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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

拡大する日本の貧困問題

2019-10-30 10:30:28 | 社会問題
私の住むマンションの管理人が変わった。この前も今回も、働くのが少々つらそうな感じのする70代以上と思われるお爺さんが、ゴミの始末やお掃除をしている。

「老齢年金では生活できない、2000万円が必要」という試算に対して、高額の年金を受けられる人や貯蓄等でカバーできる人もいるだろうが、公的年金だけでは暮らせない人も多い。

派遣会社パソナの会長も務める竹中平蔵氏は、年金だけでは無理だから一生働けと言いつつ、平然と「これからは専門性のない人は生き残れない」と脅しを掛ける。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/263731

そして安倍首相は、「高齢者も働きたがっている」と言い放つ。「働きたい人」の中には、できれば働かないで済めばと思いつつ、金銭的に無理で「働かざるを得ない人」が多いのではないか。

相対的貧困ラインは、等価可処分所得の中央値の50%以下をいう。2000 年の中央値は274万円、 2015 年は245 万円で約30万円も低下。貧困ラインも137 万円から 122 万円に低下している。

つまり手取り月10万円以下で暮らすという貧困率は、2015年には ラインの金額が下がっているのに15.6%に増加。65歳以上の1人暮らしの貧困率は、男性単身者が36.4%で、女性は56.2%で半数以上になる。そして貧困は高齢者ばかりの問題ではない。

稼働年齢が2人以上の世帯で就労者が1人の場合の貧困率は、13.2%で先進国同様。ところが2人が就労する家庭は11.4%で2人目の労働効果は低い。それは日本では女性の給与が低く抑えられていること、税制上パートを選ぶ女性が多いことと関係する。

そして1人しか稼働年齢がおらず就労者が1人の世帯は56.0%で、最も貧困率が高くなっている。ということは、1人親家庭や単身者の貧困率も半数を超えている。つまり、子どものいる世帯や若者の貧困率が高くなっているということに他ならない。

かつて日本は終身雇用・年功賃金という雇用形態で社会は安定していた。これが小泉政権下(2001~6年)の派遣法制定で、わずか3年で非正規雇用の割合は27.5%から41.5%へと急増する。世界的な競争というが、多くの日本人の雇用を不安定にし、労働者の使い捨てを可能にした。

今も政府はアベノミクスで雇用が増大したというが、その中身は非正規雇用で給与が低く、賞与や福利厚生がない職場も多い。働いても豊かにならず食べるのがやっと、貯蓄も出来ないワーキングプアが増えている。

老後の預金どころか、若い男性の約3割が結婚や子供を育てる余裕もなく家庭を持てない。少子化が進むのも当然だろう。

これは、政策的に作り出されている貧困と言えると思う。働く人々を企業の都合で雇いたい時だけ雇えて、会社負担の年金などの厚生から外すことを前提とした派遣法。これで日本は非正規労働者が激増し、格差を拡大させたのだ。

富裕層は教育の機会やスタートラインに恵まれるため、ますます豊かになる機会に恵まれる。中間層は老後、貧困層になる可能性が高い。非正規労働者の多い貧困層は、今や働いても貧困から抜け出せない仕組みになっている。

こうなると、階級社会ではないか。安倍首相はトリクルダウン「富裕層が豊かになれば富が滴り落ち、全体が豊かになる」というが、まさに絵空事であることがハッキリしている。

相対的貧困は、絶対的貧困に比べ目に見えにくい。「努力しないからだ」「働けば報われる」等の、今やそぐわない自己責任論で切り捨てていては、格差は広がっていくことだろう。格差は安全な社会を崩してしまう。

政府がどこを向いているのかを、私たちは見ていく必要がある。国民が安心して暮らせるために、最低賃金を上げ、不安なく働ける環境を作り、老後の不安を減らす、税金の使い方ができるかどうか。

私たち自身や子供や孫の生きる社会のために、どういった政治が望ましいのかを考えていきたい。

「護憲+コラム」より
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【怨歌】の歌姫 藤圭子

2019-10-23 17:08:56 | 暮らし
藤圭子という歌手がいた。今では宇多田ヒカルの母親として有名だが、歌手としての彼女はそれは凄かった。

東大全共闘が安田講堂で絶望的な籠城戦を戦った昭和44年(1970年)、彼女は【新宿の女】でデビューした。
※新宿の女 https://www.youtube.com/watch?v=5FeiTGOrEvM

藤圭子 本名安倍純子 岩手県一関生まれ 生まれてすぐ両親の仕事の都合で北海道旭川で育つ。両親は旅回りの浪曲師。圭子は幼い時から両親とともに舞台に立っていた。
才能を見込まれ、15歳で上京。作詞家 石坂まさおに師事。その後、RCAディレクター榎本に見いだされ、レコード・デヴュー。

榎本に言わせると、当時の彼女は40kgあるかなしかの小さな少女だった。その容姿は、可憐の一言。華奢で可憐で吹けば飛びそうな少女が、ひとたびマイクを持つと、そのドスの利いた歌声で周りを圧倒した。彼女の容姿と歌声のギャップの大きさが、彼女の人気を後押しした。

しかし、彼女の歌声をよく聞くと、高音も良く伸び、ロックで言うシャウトができた。中低音も独特の響きを持っており、魅力的なハスキーボイスの持ち主だった。

藤圭子は第2作の「女のブルース」で110万枚を売り上げ、押しも押されもしないスターにのし上がった。
※女のブルース https://www.youtube.com/watch?v=MvgokXTXVTI

そして次の第3作が藤圭子の不朽の歌手にした。【圭子の夢は夜ひらく】である。
https://www.youtube.com/watch?v=bynoUmokWaI

この歌は石坂まさをが大好きだった曲で、園まりや緑川アコも歌っていた。
※夢は夜ひらく
緑川アコ https://www.youtube.com/watch?v=62IAZXMoXLg
園 まり https://www.youtube.com/watch?v=z478Skh93Vw

