に、社会主義革命路線の古めかしい理論=前衛政党理論(神話といっても良い)に縛られていた。そのため、共産党の政治的活動は、常に現実政治の動きとはどこかしらずれていた。(乖離していたといって良い。)

しかし、正義を求める政治は、常にその反対者(不正義)を排除する政治と裏表の関係にある。社会主義国での政敵の排除の苛烈さは、歴史の教訓である。これを突き詰めると、独裁政治に通じる。愚かな国民の意見など聞く必要はない。優秀な人間が正しい政策を立案し、実行する。これが、国民の幸せだという事になる。

ところが、その優秀な人間が間違ったらどうなる。独裁政治を打倒するためには長い時間が必要であり、多くの人間の血が流される。国民の生活は、悲惨を極める。

人類のこういう経験から生み出された民主主義は、【正義を実現する政治】ではない。【利害の調整】である(田中良昭)

今回の志位委員長の提案は、共産党も【利害の調整】政治に舵を切った、という事である。【利害の調整】政治を行うためには、【権力】を握らなければならない。つまり、共産党も権力奪取を狙う普通の政党になると宣言したのだ。

これは画期的な事である。いずれ、この決定の歴史的意義が語られる日がくるに違いない。

共産党のこの方針転換には、沖縄県知事選、衆議院選挙や、岩手知事選などの経験がある。同時に、安倍ファッショ政権の暴走が、もはや看過できない危険性を持っていると判断したのだろう。

この種の政治的嗅覚・政治的感性を持っていない政党や政治家は、消え去る運命にある。

・民主・岡田氏、連立構想撤回を 共産との選挙協力で
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015102801001984.html
 2015年10月28日 23時22分 東京新聞

・・・ 民主党の岡田克也代表は28日、さいたま市で講演し、来年夏に実施される参院選での共産党との選挙協力をめぐり、共産党が安全保障関連法廃止を目的とした暫定的な連立政権構想を撤回することが前提になるとの考えを示した。「参院選は政府をつくる選挙ではない。政権を共にするという前提を外してもらわないと話は進まず、条件は不要だ」と述べた。
 連立政権構想については「非常に無理がある。安全保障など基本政策が違う政党が一緒になっても、強力な政権とは言えない」と指摘した。
 枝野幸男幹事長も28日の会見で「理念や政策、政治手法を相当共有できなければ、政権は共に担えない」と語った。
(共同)・・・・・

なんともはや、このピンボケぶりには、あきれ果てる。共産党の国民戦線構築提案は、きわめて単純明快。憲法違反である安保法制=戦争法を撤廃して、立憲主義の基本を再確認しようという話。基本政策の違いは、ひとまず棚に置いて、まず安倍暴走政権を倒す事に一致結束して、共闘しようという話だ。

それに対して、安保法制の意見の相違などと御託を並べること自体が、ピンボケ。宮城市議選の結果を見れば一目瞭然だが、自分たちで政権を取れる見通しも力量も展望もない民主党が、何が政策の一致だよ。「寝言は寝てから言え」という話だ。

まして、安倍政権が右寄りになったから、空いた保守層の真ん中を狙うなどというセリフは、政治音痴そのもの。理屈では成立するかもしれないが、政治の世界では決して成立しない。世間の常識では、こういう姿勢を【ぬえ】のような奴という。

政治の世界では、多少の軋轢は覚悟の上で、共産党の提案に積極的に乗るべきだ。【国民戦線構築】が現実のものになり、候補者調整が進むと、まず自民党内部の亀裂が明らかになる可能性が高い。彼らとて馬鹿ではない。安倍内閣の極右姿勢独裁的体質やTPPなどの売国政策。これらに対する反対の声が大きくなり、それに対する投票目標が明確になると、自民党内部でも「このままではヤバい」という声が大きくなる。

つまり、政治的流動性を引き起こせる可能性が高い。これは現在の「一強多弱」の政治状況を変える可能性が高いのである。

この「千載一遇」のチャンスをみすみす逃す民主党幹部連中は、国民にとって【百害あって一利なし】の存在といわねばならない。現在民主党内部の内訳は、リベラル派50人、中間派50人、保守系25人といわれている。そろそろ国民戦線参加希望者は、このようなぬえのような幹部を見限って、党を割る覚悟を決める時が来ていると思う。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
流水
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民主党、「権力の暴走を許さない。その先頭に立つ」というのなら