藤圭子の歌った「夢は夜ひらく」は、典型的な【履歴書ソング】。自分の人生の経過を歌にしている。そこが実にいい。

特に二番の歌詞。***昨日マー坊 /今日トミー /明日はジョージか /ケン坊か /恋ははかなく/過ぎて行き /夢は夜ひらく***

私はこの歌を最初に聞いた時、実にモダンな感じを受けた。名前の呼び方が見事にアメリカナイズされていた。ロックかジャズを演歌にしたような新しさがあった。藤圭子が時代の寵児になった所以だろう。

当時、まだ若かった田原総一朗がTVドキュメンタリーで藤圭子を取り上げた番組で、デモに参加している若者の多くが、藤圭子が大好きと答えていた。彼女の歌声と歌詞に、従来の演歌と違う何かを感じ取っていたに違いない。

五木寛之は、そんな藤圭子の歌を、「演歌でもなく、艶歌でもない。正真正銘の怨歌だ」と評していた。

70年当時の全共闘運動、新宿西口のフォークゲリラなど、燃え盛った【政治の季節】の挽歌として、藤圭子の歌が若者たちの心をつかんだのかもしれない。

藤圭子が伝説になったのは、ここまで紹介した歌による。しかし、本当の藤圭子の凄さは、虚実合いまった藤圭子の伝説ではなく、彼女がカバーした多くの歌にある。

今回、彼女のカバー曲を丹念に追ってみたが、ほとんどの歌が本家をはるかに超えるうまさと凄さに満ちていた。

特に、「男歌」を歌わせたら、彼女の右に出るものはないだろう。彼女に匹敵する「男歌」の名手は、美空ひばりだけだと思う。それぐらい、女性が男性の歌う「男歌」を歌うのは難しい。ところが、藤圭子は難なくそれをやってのけている。天才というしかない。

例えば、矢吹健という歌手がいた。「あなたのブルース」や「後ろ姿」は大変ヒットしたが、藤圭子のカバー曲はそれに勝るとも劣らない。

※あなたのブルース https://www.youtube.com/watch?v=LL5vhiI_AAs
※うしろ姿  https://www.youtube.com/watch?v=k3z6m3NMcSQ
矢吹健 あなたのブルース https://www.youtube.com/watch?v=mZ72F_9HwSw
    うしろ姿  https://www.youtube.com/watch?v=2R0oGJoAFic

春日八郎の「別れの一本杉」。春日に勝るものはない、と思っていたが、藤圭子の「別れの一本杉」は絶品。
※別れの一本杉 https://www.youtube.com/watch?v=hKF2JUkDNjs
春日八郎 別れの一本杉 https://www.youtube.com/watch?v=7satCJvhT54

もう少し、見てみよう。村田英雄の「無法松の一生」。彼の代表作。これは多くの歌手がカバーしているが、藤圭子のカバーは絶妙。本家よりはるかに良いと思う。

※無法松の一生 https://www.youtube.com/watch?v=wJYMxGKU-e8&list=RDEK4Q6VwPVuQ&index=10
村田英雄  無法松の一生 https://www.youtube.com/watch?v=a3K32Tk8fYo

村田英雄の作品は、「人生劇場」もカバーしている。
※人生劇場 https://www.youtube.com/watch?v=vSn30-rBmYs
村田英雄  人生劇場 https://www.youtube.com/watch?v=t-VGghg9fTQ

「東京流れ者」もカバーしている。渡哲也は本職の歌手ではないので比較にならない。
※東京流れ者 https://www.youtube.com/watch?v=e_gqDblMUig
渡哲也  東京流れ者  https://www.youtube.com/watch?v=fkQCEXFaldY

実は今回藤圭子のカバー曲を調べていて、一番驚きだったのは、次の曲である。

「ネリカンブルース」 この曲は、東京都練馬区にあった少年鑑別所に入った不良少年の心情を歌った歌で、誰の曲とも知らずわたしたちの間で歌われていた。わたしたちの青春時代、道を踏み間違えた少年たちのディスペレートな心情を歌ったこの歌は、多くの人々の心を捉えた。

彼女の歌声は、当時を思い起こさせる絶品の作品に仕上がっている。

※ネリカンブルース https://www.youtube.com/watch?v=DScdzHz6tRA
※練馬区東京少年鑑別所の正門です。
https://www.youtube.com/watch?v=e8IOSbOINFM

高倉健もカバーしている。やくざ映画全盛時代、高倉健の「唐獅子牡丹」は、ファン絶対の愛唱歌だった。藤圭子の歌は、当時の高倉健の持つ雰囲気まで再現しているように思える。

※唐獅子牡丹 https://www.youtube.com/watch?v=0XE3YmgKTp4
高倉健 唐獅子牡丹 https://www.youtube.com/watch?v=LmzVr4W_p1s

鶴田浩二の歌もカバーしている。
※赤と黒とのブルース https://www.youtube.com/watch?v=vKb4MZbQo9Q
鶴田浩二 赤と黒のブルース https://www.uta-net.com/movie/13849/

水原弘もカバーしている。わたしの中では、水原弘の歌のうまさは出色。まさに天才。彼がヒロポンなどに迷わなかったら、どれだけヒット曲を出したか、と残念でならない。藤圭子の歌声はその彼に引けを取らない。二人の天才の歌声を、ぜひ、聞き比べてほしい。
※君こそわが命 https://www.youtube.com/watch?v=CdEZZsIuj6w
水原弘 君こそわが命 https://www.youtube.com/watch?v=abmW7xIlzgM

ここまでの曲を丁寧に聞いてもらえば一発で分かるが、事程左様に、藤圭子の「男歌」は素晴らしい。

地べたを這いずり回りながら生きている民衆たちの情念をうたい上げたのが演歌・艶歌・怨歌だとするならば、藤圭子の歌声はまさに「怨歌」にふさわしい。

まさにそのものずばりの怨み歌を一つ紹介する。梶芽衣子の【怨み節】である。映画「さそり」の主題曲。
※恨み節 https://www.youtube.com/watch?v=1nT_J6tXHSE
梶芽衣子 怨み節 https://www.youtube.com/watch?v=PqJhcDIqaDU

さらに藤圭子は、三波春夫や真山仁などが切り開いた「歌謡浪曲」の分野でも素晴らしい才能を発揮している。特に、「歌謡浪曲」で難しいのは、「語り」の部分だが、藤圭子はいとも簡単に難しい「語り」をやってのけている。

おそらく幼い時から旅の浪曲師だった両親に連れられて舞台に立っていたため、浪曲の語りが肌に沁みついていたのであろう。見事な「語り」を披露している。

※番場の忠太郎 https://www.youtube.com/watch?v=z9pGZ1xmgY8
真山一郎 番場の忠太郎 https://www.youtube.com/watch?v=5z6PD2IHUbw

その他多くの「歌謡浪曲」をカバーしている。
※涙の荒神山 https://www.youtube.com/watch?v=VuthhqoBOjI
※石松三十石舟 https://www.youtube.com/watch?v=Ybwp1J0UvGA
※刃傷松の廊下 https://www.youtube.com/watch?v=u398NwAEDng

この分野で、彼女の凄さがもつとも分かるのは、二葉百合子の「岸壁の母」のカバーだと思う。二葉百合子の高音部分は、いかにも浪曲で鍛えられた声だと思わせるが、藤圭子の高音部分はそれを上回るような伸びがある。彼女を育てた榎本がいう高音がシャウトしている。彼女がもう少し長生きしていたら、この分野でも文句なしの第一人者になれたと思う。
※岸壁の母 https://www.youtube.com/watch?v=657IcSn4oCo
二葉百合子 岸壁の母 https://www.youtube.com/watch?v=nAnv6K8SE1c

このように本当の意味での歌の才能に恵まれた藤圭子だったが、私生活では順風満帆というわけにはいかなかった。

五木寛之が書いた「艶歌の竜」という小説がある。その中で艶歌歌手は、「不幸の匂い」がしなければならないと言う意味の事を書いていた。ファンは彼や彼女の歌を聞きながら、大スターでありながら、彼や彼女の私生活の不幸の味を敏感にかぎ取る。そして、大衆は、さらに彼や彼女の歌に魅かれていく、という微妙な心理の襞が、艶歌歌手の宿命だという意味の事を書いていた。

そう言えば、美空ひばりをはじめとして、艶歌歌手の「不幸の味」が彼や彼女たちの艶歌の「つや」として滲み出ているような気がする。

御多聞に漏れず、藤圭子も波乱万丈の私生活を送り、最後は自ら命を絶った。五木寛之流の見方からすれば、藤圭子は、見事に「艶歌歌手」否【怨歌歌手】としての自らの運命(宿命と言っても良いかもしれない)を生き切ったと思う。

日本の戦後の転換点で、エリート支配(東大支配)を根底から問い直した東大全共闘の象徴的闘いの終焉(安田講堂の闘い)の年にデヴューした藤圭子は、それだけで時代の象徴的存在だった。

学生運動とはまるで無縁の存在だったにもかかわらず、当時の反体制気分の象徴的存在として、社会の下層で流されながら懸命に這いずり回って生きている庶民の口に出せない内心の怨みを見事に表現した。

わたしは、彼女の代表曲もさることながら、彼女がカバーした【はやり歌】としての戦後の歌謡曲を聞いていると、戦後70年を過ぎたのに、過ぎ去ったと思われた戦後の艶歌・怨歌の世界が、もう一度新しい装いで蘇っているように感じる。

山本太郎が口癖のように語る【生きづらい、地獄のような日々】が、蘇ってきているのを感じる。

藤圭子のカバー曲を詳細に論じたのは、彼女の「怨歌」を掘り下げていくと、結局日本的演歌・艶歌や浪曲的感性に行きついてしまう、という歴史の皮肉である。

先の五木寛之の「艶歌の竜」の言葉で言えば、西欧流の音楽感性から言えば、「乞食歌」に過ぎない艶歌の世界が、もう一度蘇る時代的背景が整いつつある。

マルクス流にいうならば、時代は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

さて、藤圭子流艶歌・怨歌の世界の蘇りは、「悲劇」だろうか、それとも「喜劇」だろうか。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
流水
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自由こそ創造性のゆりかご!

2019-10-22 14:54:54 | 社会問題
ラグビーワールドカップ。日本チームはベスト8に進出したが、準々決勝で南アフリカに涙を呑んだ。

日本チームの戦いの軌跡を振り返ると、【自由】がいかに大切かと言う事が見えてくる。全てのチームスポーツに共通して言える事だが、戦いの要諦は、いかにしたら、自チームに【自由】を獲得できるかに尽きる。ラグビーと言う競技は、その【自由の争奪戦】の様相が大変良く分かる。

第1戦 ロシア、第二戦 アイルランド、第三戦 サモア、第4戦 スコットランド。この4戦に共通しているのは、日本の柔軟な戦いぶりだった。体格で相手に劣るフォワード戦でも負けず、接点(ブレークダウン)の攻防でも負けなかった。身長で劣るラインアウトも見事に取り切った。ハイパントの攻防も勇気をもって前に飛びあがり、競り負けなかった。

その為、日本チームの長所である早い球出し、スピードに溢れた短いパスの交換でゲイン(前に出る)を切り、臨機応変なキックで相手バックスを混乱に陥れた。

これを一言で言うと、日本チームは【自由】を手に入れ、創造性あふれる攻撃を仕掛け、見事に勝利を手に入れたのである。

ラグビー競技の本質は、陣取りゲーム。まず相手の陣地で勝負をすることが最重要。その為に、痛くて、辛い苛烈な努力をしなければならない。

日本チームの選手が口癖のようにいう「ハードワーク」とは、相手陣地で勝負をし、自チームの選手に【自由】を勝ち取るために自己犠牲も厭わぬ献身的プレーを続ける事を意味する。