2015-10-27 05:30:28 | 民主党
安倍政権による確信犯的な「憲法無視」、「国会軽視」の中で、「安保関連法案」が強行採決されると直ぐに、共産党の志位委員長から「安倍政権を本気で倒して野党の連立政権を作ろう」という呼び掛けがあった。法案審議中に連日国会前に集まった人々の中に入って、人々の怒りを共有した野党党首の的確な判断であり、本気度の表れだと思う。その判断を多とし、歓迎したいと思う。

一方で、ボールを投げられた形になった民主党の反応の、対照的な鈍さが気に掛かる。法案成立の前には、共産党議員らと共に、民主党議員達も次々に人々の前に立って「共に闘う」ことを熱く語っていたのに、あの熱意はどこにいってしまったのだろうか。

過日、民主党の内情に詳しい方の話を伺ったのだが、それによれば来年の参院選で民主・共産が選挙協力・候補者調整をしたとしても、参議院で両党合わせて1/3以上の議席を獲得するのは、そう簡単なことではないとのことだった。(詳細は「志村建世のブログ」http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55662691.html参照。)

選挙協力は当然やるべきだし、やるだろうが、問題は、複数の民主党議員から「共産党との協働」にあからさまな拒否反応が示されていることだ。支持者の「共産党へのアレルギー」がその理由だとも聞くが、この間の安倍政権の暴走に強い危機感を持った「生活保守」の人々が、今や共産党に強い期待を寄せているという現実をきちんと受け止めた上での判断だろうか。

国会前を埋め尽くす人々の後押しを受けて、国会内で、立憲主義を説き、政府の勇み足や論理矛盾を指摘し、熱い論戦を繰り広げた野党議員たちの真剣さは、党の垣根を越えたものではなかったのか。

民主党内には、例えば松下政経塾出身のグループなど経済最優先の人たちがいる。最大の支援団体・連合の中に電力労連など原発推進の団体がある。

例えば、民主党政権時代に、沖縄の辺野古基地建設やむなしの判断をしてしまったという過去の経緯がある。例えば、「政治とカネ」問題を巡って小沢一郎氏と袂を分かった事実がある。

こうした現在と過去のしがらみの中で判断する難しさが、今の「優柔不断」とも思える民主党執行部の反応の遅さに繋がっているようにも思える。

多様性の尊重、一貫性の拘り、潔白性の追及など、それ自体は人間としてあるべき姿勢かもしれない。しかし、闘いに勝つことを求められている政党にとって、それは内向きの脆弱さとなり、それが結果的にかつて民主党支持者の多くを失望させ、現在多くの「支持政党なし」層を生んでいるのではなかったか。

民主党のHPトップには、「権力の暴走を許さない。その先頭に立つ」とある。更に、『我が党は、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つ。同時に未来への責任を果たすため、既得権や癒着の構造と闘う改革政党である。』との宣言も記されている。

野党第一党として、これからも「先頭に立つ」意思があるのなら、民主党政権時代の判断を徹底的に見直し、失敗や誤りは反省・謝罪し、その一方で、自民党との決定的な違いと、絶対に譲れない理念を明確にし、徹底的な建て直しを図ることが急務である。

その上で、安倍政権が暴走し日本をとんでもない方向に向かわせつつある今、「先頭に立つ」ためには、日々の政治活動の中で迅速・的確に判断することが不可欠である。

岡田代表を始めとする民主党執行部の人たちには、大胆で迅速な決断と、それを党内に徹底させるリーダーシップを強く求めたい。

「護憲+コラム」より
笹井明子
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維新の泥仕合

2015-10-23 21:46:08 | 政治
維新の泥仕合は見るに堪えない。政治の世界では、政党の離合集散は日常茶飯事。しかし、分裂するにしても、それなりの大義名分と節度が必要だ。そのどちらも見えず、政党交付金配分を巡る争いにしか見えないのだから、外部から見れば、品性下劣、ただ醜いだけだ。