これができて初めて創造性あふれる攻撃ができる。ラグビー競技においては、自チームの選手の【自由の領域】が広ければ広いほど攻撃が成功する可能性が高い。そして、攻撃にどんなプレーを選択するか、に選手やチームのセンスが問われる。

オールブラックス(NZ)は創造性とセンスの塊のようなチームである。アイルランドとの試合でのオールブラックスの攻撃は、これぞラグビーのお手本とでもいうべき見事なものだった。

アイルランド得意のフォワード戦でも負けず、生きた球をバックスに供給。その球を、一人一人の選手が創造性に富んだセンス溢れる攻撃手段で生かし切り、アイルランドを完全に翻弄していた。

彼らを見ていると、彼ら一人一人が「自由」に「奔放」にプレーをし、彼ら一人一人が味方の選手のアドリブに見事に反応し、サポートをしていた。

オールブラックスに体現されていたのは、一人一人の自由で個性あふれたプレー選択と、それを可能にする高いスキル。同時に、15人の選手がそれらの個性的なプレー選択に何の迷いもなくサポートしている。そこにはお互いの力量を信頼し、迷いなくサポートする。個人の能力とチーム(組織)としての一体感が矛盾なく存在している。

15人がムカデの足になった、組織と個人のお手本のようなチームだった。
※『15人がムカデの足たれ』 https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/09f558e0dc0c48ea1e26f2456a2354e3

今大会の日本チームもオールブラックスに似た素晴らしいチームだった。予選4試合は、ラグビーのお手本に近い戦いぶりだった。

ただ南アフリカとの試合はそうはいかなかった。理由は単純明快。後半、相手陣で闘えなかった。ブレークダウン(接点)の攻防で負けてしまった。相手のモール攻撃を止められなかった。(体格・フィジカル勝負に持ち込まれた)

日本の勝機は、日本チームがどれだけ【自由】を勝ち取れるかどうかにかかっていた。この【自由】が勝ち取れなかったため、残念ながら勝ちきれなかった。

わたしがラグビー競技から学ぶのは、【自由】というものは、痛くて、辛くて、汚くて、しんどくて、もう辞めたいと思うほどハードワークをしなければ、手に入らない、と言う事だ。痛くて、つらくて、汚くて、しんどくて、を耐えきる努力を重ねなければ手に入らないと言う事である。

15人全員がムカデの足になり、一人一人が自由で、個性的で、創造性あふれるプレーを選択し、それを15人全員でサポートする。組織と個人の双方が生きる、「民主主義」とはそんなものだ、と考える。

南アフリカ戦後半、日本は、自陣に釘付けにされ、チームと個人の自由を奪われ、何の創造性も発揮できなかった。ところが、その日本チームが、アイルランドやスコットランド戦では見事な創造性あふれるプレーを見せた。同じチーム。同じ選手でありながら、天と地ほどの違いがある。如何にチーム全体が【自由】を獲得する事が重要であるかが了解される。

翻って現在の日本を見てみよう。

日本沈没が叫ばれて久しい。日本の各分野で指導者(人間)の劣化が止まらない。この最大の要因は、指導者連中が死に物狂いで【自由】を獲得した経験がなく、地位がもたらす「所与の現実」としての【自由】を手にしているからである。

何の努力もせずに手に入れた『自由』だから、全く大切にしない。ただ、『自分勝手の自由』を振り回している。痛くて、辛くて、汚くて、辞めたいと思うほどしんどくて、それでも懸命に獲得した【自由】なら、そんな粗末な使い方をしない。

自分だけが『自由』で、他者は自分が自由に振る舞うための僕(しもべ)だと勘違いしているから、他者が自分の自由を尊重しない事に腹が立つ。安倍政権の閣僚どもの言説を聞けば、自分の自由だけを語って恬として恥じない連中ばかりだ。

そうではなくて、他者の自由を尊重し、それをサポートする事によって、自分の自由も尊重してもらえるという発想を持たなければならない。

以前、「先憂後楽」と言う言葉を紹介したが、実はラグビー競技に見られる【自由獲得】競争は、この「先憂後楽」の精神に満ちている。

英国やラグビー先進国でラグビーがエリートのスポーツだとされているのは、【自由】獲得に対する心構えがエリートの基礎的資質だとされているからであろう。

英国や欧州の正義が全て正しいとは思わないが、彼らのレーゾンデートルである【自由】の考え方には、血を流して獲得した【自由の精神】に対するきわめて真摯でストイックな考え方に溢れている。

最後にこの国の野党連中に一言いいたい。

政治の戦いの本質は、【権力争奪戦】。権力を把握すると言う事は、自らの政党の政策を実現する【自由】を獲得する事を意味する。

現在の野党の立ち位置は、南アフリカ戦の後半の日本チームと同じだと言う認識がなさすぎる。相手の圧力に負けて、自陣に釘づけにされ、【自由】を失い、何一つ創造性を発揮できない状況に追い込まれている。

相手(自民党)にスキがないわけではない。逆にスキだらけとだと言って良い。ところがラグビーでいう所の捨て身のタックルがない。辛うじて「れいわ新選組」の山本太郎だけが、【消費税廃止】ないし【消費税5%減税】というタックルを連発している。

立憲民主党にしろ、国民民主党にしろ、無所属の野田一派にしろ、過去の自分たちの間違った政策に縛られて、捨て身になり切れない。タックルするのが痛くて厭だと言っている。

彼らは自らの『自由』には敏感だが、国民の『自由』には鈍感。これだけ貧富の格差が拡大し、福祉はカット。医療費は値上げの一途。国民の生活は火の車。国民の生活を第一に考えるなら、過去の自分たちの言説に反していても(どんなに痛くても)、「消費税廃止」ないし「消費税5%減税」の主張に踏み切るべきである。

その政策を打ち出すときには迷ってはならない。思い切りのよいタックルでなければ、相手は倒れない。どんなに痛くても、どんなに倒されても、明快に【消費税廃止】などの政策を語る事である。

痛みをこらえて、捨て身のタックルを繰り返す【野党の戦う姿】にこそ、国民は心を惹かれる。捨て身で闘うからこそ、創造性あふれる戦術が生まれる。参院選の山本太郎の戦術は、彼の捨て身の敢闘精神から生み出されたものだ。そうすると、ラグビーでいうなら、フォワードの捨て身で闘う姿に信頼を寄せるバックスの存在に国民がなる。

捨て身で闘わない野党を国民は応援しない。野党こそ、ラグビー日本代表の献身的敢闘精神に学ぶべきである。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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一連の豪雨災害、台風災害を激甚災害。一連は、まだ終わっていない!