衆目の一致するところ、今回の分裂劇は、橋下、松井が仕掛けた。大阪都構想が住民投票で敗北したのが、きっかけ。橋下の政界引退宣言。通常、引退を宣言した政治家は、政治的発言をできるだけ控え、晩節を全うすべく日常の仕事に精励する。橋下の場合、さしずめ、大阪市長の仕事を任期一杯誠心誠意努めれば良い。そうすれば、自らの政治的信念が否決された政治家が潔く政界を去るという出処進退の潔さだけが際立ち、評価が急上昇したであろう。まあ、それだけ権力亡者の政治家が多く、意地汚さだけが際立つ世相だと言う事だ。

「虎は死して皮残す。人は死して名を残す」。その千歳一隅の機会を橋下は逸した。出来るだけ好意的に解釈すれば、大阪維新の政治家どもは、橋下頼みで、橋下は彼らの懇願に負けたという事。しかし、どうやらそれは、好意的過ぎる解釈のようだ。

弁護士郷原信郎氏が、松野氏側から依頼されて、大阪維新側特に橋下氏の言い分を法的に詳細に検討した文章が公表された。
『法律意見書』
https://ishinnotoh.jp/activity/news/2015/data/151021_iken.pdf

そして、その「法律意見書」作成の経緯、橋下氏に対する感想を以下の文章で明らかにしている。
「弁護士たる政治家」としての橋下徹氏への疑問
https://nobuogohara.wordpress.com/2015/10/21/%E3%80%8C%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%81%9F%E3%82%8B%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9%E6%B0%8F%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%96%91%E5%95%8F/

詳細は、上記の文章を読んでいただくとして、わたしが感銘を受けた一文があったので紹介しておく。

橋下氏の、監獄法に関する最高裁判例を憲法41条に結び付ける論理の飛躍、強引さなどを厳しく指摘したうえで、以下のように書く。

・・「橋下氏の論理は、幾重にも飛躍しており、凡そ法的な論理になっているとは言い難い。 このように、適切とは言い難い法律専門用語や、一般人には容易にアクセスできない判例などを持ち出して、自論の根拠づけとなるかのように見せるやり方は、『弁護士たる政治家』として厳に慎むべきだと思う。弁護士としての法的素養や実務能力は、そのようなことのために与えられたのではない。

検事時代の経験だが、レスリング・ボクサー等のプロ選手が、その技を一般人に使った場合には、「凶器使用」と同等の厳しい量刑で求刑するのが通例だった。プロは、プロスポーツで培った技能を、プロ相手に使うべきであって、一般人に危害を加える方向で使うことは許されない。弁護士も、その技能を政治の分野で、非弁護士の政治家や国民を欺く方向で使ってはならないのである。」・・

この郷原氏の指摘は、きわめて重要である。橋下氏の他者を見下した傲岸不遜な態度、強引な論法や論旨の飛躍、これらは心ある弁護士は、強い拒否感を持っている。橋下氏のような論法は、弁護士の 賤称である『三百代言』そのものであり、軽蔑はされても、決して尊敬は勝ち取れない。今回の騒動はさらに性質(タチ)が悪い。

以下のブログを見てほしい。どう考えても、世間一般では、こういうのを【横領】とか【詐欺】と呼ぶ。
【公開詐欺?横領?】大阪組が松野頼久代表を申請者にして、維新の党の政党交付金を受領してしまう(10/20)。
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/7818
2015/10/21 健康になるためのブログ

さらに、橋下氏の大阪都構想の最大の反対者の一人である藤井聡京大教授をTVに出さないようにTV局を圧力をかけたり、あまつさえ、日刊ゲンダイによると、藤井教授のメールを公開したようである。橋下維新にメール公開された藤井教授 「やり方に恐怖覚える」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/167420
2015年10月23日 日刊ゲンダイ

TV局に圧力をかけるため、BPOに訴えたりする。・・・・大阪維新のBPO申し立ては異常だ! 藤井聡のテレビ出演がダメなら橋下支持の辛坊治郎とたむけんはどうなる?
http://lite-ra.com/2015/10/post-1608.html
2015.10.21. リテラ

ここまで来ると、もはや橋下氏をはじめ、維新の連中は狂っているとしか思えない。権力闘争か何か知らないが、こういう連中に関わって泥仕合に持ち込まれた人間は可哀想としか言えない。

このような感性の持ち主が、安倍首相や菅官房長官ときわめて親しく、今回の騒動も官邸とかなり打ち合わせ済みだろうと想定できる。つまり、安倍政治の有力な反対野党である維新が、これでボロボロになったという話である。

政治というものは、こういう醜悪なものだと言う事をよくよく頭に入れておかなければならない。汚物がそのまま垂れ流されているような醜悪な世界が政治の現実であろう。この丸出しの醜悪さが、維新の党の正体だし、同時に、彼らを評価し、支援している安倍政治の正体でもある。反吐がでるような世界だが、日本の現実の権力の正体とはこのようなものである。

こういう剥き出しの権力の行使に、メディアは弱い。現在のメディアの委縮・自主規制から始まり、世論操作のプロパガンダに至っているのは、腐臭に満ちているが、現実に自らの存在を抹消しかねない権力の行使におびえているのだろう。

このようなドロドロの力の行使が罷り通る政治の世界では、多少の汚れを厭っていては、生きていけない。汚れも恐れず、強かに抵抗しなければ、かえって潰される。真の意味で民衆のためになる政治家とは、『泥沼に生きる覚悟を持ち、しかし、泥沼に咲く一輪の蓮の覚悟を忘れない』政治家であろう。この視点から政治家の真贋を見極めなければならない、と思う。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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外交上手と外交音痴

2015-10-22 10:18:39 | 安全・外交
中国の習近平主席が英国で大歓迎を受けている。高齢のエリザベス女王が習主席と一緒に馬車に乗る姿が世界中に配信された。ドイツ・フランスもこれに追随すると報道されている。

習主席は五兆円にもなんなんとする大型投資を持ちこむ。イギリスキャメロン政権は、財政不足で遅れがちなインフラ整備を行う。その為に、米国の制止を振り切り、AIIB 加入に最初に手を挙げる。中国は中国で、世界金融市場の中心であるシテイを持つ英国に、元の国際的地位の向上に助力してもらおうとしている。

中国は、世界最大の消費市場を持っている。ロンドンのシティがこれに目をつけない訳がない。同様にベルリン・パリも目をつけている。パリ市場での中国の爆買いは、日本のそれを上回る。ロンドンも同様である。当然ながら、旺盛な購買意欲に燃える中国の中間層に感謝している。理の当然として、中国政府と密接な関係を築こうとしている。子供にも分かる理屈である。今回の習主席への歓待は、合理主義の国英国や欧州の国からすれば、自然の行為に過ぎない。

難民問題で苦闘している欧州は、テロの生産国米国の傲慢な姿勢に辟易している。今でも『決して謝らない国米国』は健在である。その為、徐々にではあるが、米国に距離を置き始めている。

ロシア参戦以来、シリア情勢の劇的変化は、米国の二枚舌外交政策(ISを影で支援しながら、IS攻撃をする)を白日の下にさらした。今では、イラク議会までが、ロシアに爆撃依頼を要請しようかという情況である。中東での米国の影響力が劇的に下がっている。イスラエルのネタニエフ政権すらロシアとの関係を強化している。このように米国の覇権力の低下は、世界中の米国離れを引き起こしている。

このように、孤立する米国にすり寄り、ちぎれるほどに尻尾を振る国は、日本だけである。

安倍内閣は、中国敵視の改憲軍事拡大路線に舵を切り、戦争神社である靖国参拝に狂奔する極右内閣である。安倍本人は、世界が支持してくれているなどと逆上せているが、現実には世界から危険視されている政権である。

体制翼賛メディアはあまり報道しないが、安倍晋三のNY訪問を国連事務総長は相手にしなかった。もちろん、中国は当然。米国オバマ大統領も顔をそむけ、会おうともしなかった。

それでも安倍は懲りない。外交日程がタイトだという理由で、臨時国会を開かないで、中国の北方諸国を回り、中国包囲網を築こうとしている。もはや、完全に狂っているとしか思えない。

それに引き換え、習主席やエリザベス女王の外交は、21世紀という時代の先を見通し、国家の生存を賭け、国家の運命を一身に背負った指導者としての真摯さと覚悟が映像から伝わってくる。この彼我の差に、日本と言う国の未来が見えている。

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
流水
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紅葉と温泉の中で

2015-10-21 11:52:55 | 戦争・平和
群馬、長野から昨夜戻って来た。彼の地は丁度紅葉の真っ盛り、山も木々も真紅、黄金色に染まり、快晴の空に美しく映えていた。そして温泉、日本に生まれた幸せをつくづく感じた二日間だった。