2019-10-22 09:46:11 | 災害
直前に、台風15号、17号被害に遭い、政府も、8月13日~9月24日の、佐賀県などを襲った記録的豪雨や台風10、13、17号を含め激甚災害に指定、農地や林道、農林水産関連施設の復旧支援には、地域を限定しない激甚災害とした。

また、TV・新聞挙げて、台風19号を警戒、「巨大台風に備えよ」「1,200人犠牲の狩野川台風に匹敵」「白い渦 列島丸のみへ」と訴え、JR等も計画運休などで、来襲に備えていた…。10月12日には、「台風 きょう東日本上陸へ」とも。
 
直前に、良いニュースもあった。東日本大震災の津波で犠牲になった石巻市立大川小学校の児童23人の遺族訴訟が原告勝訴、市・県の敗訴が確定したことである。上訴は、国にも相談の上のこと。地方自治体等に、当然『喝』が入ったことだろう。前例踏襲ではいけないと。
 
また、前後に、国民を鼓舞するニュースもあった。吉野彰・旭化成名誉フェローのノーベル化学賞受賞とラクビーW杯、日本が8強進出、4強逃すのビッグニュース、“One Team”のビッグプレイ・大活躍である。「ハードワーク続け8強」と讃え。

ノーベル平和賞に、若きエチオピア・アビー首相。「紛争のるつぼ」に希望と。最大の功績は、国交が断絶していた隣国エリトリアとの関係改善だ。…そんなことは、安倍氏には望めないか。

10月13日朝刊では、台風直撃 13都県特別警報、多摩川など氾濫7都県と来襲を伝えた。翌日には、「台風 35人死亡、17人不明」21河川24ヵ所決壊 東日本縦断、各地に爪痕、と。

10月15日、死者68人 堤防66ヵ所決壊 捜索続く 被害の全容見通せず、命、暮らし、奪われ、茶色の町 水のち泥、大雨3日 不安に震え、北陸新幹線浸水 全面再開に「相当期間」。

10月16日、「台風死者12都県73人」東日本、堤防73ヵ所が決壊 激甚災害指定へ、と。
「気候変動による豪雨の頻発・激甚化はほぼ確実」「これまで経験のない事象も発生し得る」として、治水政策 転換の矢先だった。
行き場失う水 堤防破壊、河川氾濫 地形に要因 本流増水し支流滞留、幅狭まり水位上昇(バックウォーター現象)、停電頻発 もろい送電網、【社説】台風広域被害 温暖化踏まえ治水強化を、と。
惨状に落胆 まさか、孤立住民『SOS』、濁流の爪痕 あらわ、浮かぶ寝具と消えた母、家族4人の車のむ。

10月17日、台風被害 6割が水害 土砂崩れも、被害多岐に、72時間経過 捜索懸命。
台風 東北の想定超え、『関東直撃』避難遅れに 命の道寸断 集落孤立 覆う土砂、陥没・崩落、濁流、濁流の中 妻に告げた感謝 凍える手を握り「世話になった」。

10月18日、台風浸水21都県3.9万棟 11都県4063人避難 停電、断水 復旧遠く、土砂崩れ多発、浄水場水没。 
▽即位パレード 来月10日 ▽五輪マラソン札幌開催へ ▽病院再編案に地方反発 ▽水俣病救済 阻む線引き。

10月19日、台風死者7割60歳以上 上陸1週間 79人犠牲10人不明 捜索現場 無情の雨、被災地二次災害警戒、冠水なおボートで家へ、失った未来 なぜ。 
▼自衛隊 中東独自派遣へ ▼伝統踏襲の一斉恩赦 国民理解薄い「慶弔行事」「議論もなく時代錯誤」。

10月20日、台風19号の号ごみ 処理2年超 数百万トン、西日本豪雨超す。

10月21日、堤防整備改革3割未達成(国管理河川)台風19号で決壊の地点も、九州の河川2割未達成。
▽日本4強逃す 桜あっぱれやまぬ拍手、スタイル貫き 輝き残す。

10月22日、水道民営化検討せず 九州10市(政令市、県庁所在市、中核市) 災害対応、高騰懸念、水道管老朽化 九州深刻 職員減、技術継承も課題。▼改正法、今月施行 ▼看護職最大27万人不足。

以上、地元新聞紙の見出しを紹介してみました。

その他、心に残ったものは、ホームレスの避難所受け入れ拒否、武蔵小杉のタワマン浸水被害、北陸新幹線・車両センター・車両浸水など 記憶に残る大事はあるが、これも含め、後日談に譲ることとします。今日は、此れ迄。

「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
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台風の被害が過酷になっている

2019-10-20 13:38:40 | 災害
(単なる素人の推測であるが)台風の被害が過酷になっており、日本の気象観測(気象庁など)は最近の台風被害に対応できていない。

前回の台風19号の被害は過去(歴史的な)のものと異なっており、超弩級のものであって、パラダイムチェンジが必要なケースではないのか、素人ながら心配になってきた。

今夏の暑さは10月まで続いた。9月には真夏日が下旬まで続き、35度以上も多かった。

地球温暖化は従来のものとは異なり、確実に夏が長くなっていて、これは台風の発生メカニズムにとって好適な(人間には最悪な)環境である。

気象庁や気象学者の対応が時代遅れになっているのではないだろうか。

アメリカ南部を襲ったハリケーンの再来を観ているような印象が強い。

(温暖化の原因が二酸化炭素であるとは限らない。広瀬隆は、大都会の昼夜問わない電力の使用が原因である、と実証的に分析している。)