考えてみると「温泉」とは不思議な施設である。見ず知らずの他人が風呂というプライベートな空間で何人も時には何十人も集う。その場で会話が始まり情報交換などしたりする。

他のアジアの国は知らないが、西洋では温泉施設はあってもバーディゾーン等と言って水着着用の場所ならあるという。文字通り「裸の付き合い」は我が国特有の文化なのだろうか。

戦前の国民もそれなりに、紅葉や温泉をより身近な場所で楽しんだ人達もいたのだろう。日々の労働から解放されて心地よい時間を過ごし平和な暮らしが永遠に続くと思っていた人達もいたのだろう。例え戦争の足音が遠くで聞こえ、兵隊さん達が何人か亡くなったりしていたとしてもそれは「名誉の戦士」であり「国」という共同体を守るためにはいた仕方な無いこと、と思い込まされていたのだろう。「それしか考え方が無かった」と戦中戦後を過ごした方に聞いた事がある。

その当時の国民の多くはその「遠くで起きている戦争」が日本人も含めアジアの何百万人の人達の命や財産や自由を奪う「戦争」に繋がっているとは想像してもいなかったのだろう。

戦後の日本も70年の時を経て「八紘一宇」とかの言葉が埃を叩いて甦って来たり、「一億総活躍」等という怪しい言葉を時の政権が唱えたりしている。温泉に浸かり紅葉をボーッと楽しんでいる内に茹でガエルのように茹で上げられて、お金も命も自由も喰らい尽くされないように気を付けなければ。

平和も自由もボーッとしていては護れない。声を上げる時は上げて、行動する時には行動し、情報を集め、例えば「安保法案なんて難しくて分からないかれど、何となく不安」という人達に伝えて行こう。貴方と私の自由も平和も正に今、少しづつ壊されようしている状況を。それを伝えるにはどんな手段を使ったら良いのか悩み所ではあるけれど。

貴方と私の暮らしの中にある言葉を使い何か出来ることはないかと考えた、私の二日間だった。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
パンドラ
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高齢化社会に伴う自治会の内的矛盾の狭間で、<安保法制ストップ>を思う

2015-10-21 10:05:43 | 暮らし
私の住むまちの人口は4万3千余で、有権者3万6千5百余の小市ですが、明治日本の近代化にとってのエネルギー源である石炭と水源の供給の地でもありました。そうした歴史的な位置にあったことから、ユネスコでの「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界遺産登録が決定されました。

水源のポンプ場施設は今も現役ですが、<世界遺産>としての登録となり、施設の所在地としての<登録>が、市民生活にどう生かされていくのかが今後の市政の課題となったといえます。

一方、人口4万3千余で、65歳以上が1万5千弱で、人口比34.5%という高齢化社会という現実があります。

この高齢化地域での自治会活動をどう構築していくのかが、自治会の喫緊の課題としてあります。

当市の自治会長の年齢層も先の現実の中で、60年代後半から70年代前半が過半数を占める様子にあります。

自治会活動と会社勤めの両立は現代職場組織のあり様として困難となっているのではないでしょうか。

<会社人間>でなければ、職場での<競争社会>を生き抜けない現実が厳然としてある、ということもあり、また、自治会活動参加への時間的精神的余裕をもつことが困難という現実を生きてきた<自治会長層>の経過が、勤労年齢層を迂回せざるを得ない、という心象現象があるといえます。

そうした自治会(長)側の心的現象の中で、活動領域が高齢層に傾けられるという現実に陥り、<もっと若い層にウイングを広げたい>という気持ちとの矛盾を抱え込むとともに、そうした悪循環化した現実に戸惑いつつ、なんとか<自治会>の活性化に取り組んでいく他はない、と思っている今日この頃です。

一方、こうした<地を這う>ことに汗を流している中で、ふと立ち止まって見ると、世間は<安保法制>で、憲法9条を<無化>するばかりではなく、自衛隊をアメリカ軍の<先兵化>していくことが現政権によって図られようとしているという訳です。