「護憲+BBS」「マスコミ報道を批評する」より
名無しの探偵
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「大阪湾に放射能汚染水を放出しないことを求める署名」への提言

2019-10-19 21:27:33 | 原発
松井大阪市長の大阪湾投棄はとんでもないことであり、首記署名の主旨には同感である。瀬戸内海は明石の蛸や明石の鯛、いかなごの一大漁場である。漁民の思いは福島も関西も同じであろう。

一方松井案に反対ならどうするのか、対案が必要であろう。このままタンクを造りつづけるには物理的限界もみえている。いずれにしろ、もう陸上での処理は限界である。すべての陸上の水は海へ流入するのが自然の法則である。極力除染して海へ放流すべきであろう。

そして、仮に放流するのであれば、近海漁業に悪影響や風評被害が出ないように、自衛隊の給油艦か民間のタンカーをチャーターして日本のはるか南方の南鳥島か、沖の鳥島の200海里(約370km)内の日本の排他的水域に投棄することである。

※200海里
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=200%E6%B5%B7%E9%87%8C%E6%B0%B4%E5%9F%9F%E3%81%A8%E3%81%AF

これは東電が決断できることではなく、安倍政権の役割である。

小生はこのことについて、民主党の菅政権時代に震災が発生した2011年の3月29日に、海洋投棄することを世界に発信すべきと投稿している。今はその機を逸したので国連でのコンセンサスが必要であろう。

この主張の背景として、世界の核保有国はその実験で地球上の水と空気を放射能で汚染してきたことがある。日本の場合は天災による二次災害による汚染でやむをえない面がある。そして現在は世界の原子力学者にもその一部には海洋への放出やむなし説を支持している学者もいるらしい。

過去ログから一部抜粋して紹介する。
***
政治はタービン建屋の汚染水をどう除く 厚願の美少年 2011/03/29

3月28日の福島原発事故に関する各メディアの報道を見ると、先日3人の作業員が知らずに被爆したタービン建屋地下室の汚染水の処分に困っている様子である。しかも1号基~3号基迄同じ状況でトレンチとか言う配管抗にも高濃度の放射能で汚染された水が漏れ出て溜まっているという。

報道によれば汚染水を処分しないことには作業員が安定的な給水工事に何時までも着手できないらしい。またその汚染水を汲み上げるタービン建屋内の復水器も満杯で汲み上げられないようである。そこで満杯の復水器の水をタービン建屋外の水槽へ一時的に移すことも検討されているとのことである。

ところで菅首相は3月15日に東京電力に乗り込み、政府と東電による統合対策本部を設立し、自ら本部長に就任したと報じられ、その後官邸を尋ねた誰かに「自分は原子力に詳しいんだ」と語った事も報じられていたと思う。しかしその後統合対策本部長としての指示は見えてこない。

何れにしろ首相が東電や保安院の技術屋さんと同じ土俵で問題を解決しようとすれば現状の解決策の域を出ないと言うことである。問題は政治家として現状をどのように打開するかである。そして昨日経済産業副大臣が「最悪の事態は神のみぞ知る」と参議院予算委員会で答弁して物議をかもし、陳謝したらしいが、首相も汚染水の処置には八方塞がりで、内心経済産業副大臣と同じ心境ではないかと想像する。 

そこで首相には技術屋さんと同じ発想ではなく、一国の総理(政治家)として汚染水対策に次のような発想を持って欲しいのである。

1号基~3号機のタービン建屋に溜まった汚染水を消防車で汲み上げ、かつて米・イラク戦争時にインド洋で米船艦等に給油していた海自の給油艦に積み込み、日本のはるか南方の南鳥島か、沖の鳥島の日本の排他的水域に投棄することを世界に向けて発信し粛々と実行するのである。併せて国民の生命と健康を護るためとして、国内法の海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律の超法規的な措置もとる必要がある。

止むに止まれぬ海洋投棄の根拠として、かつて米国は太平洋のビキニ環礁で67回の水爆実験を行い、それによって日本の漁船員(第五福竜丸)が被爆し、また旧ソビエトも昭和36、7年頃には核実験を頻繁に行い、その放射能雨が日本に降ったことは忘れもしない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B%E7%92%B0%E7%A4%81

現在の核保有国は何れもその実験で地球上の海か空気を放射能で汚染して来ているのである。今回の日本の場合は核実験ではなく天災による原子力発電所の事故で、海洋投棄はこれ以上被害を拡大させないための窮余の策であり、核実験に比べれば放射能も放射線も遙かに少ないはずである。

過去に各核保有国が核実験をする時は事前に発表する場合もあったが、ない場合も多かったはずであり、また秘密裏に核実権をした国もあったはずである。核保有国が放射能の浄化を大自然の浄化作用に委ねたように、日本も極力除染して領海内でより危険の少ない海洋へ投棄して、大自然の浄化作用にゆだねるしか選択肢はないのではなかろうか。
***

「護憲+BBS」「 メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
厚顔
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「大阪湾に放射能汚染水を放出しないことを求める署名」

2019-10-18 13:01:58 | 原発
友人から署名協力依頼がきました。

大阪湾、瀬戸内海を放射線物質で汚染させ、安全な海の幸を失うことは、私たちの食生活に大きな影響を及ぼし、日本全体にとっても大きな損失です。・・・ということで私も署名しました。

趣旨に賛同される方は、是非ご協力いただくよう、私からもお願いします。

ネット署名 https://bit.ly/2OEmBDr
署名用紙PDFファイル http://www.hoshanobogyo.com/pdf/shomei.pdf

***
大阪湾に放射能汚染水を放出しないことを求める署名
松井一郎大阪市長(維新)の暴挙に反対します

トリチウム無害大嘘です。汚染水に他にも多種の放射性物質があります。
大切な食材の宝庫、大阪湾・瀬戸内海を絶対に汚染させてなりません。
ご家族全員の健康・命にかかわる問題です。ご署名をお願いいたします。

( 第一次締切 10月31日 ・ 第二次締切 11月30日 )

【呼び掛け人】
西尾正道(北海道がんセンター名誉院長)・前田日明(元格闘家)・三田茂(医師)山崎秀夫(近畿大学元教授)・下地真樹(阪南大学准教授)・井戸謙一(弁護士) 紀藤正樹(弁護士)・仲晃生(弁護士)・木下黄太(ジャーナリスト、放射能防御プロジェクト)
***

「護憲+BBS」「イベントの紹介」より
笹井明子
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神戸・東須磨小・教師間の暴行・暴言・いじめ事件

2019-10-17 15:50:52 | 社会問題
何ともおぞましい事件だ。元教師としては、ここまで教育委員会・学校・教師の倫理観が落ちてしまったのか、と慄然とする。

何はともあれ、具体的事実から、問題の本質を考察してみる。

【具体的事実】
・羽交い絞めにされ、激辛カレーを無理やり食べさせられたり、身体に塗られた
・車の上に乗られたり、車内にわざと飲み物をこぼしたりされた
・目や唇に激辛ラーメンの汁を塗りたくられた
・無料通信アプリで第三者に性的なメッセージを送るように強制された
・携帯電話にロックをかけて使えなくされた
・自宅までの送迎を何度もするように強制された
・「反抗しまっくって学級を潰してやれ」など子供の前で被害教員の悪口を言われた
・熱湯の入ったやかんを顔につけられる
・何十回もカバンに氷を入れられ、中の書類をびしょびしょにされた
・指導案に落書きをされた
等々。
・・・・・・・神戸市教委調べ

神戸新聞は、市教委・校長の記者会見から以下のように書いている。
・・「会見では、加害教員がたびたび職員間で問題を起こし、管理職から指導を受けていた実態が明らかになった。だが、市教委に具体的な報告はなく、管理職も厳しく追及することはなかった。
 市教委によると、2018年度には加害教員の一人に、女性教員へのセクハラや若手教員をやゆするあだ名で呼ぶなどの行為があった。19年2月にも、前校長に「職員室で若手教員へのいじりが度を過ぎている」という訴えがあった。
 
このため前校長は加害教員らを指導。ただ、暴行や暴言は収まらず、前校長は市教委に「詳しく聞き取っておらず、認識が甘かった」と釈明したという。一方、この前校長を巡ってもパワハラ相談があったことが明らかになったほか、後任の仁王校長は加害教員への指導について「前校長ときちんと共有できていなかった」と述べた。・・・・・・・・・・・・・・

実は、この仁王校長の話には多少疑念が残る。というのは、仁王校長は、2018年より東須磨小の教頭を務めており、前任の校長の部下だった。その彼女が、前任校長の学校経営について詳細を知らなかったというのは、おかしい。校長の学校経営を支え助力するのが教頭。知らなかったでは済ませられない。

わたしたちの時代、教頭が同じ学校で校長になる事はほとんどなかった。だから、当初は、赴任したばかりの学校だから、良く分からなかったのだろうと考えたが、同じ学校で昇任したのだったら、【よく共有できていなかった】では済まされない。同じ管理職として前校長と同等の責任があると言わざるを得ない。

【いじめの原因】

(1)教師の個人的資質

上記のいじめの具体的手口は、子供たちのいじめの手口とほぼ同じ。大人としての知恵も想像力もない。いじめをしている動画も残っているが、いじめを嫌がっている人間をいたぶる事に隠微な喜びを感じている卑劣な人間性がもろみえで、みていて気分が悪くなる。

教師が立派な人間などと言う話は、おとぎ話に近いが、それでも今回のようないじめ行為を喜んでするような人間は、滅多にいない。

今回のいじめの原因については、様々な要因が考えられるし、指摘もしたいと思う。しかし、今回の問題については、主犯とされる教師や付和雷同をした教師たちの個人的資質が大きいと言わざるを得ない。人間、ここまで劣化するのか、と、慄然とせざるを得ない。

(2)学校環境

学校は、きわめて「閉鎖的空間」であり、学校独自のメカニズムが働いている。そのため、学校内部での教員間の「いじめ行為」は昔より存在した。

それでも昔の学校は、校長・教頭・教諭という三段階の位階しか存在しなかったので、管理職VS平教諭という図式での対立はしばしば顕在化したが、教諭VS教諭という図式は比較的少なった。(ないわけではなかった)

ところが、近年は、学校内部にも会社と同様な位階制が導入され、学校内部の権力構造が大きく変化している。

具体的に書くと以下のようになる。

🔷学校のヒエラルヒー
・校長⇒・副校長⇒教頭⇒主幹教諭⇒指導教諭⇒教諭 ◎ここまでが教員採用試験合格者で正式教員  ⇒助教諭⇒講師(常勤と非常勤)
その他、養護教諭と栄養教諭と司書教諭

わたしたちの時代とは全く違うヒエラルヒーが形成されている。

今回のいじめ加害教師たちを仁王校長は、【中核教師】と呼んでいた。わたしたちの時代には全くなかった言葉である。主幹教諭や指導教諭を意味しているのだろう。

神戸新聞によれば、前校長の覚え愛でたかったのが、加害教師たちだと報じている。仁王校長は、【中核教師】と呼んでいる。つまり、加害教師たちは、意識の上でも実質でも、上級教師だったのだろう。

被害教師たちは、このヒエラルヒーの下部に存在していて、常日頃上部教師たちの指導と言う名目の支配下にあったという事である。

これが加害教師の「いじめ」に一種の心理的正当性を与えていたと考えるのが至当だと思う。神戸市教委や仁王校長の会見には、この発想は皆無。彼らが自らの「加害者意識」に目覚めない限り、問題の根本的解決には程遠いと思う。