現<日本国政府>は、<解釈改憲>という身勝手な見解の下、世界の果てまで、<集団的自衛権>を発動することに踏み込んでいる状況にあります。

こうした状況は、本来、時の政権を律するのが<憲法>である、という立憲国家の前提を覆す道に踏み込むと同時に、<民主>国家としての戦後70年を逆流する<独裁>国家への道を切り拓いていく途に就こうとしているに他ならいと言え、この流れを“来たるべき参議院選挙で断つ”ことが喫緊の課題だと考えて、今後の活動を律したいと思っています。

「護憲+コラム」より
せっちゃん

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NHKスペシャル「アジア巨大遺跡」

2015-10-20 21:24:47 | マスコミ報道
17日(土)の夜に何気なくテレビを見ていて引き込まれました。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20151017

今から1000年も前にインドシナ半島に100万都市があったことも驚きですが、600年も栄えた基になったのは「お互いを認め合う」アジアの知恵による「平和」にあったということが一番惹かれました。

この回は20日(火)の深夜に再放送されるようです。

2回目もおすすめです。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20151018
こちらは22日(木)の深夜に再放送されます。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
千葉の菊
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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

2015-10-19 11:07:12 | 集団的自衛権
過日、山崎参議院議長と鴻池特別委委員長宛に「安保関連法案の採決不存在と法案審議の続行を求める申し入れ」を行った東京大学名誉教授の醍醐聰さんらが、その後公表された参議院安保特別委員会・議事録の「偽造」「捏造」に抗議し撤回を求める署名活動を始めています。

テレビ中継が行われ衆人環視の中で起きたドタバタ劇を、あたかも議事採決が粛々と行われたかのように記録を改竄するなど、あってはならないことで、到底許すわけにはいきません。

多数の署名があっても知らん振りを決め込む自民党政治に、虚しさを覚えないわけではありませんが、諦めずに何度でも「おかしい!」「許さない!」の声をつきつけたいと思います。・・・ということで、私も署名しました。

賛同署名の呼び掛けは以下で見られます。
http://netsy.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-8d84.html

署名フォームは→ http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2
第一次集約日 :10月27日(火)22時とのことです。

趣旨に賛同される方は、是非賛同署名に参加して下さるよう、よろしくお願いします。

「護憲+BBS」「新聞記事などの紹介」より
笹井明子
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「日本人は人を殺しに行くのか・戦場からの集団的自衛権入門」(伊勢崎賢治著)

2015-10-18 10:00:53 | 集団的自衛権
この本は、国際NGOの職員として、あるいは国連PKO上級幹部として、30年以上にわたって、世界の紛争現場で、紛争処理や武装解除の活動を行ってきた伊勢崎賢治さんが、その経験を通して、安倍政権の「集団的自衛権」のまやかしを明らかにし、その上で、本当の意味での「積極的平和主義」の提言を著したものです。

概要:

1.「集団的自衛権」と「集団安全保障」は違う:
「集団的自衛権」は同盟国が各々の国益のために行うものであるのに対し、「集団安全保障」は自国とは利害関係のない国の問題であっても、窮地に陥った人々を皆で助けようという“世界益”のために行われる国連的措置。

日本政府は、自分達がやろうとしている「日米同盟」に基づいた武力行使を、“清らかなイメージ”の「集団安全保障」とあえて混同させて、国民の抵抗感を取り除こうとしている。

2.「湾岸戦争のトラウマ」から「集団的自衛権行使容認」へ:
政府・外務省が「集団的自衛権行使容認」に突き進んだ背景には、「湾岸戦争のトラウマ」(多額の資金援助をしたのに感謝されなかった。アメリカから「ツーレイト、ツーリトル」と言われた)があるとされている。

しかし、当時「評価」されずに「批判」されたのは、外務省のアピール不足やタイミングの悪さ、アメリカが発するメッセージの読み違いなど、外務省のミス、勘違い=外交力の脆弱さに、その原因があった。

3.「集団的自衛権の15事例」の検証・評価:
15の事例は全て現実性がないか、「個別的自衛権」で対処すべきもので、「集団的自衛権」は必要ない。一方、自衛隊が出て行く範囲を限定する話は一切含まれていない。

4.「集団的自衛権」=「抑止力」論:
「今後一層アメリカに協力しないと有事の際に守ってもらえず、日本は北朝鮮、中国等の脅威に対応できない」というイメージが先行して、「集団的自衛権」必要論を牽引している。