🔷職員会議の権能の縮小の問題

わたしたちの時代は、職員会議の権能がかなり大きかった。多くの問題が職員会議で決定された。【荒れた学校】時代には、それこそ白熱した議論が行われたものである。

時代が進むにつれて校長の権限が拡大され、職員会議が【伝達機関】化されはじめ、様々な問題が噴出し始めた。文部省は、決定権者を校長に限定。職員会議は、その決定を周知徹底させるための会議に限定した。

それぞれの学校には、それぞれの学校なりの事情がある。子供の状況も地域によって大きく違う。都市部と農村部、漁村部では、保護者の気質も子供気質も地域性も全く違う。

都市部の学校で育った校長が漁村部の学校の校長になり、都市部の学校のやり方を強制しても、うまくいくはずがない。強引にやればやるほど失敗する。かっては、そういう場合、校長のやり方に待ったをかけ、その学校の地域性に合ったやり方を話し合い、決定していたのが、職員会議だった。

ところが、現在は、全ては校長が決定し、職員会議はその伝達機関。誰も校長の決定に異議を差しはさまない。
 
しかし、地域の特殊性を知らない校長の決定は失敗する場合が多い。だから、校長は有能な上級教師に頼る場合が多い。そうなると、有能な(校長がそう思っている)教師の影響力は拡大する。事実上、その上級教師は、学校を牛耳ってしまう場合も出てくる。そうなると、その上級教師の【万能感】は拡大する一途。その心理が下級教師に対する【蔑視感】や【差別感】を増幅する。

今回の東須磨小の「いじめ暴行」問題の背景には、現在の公立学校で進行している位階制の問題点が大きく横たわっている。

(4)人権意識の衰退

神戸市は、人権教育(同和教育)の先進地域だった。各学校で人権教育が積極的に行われ、わたしたちも何度か視察に出かけたものだった。今回の事件。かっての神戸市の教育体制なら考えられない酷い事件である。教育委員会・校長・加害教師たちは、本当の意味での人権を理解しているのだろうか。

神戸新聞等で報道されている前校長のパワハラ問題、前校長の就任期間で顕在化している今回の「いじめ問題」。どう考えても、前校長の学校経営に対する姿勢そのものから導き出された可能性が高い。そんな人材を校長にしている市教委の人事。これも鋭く問われなければならない。つまり、【人権に対する認識】が校長選任の条件になっていないのだろう。

見習い期間さんや名無しの探偵さんが指摘されている台東区の役人が行ったホームレスの排除問題も、行政の【人権意識の希薄】さの問題である。

(5)帝国主義の弱い環

教育現場で進行している事態は、これから何年か後、日本社会で顕在化する問題である。

レーニンが帝国主義論の中で指摘しているように、帝国主義の矛盾は、一番弱いところに最初に顕在化する。日本社会の矛盾は、その一番弱いところ、【教育現場】や【ホームレス保護などの福祉の現場】などに顕在化する。

神戸市東須磨小で起きた【いじめ暴行】問題は、形態は違え、全国の教育現場で起きている問題だと考えなければ本質は見えない。文部省によって主導されている教育改革なるものの実態は、教育現場の階級制・差別性の強化と教育の効率性の強化である。

教育を実質的に預かる教師連中が、今回のような【不自由】さと【差別】と【支配の暴力性】の中で生きざるを得ない実態があるとするなら、教育を受ける子供たちがその影響を受けないわけがない。日本が根本から根腐れするわけである。

これを機に教育問題を「国家国旗問題」や「靖国問題」などと離れて、純粋に【国家百年の計】として考え直さなければ、日本の未来はない。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水
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「住所」がないと生きることはできないのか

2019-10-16 09:28:46 | 民主主義・人権
昨日(10/14)の投稿で言及したように、台風が関東地方を直撃したとき、台東区の対応で、ホームレスの人たちを避難所に入れないことの理由に挙げたのが、「住所」がないからだと言うことだった。(今日(10/15)になって台東区は謝罪している。)

この国では住所がないと生活保護も拒否される。生活保護の拒否理由の規定があるのだろう。

要するに、ホームレスは憲法25条(生存権)があるにもかかわらず、法律規定のせいで人権の享受はできず門前払い扱いになっているということだ。

実はこうしたことを大学などで研究している人は少ないし、そうした研究者と接してもあまり成果はないのが現状である。実際に研究者でホームレスの救済をしている人は少なく、すぐに名前が分かるのは藤田孝典さんである。

こうしたことから、私は日本におけるホームレスへの世間のまなざしは、インドでのカースト(実はこの言葉はインドにはなく、イギリス人の言葉である)と近似していると考えている。

(※インドの最下層「不可触」が思い浮かぶ。かつての映画に「女盗賊プーラン」という作品があったが、彼女(政治家になった人)もこの出自である。)

その理由であるが、研究対象にはなっているが、政治の問題では事実上敬遠されていて、実際にはホームレスへの救済、つまり家に住める権利は拒否されている。

その問題が今回の台東区の対応で浮き彫りになったと思う。

ホームレスは住所がない。住所がないと生活はできないのだろうか。憲法の外にいることになるのだろうか。もう一度考え直している。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
名無しの探偵
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ホームレス、避難所の入場拒否の法律問題

2019-10-14 15:17:09 | 民主主義・人権
「これは究極の差別だ」と支援団体の専門家が言うのだが、台東区役所は「住所がないのでお断りした」「住民を避難させるということなので」と言っている。

これは安倍政権下で(それ以前からも)憲法秩序が究極的に破壊されていることを端的に示すケースである。

「究極の差別」という、法の下での差別問題に限定するべき問題ではありえない。

住民であろうがなかろうが、救助を必要としている人を排除するのは、人間としての権利(憲法上の核心的な基本的人権:憲法13条)を踏みにじる暴挙なのである。
 
やはり日本の行政全体がファシズム的な法の運用に流れていることを証明する「究極」の事態が進行していると言うべきであろう。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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