4-1.北朝鮮の脅威:
本当に北朝鮮が日本を滅ぼそうと思ったら、核ミサイルを使わなくても、原発の派遣作業員にスパイを紛れ込ませて総電源を喪失させればすむ。自国を守るために最も大切なのは「敵を作らないこと」。「敵を作らないための素質」を高め、他国の敵愾心を煽る行動を慎むこと。

4-2.中国の侵略、尖閣諸島、北方領土、竹島などの領土問題:
中国がチョッカイを出しているのは、人が住んでいない境界地帯。国際的に「侵略行為」と捉えられかねない本土侵攻は中国にとってメリットは無く、起こりえない。

領土問題は「ソフトボーダー」、すなわち領土の「占有」から、互いに分かち合い実益を共有する「管理」(共同統治)へのシフトが現実的で望ましい平和裏に解決できる道。これは尖閣諸島に関して従来中国が求めていたことでもある。

ソフトボーダー実現は簡単ではないが、国際紛争を武力で解決しないと「憲法」で宣言している日本で、リーダーが覚悟を持ってその方向に梶をきれば、できないことではない。

=>日本が自国を護る楯(イージス)は、日米同盟を強化するために配備された、イージス艦ではなく、憲法9条そのものである。

5.COIN(Counter-Insurgency=対テロ戦マニュアル):
イラク戦争、アフガン戦争は、彼の地に曲がりなりにも存在していた民族の統合=国家(ネーション)の破壊と、民衆の犠牲、無法状態の発生を齎し、結果、「非対称な怒りの増幅」が“テロリスト”を生み、今の「テロとの終わりのない戦い」を生じさせている。

この混沌の解決方法としてアメリカで生み出されたのが、COINという軍事戦略。COINが訴えるのは、「ウィニング・ザ・ウォー」ではなく「ウィニング・ザ・ピープル」人身掌握戦に勝つこと。そのやり方は、民衆達の「領土」をしっかり護る国軍と、法による公平を布く警察を作ること。その国軍と警察を中心に「秩序」を形成し、国民に安心を与え、福祉政策を実施し、国民が自ら安心してネーションに帰依できる政府を作ること。対「テロ」戦の闘い方は、これしかない。

6.日本独自の国際貢献=ジャパンCOINの可能性:
アメリカを侵略者、敵と見做すイスラム世界の間には、日本は「アメリカから原爆を落とされた国」であり、「憲法9条」を持つ国だから、自分達の立場を理解できるという“美しい誤解”が、今なお存在する。

それは、日本政府が現在目指している姿とは間逆ではあるが、歴史の事実と憲法条文を真っ直ぐに受け止めれば、正しい理解ともいえる。そこに、日本が国際紛争解決に向かって担う役割のチャンスが存在する。

アメリカが試行錯誤し続けるCOIN戦略の中で、日本が行うべきことは、「武力を使わない、集団的自衛権の行使」。武力を前提にしない自衛隊の「補完力」と、相手の懐に入り込んでいくことのできる「親和性」を前面に押し出したジャパンCOINを、日本の政策ドクトリンとして生み出し、「国連軍事監視団」という国連的措置の任務に手をあげること。

これこそが、アメリカの国益にかないつつ、日本が世界に貢献できる最上の方法であり、日本自身にとって主体性獲得の第一歩となる。

+++
「9条護持」の願いに対し、日本は自国さえ平和であれば良いのか、という一国平和主義への疑義がしばしば語られますが、伊勢崎さんはこの著書の中で、日本だけができる日本独自の“世界に対する貢献”、真の“積極的平和主義”を提言しています。

そこに提示されているのは、「他国の民の血を差し出すかわりに、自国の安全をアメリカから買う」という「姑息」で「非道」な“人道支援”や、更にそれを助長する集団的自衛権の行使容認など、今の日本政府の目指すところとは全く違った、「憲法9条」に則った国家政策の姿です。

「憲法9条」は死文化された、日本はアメリカ追随しか選択できない“美しくない”国に成り下がった、と諦める前に、憲法に則った誇り高い安全・外交政策を遂行するよう、政府に働きかける必要性・可能性が、まだまだありそうだ。この本を読んで、そんな(前向きの)感想を持ちました。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
笹井明子
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